上笠田城跡
2006-04-22 | 城
上笠田城跡(笠田砦)
いなべ市員弁町上笠田字城下263-2
城主 飯田勝永
員弁川左岸、北勢線上笠田駅(廃駅)の西にある、城跡には城山稲荷がある。
城跡は用水路で分断されている住宅(北)側にも土塁が確認でき、稲荷へ進む南側(北勢線)側は郭、土塁と自然の要塞なっている。
建武年間(1334~38)この地を支配した、多湖大蔵允が築城、永禄年間(1558~72)飯田左衛門尉または飯田左馬助が居城。
永禄10年(1567) 滝川一益の北勢侵攻により諸城主とともに降伏。
永禄11年 織田信長の侵攻で滅んだ。
城山稲荷大明神の碑
六把野井水が城跡を分断し流れる
城山稲荷
土塁(左側は郭)
にある覚通寺
いなべ市員弁町上笠田字城下263-2
城主 飯田勝永
員弁川左岸、北勢線上笠田駅(廃駅)の西にある、城跡には城山稲荷がある。
城跡は用水路で分断されている住宅(北)側にも土塁が確認でき、稲荷へ進む南側(北勢線)側は郭、土塁と自然の要塞なっている。
建武年間(1334~38)この地を支配した、多湖大蔵允が築城、永禄年間(1558~72)飯田左衛門尉または飯田左馬助が居城。
永禄10年(1567) 滝川一益の北勢侵攻により諸城主とともに降伏。
永禄11年 織田信長の侵攻で滅んだ。
城山稲荷大明神の碑
六把野井水が城跡を分断し流れる
城山稲荷
土塁(左側は郭)
にある覚通寺
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