今年の年賀状事情の報道などで、震災を意識して「おめでとう」を排除する傾向らしいことを知った。
なるほど、と思いつつも、しかし花見のころと同じ遠慮をしているようにも思ったりする。
年が明けること自体、日本人には目出度いこととして処理する日本人の文化的背景があり、「おめでとう」や「賀」「慶」を排除することは、こうした日本人らしさも排除するような気がしないではない。
そもそも年が明けるのは、魂の更新を意味すると意識され、それを目出度いとしているのであって、ごあいさつのシーズンではない。
古代であれば6月・12月の大祓があった。半年に身についたまがまがしい罪穢れを排除して、いわばリフレッシュする儀礼で、記録としては古代国家の年中行事に多く見られるが、もとはといえば誰もが行う習俗からきていたと考えられる。
今は宗教として神道を信仰する人や、茅の輪くぐりのようなイベント的に神社に参詣することが行われているのをみるに過ぎなくなった。
「がんばろう日本!」のスローガンがすっかり定着した昨今、どうやって日本人は頑張ればよいのか、自分自身明確な答えがあるわけではないが、字面だけを追うような振る舞いだけはしたくない、とは思う。
ちなみに私は、頑張ることが目的となっている「がんばる」という言葉が嫌いである。頑張ることは結果を導く手段でなければならない。
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なるほど、と思いつつも、しかし花見のころと同じ遠慮をしているようにも思ったりする。
年が明けること自体、日本人には目出度いこととして処理する日本人の文化的背景があり、「おめでとう」や「賀」「慶」を排除することは、こうした日本人らしさも排除するような気がしないではない。
そもそも年が明けるのは、魂の更新を意味すると意識され、それを目出度いとしているのであって、ごあいさつのシーズンではない。
古代であれば6月・12月の大祓があった。半年に身についたまがまがしい罪穢れを排除して、いわばリフレッシュする儀礼で、記録としては古代国家の年中行事に多く見られるが、もとはといえば誰もが行う習俗からきていたと考えられる。
今は宗教として神道を信仰する人や、茅の輪くぐりのようなイベント的に神社に参詣することが行われているのをみるに過ぎなくなった。
「がんばろう日本!」のスローガンがすっかり定着した昨今、どうやって日本人は頑張ればよいのか、自分自身明確な答えがあるわけではないが、字面だけを追うような振る舞いだけはしたくない、とは思う。
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