沢城跡
2006-04-20 | 城
沢城跡
鈴鹿市飯野寺家町字城掛
城主 神戸氏
南北朝時代1367年に築かれた 水田沼沢の特徴を生かした平城
亀山の関氏が五家(沢城、国府城、亀山城、加太城、川崎峯城)に分かれとき、関氏長男 盛澄が神戸氏を名乗り築城。
以後二代目実重、三代目為盛、四代目具盛と約200年間、神戸城に移るまでの居城。
神戸氏は鈴鹿郡、河曲郡の内24郷を支配していた
城址碑が建ち、この地が本丸跡と考えられ、東西約130m南北約80mの楕円形
周囲の水面より約70cm高くなっており、沼地の中にあったようだ。
沢城跡の碑に刻まれた沿革
昔は沼地とのこと!(比高は70cm)
鈴鹿市飯野寺家町字城掛
城主 神戸氏
南北朝時代1367年に築かれた 水田沼沢の特徴を生かした平城
亀山の関氏が五家(沢城、国府城、亀山城、加太城、川崎峯城)に分かれとき、関氏長男 盛澄が神戸氏を名乗り築城。
以後二代目実重、三代目為盛、四代目具盛と約200年間、神戸城に移るまでの居城。
神戸氏は鈴鹿郡、河曲郡の内24郷を支配していた
城址碑が建ち、この地が本丸跡と考えられ、東西約130m南北約80mの楕円形
周囲の水面より約70cm高くなっており、沼地の中にあったようだ。
沢城跡の碑に刻まれた沿革
昔は沼地とのこと!(比高は70cm)
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