台湾大好き

2016/02/01から90日滞在予定。

マレーシアの旅

2020年08月30日 | 旅行
2002/04/19
ホテルNOVAを後にしてJCBのティさんに会いに行くことにした。コーヒーとサンド
イッチの朝食を済ませてから人がまばらなチャイナタウンを例のごとく違う道を選
び遠周りでも違った景色を見るために私はいつもそうしているが、ぶらぶらとリュッ
クサックがないだけに幾分か心地よい気分である。しかし今から会いに行っても
都合を聞かないと思い公衆電話でティさんに確認を取るとお土産はホテルに預け
てもらえると取りに行くという事でホテルへ引き返し、インスタントのご飯とかアロ
マオル・塩・CD・カセットテープなどを袋に詰めてカウンターに預けて市内へ飛
び出した。空港特急KLISエクスプレスは来た時にはまだ開通してなかったが帰り
には乗ることが出来た。片道約30分で料金は片道35リンギットである。15分おきで
、5:00-深夜1:00まで運行でクワラルンプールセントラルと国際空港KLIA間が便
利になって移動がスムースにいくのが素晴らしい。

空港に着き預けた荷物を取ってカウンターで手続きをして早々とゲートをくぐり出
国手続きの時である。係員が盛んにカード、カードと言っているので何事かと思い
きや、そうだ出国カードがないのに気が付いた。しばらく沈黙が続いた後パスポー
トの入国を確認してやっと出国スタンプを押してくれてやれやれである。今回の旅
は最後まで事件が付きまとうようだ。土産物屋で残った貨幣を使うために財布と
かまたハンカチを買ってしまった。21番乗り場で係員にチケットを見せてここで良
いのかを聞いてみるとOKと言ったので時間まで待っていたがこの便に乗る人が
来ないし係員もどこかに行ってしまった。誠に不安で一体どうなっているのかな、
そのときアナウンスが聞こえてきて21番・37番と言っているので乗り口が変更に
なったのであろう。37番に行くと乗客が居たのでほっとしたが30分前でそんなに
簡単に乗り口が変わるのだろうか。まあ何か訳があるのであろうがタラップを上
り機上の人となる。マレーシアサウンドとハンカチのお土産とティさん・カイルさん
・クンさんの優しい人柄を胸に、この旅で出会った人々にオンチな私を助けてくだ
さった方々にお礼を申し上げたい気持ちを上空より愛を込めて、
さよならマレーシア


マレーシアの旅

2020年08月29日 | 旅行
クワランプール空港に着いてチャイナタウンのホテルNOVAを予約して荷物は空
港で預けて身軽にしてまた市内を散策することにした。空港の係員に貸しロッカ
ーを聞いてみても要領を得ないのだ。五箇所回ったが同じパターンでパスポート
プリーズで荷物のことを言うと04/19のチケットを見て明日来て荷物を預けてくれ
と答えるのだがそうじゃないんだ私はこの荷物を預けたいのだが意味がなかなか
通じない。六人目でやっと貸しロッカーの意味が通じそこのチョコレート店の隣だ
と分かった。リュックサックを預けて身軽にはなったが贅沢だがタクシーで市内ま
で行くことにしてタクシーチケット売り場に急ぎ冷房の効いた車に乗り、何でこん

なに疲れるのだろう。明日にはここを離れるのだからまだ見ていない所を回るの
を楽しみにしばらく眼をつぶった。例のNOVAホテルに着いてカウンターのおねー
さんにこの間と泊ったとき屋台の音楽がうるさいので最上階に部屋を取ってもら
うよう申し込むと7Fの部屋となった。やれやれ。そのまま部屋のキーを預けて外
へ出てCDショップに出かけたがカイル君はグランドファーザーに逢いに休暇を取
ってたらしくて会うことが出来なかった。日本に帰ってから電話をすることを伝え
てもらうよう頼み店を出た。会うことが出来たら店が終わってから彼に市内を案内
してもらう予定であったのだ。仕方なく例のごとくうろうろ歩き回り疲れたのでホテ

ルへ戻ってきた。例の中華料理店で食事して屋台をのぞいているとマンゴーの屋
台の横でじっと様子を見ていたら中国人らしきおじさんがマンゴーを手にしてはコ
ンコンと手で叩き熟れ具合いを確かめている。その屋台には二十ほど並んでい
るようだが丁寧に一つずつ手にとっては確かめているのである。私も暇だからず
っと見ていたが40分位ねばって数個買っていった。なかなか中国人はしたたかで
あるようだ。厳密に品物を吟味して値段の交渉して時間をかけて買い物する姿を
見てつくづく感心をした次第である。お金の使い方を知っているのだ。私も見習わ
なければと反省しきりであった。マンゴーは食べたことがないので一盛り買うこと

にして部屋に戻り味見をしてみるとこれが甘くてとても美味しいのだ。そんなに聞
いていたよりくさくないしもう一皿買いに行こうと思ったほどだ。食べ終わって手
を洗いベットに入ると何かザラザラするのである。シーツをめくって手のひらで探
ると砂が手に付いた。気持ちが悪くて寝られたものじゃないので受付に行ってシ
ーツを替える様言いつけて部屋に入った途端である。何だこのくさい臭いは!!!
ああこれがマンゴーの臭いなのだ。マンゴーを食べているときはそんなにも臭い
がしなかったのであるがいったん部屋を出て外の空気に触れたためマンゴーに
慣れた鼻が元に戻ったのだ。シーツを交換に来た人にゴミ箱ごと持っていっても
らった。しかし臭いはくさいがマンゴーは美味い。しかし口をゆすぎ丁寧に拭い
てもこの臭いは取れないのだ。今夜はやかましい音は聞こえない代わりに寒く
て部屋にこもったくさい臭いは出て行ってはくれず明日はこの地を離れるという
のに、明日カイル君に会えることを楽しみにお休みなさい。

マレーシアの旅

2020年08月28日 | 旅行
2002/04/18
眼が覚めて私はすぐ体の異常がないかお腹を探ってみてもなんともないので実
験は成功のようだ。ダイヤモンド プティリイホテルは朝食付で210,31リンギットで
この環境の値段にしてはとても安く感じた。AM10で玄関での待ち合わせであった
が、ホテルのロビーに座っていると彼がニコニコしながら隣に腰を下ろしてグット
モーニング、彼の名前はkun(クン)。これから彼の車でテンプル観光に出かけるこ
とになった。FM放送からコピーしたカセットの音を鳴らすと陽気な彼はこのリズム
にのって楽しんでいる。この曲はマレーシアの歌なのかを聞くと彼はヒンズーと答
えた。彼の片言の日本語と私の片言の英語で何とか会話が出来て彼は奥さんと

子供の三人家族で生活も苦しいがクワランプールなどの都会には出て行くことは
ないと言っている。僕はずーとここで生活するのだと。二箇所のお寺を回ったとこ
ろで休憩となり、椰子のジュースをご馳走すると言う。おばさんがナタを振りかざ
して要領よく穴をあけそこへストローを差し込みテーブルの上に置き、さーどうぞ
召上れ。ほんのりとした甘さで木陰の下で飲む椰子のジュースは暑さを忘れさせ
てくれる。クンはおばさんに何か言っている。例のナタで飲み干した梛子の実
を半分に切りスプーンを差し出した。実の中の白いところをすくって食べてみると

これがとても甘くて美味しいのである。沖縄で椰子のジュースは飲んだことはあっ
たが中の実まで食べたことはなくこんなに美味しいとは知らなかった。もう二箇所
のお寺を回るというので付き合うことにしたが彼には申し訳ないが私には興味が
ない。お寺といっても英語とマレー語と中国語で書いてあるのだ。ここではチャン
ポンでいけるようだ。私はふと思い出した、そうだまだお土産を買っていないことを。
クンに何か良い物がないか尋ねると蝋染めのハンカチ・スカーフ・シャツ・上下の
服・ドレスの製造元を知っているので案内するという。願ってもないことで、マレー
シアでは銀食器が有名なのだが重いし値段も高いので子供たちにシャツでもと思
い連れて行ってもらうことにした。蝋染めの工場の中を案内してもらい暑い工場

の中でしかもどろどろの熱い蝋を布地に書き込んでいく作業は大変なものであ
る。クンは馴染みらしくおしゃべりに夢中でなかなか品物のところに案内してくれ
ない。クンは時計を指差してどうも値段を決定できる責任者がもうじき帰って来る
そうで、そうこうしていると品物を見せるので案内するというのでその人について
いく事になった。体育館ほどの広い部屋に何千着も掛けているところに案内され
て眼写りしてなかなか決断できないでいると工場の人がハンカチを勧めたのでス
カーフとハンカチを二十枚ほどとシャツを3枚買ったがシャツの寸法が一律でLL
なのであるがまあいいかと思い買い求めもっと安くしてほしいと交渉していると
包装はどうするのかと言うのでそのままで大きな袋に入れて包装紙をつけてく

れれば良いというと少し負けてくれたのである。これなら軽くてこんなデザインは
日本にはないので良い買い物であったと思う。工場を後にして空港に向かう途中
喉が渇いたのでお店に立ち寄ると言う。どんなものが出てくるのかと思っていたら
かき氷に中に何か入っているのだ。かき混ぜて飲んでみると甘いのだが中に入っ
ている具を見てたまげてしまった。かき氷にぜんざいにご飯にうどんにトウモロコ
シにトコロテンにフルーツに甘いシロップがかかっていると思えばよい。複雑な味
だが暑いこの気候では食事は喉を通らないのだろう。これなら冷たくて甘くてする
すると食べることが出来る。観光と食事と工場案内までしてもらって60リンギットで
は気の毒で私はもう50リンギットをチップとして渡してクンとお別れをして空港の
玄関をくぐった。

マレーシアの旅

2020年08月26日 | 旅行
笛・太鼓・鐘などに合わせて見物人も参加して演奏するスタイルでやってみると
これがまた面白いのだ。鐘を叩く人と太鼓を叩く人に別れて現地の人の間に入
って隣のやり方を見ながら音を合わせて叩くのだが、最初はリズムのテンポが
合わないので演奏が終わった後でチン・ドンとなるがやがて皆んなについていけ
るようになり結構遊び心で演奏できて楽しいものであった。

いよいよ二人の戦いが始まる。武道でいえば型と組み手があるように踊りに近
い型が終わると組み手となる。これは試合形式で勝ち負けがあるのだ。型を見
るとまさしく拳法で腰が据わり、ゆったりとした動作であるが突きは上段突きの
構えで、足技はなかったがそれもおそらく有るはずだろう。お互いに隙があれば
手を使って足をすくいに入って投げ飛ばす様子は相撲である。両者とも真剣な
のは見ている私には伝わってくる。

真剣勝負ではなくて模擬試合を衣装を着せてもらって観光客も参加できる。
下の写真で写りが悪いが三人の真ん中が私である。

名前はRoselan Hanafiah。
コタパルに来られた時はこの人に案内を頼むのが良いと思う。
やがて時間があっという間に過ぎて終演となった。司会とか進行を指示していた
人が英語が出来たので片言の英語で会話していると若い人で日本語が少し話せ
るので観光案内させるというのである。観光の仕事もしているらしく名刺を差し
出した。幾らと聞くと60リンギットらしいので飛行機の時間まで暇なのでお寺回り
なんか行きたくないがその若い青年と行く約束をして私はまたホテルへと引返し
た。マレー色だらけなのでこのホテルのレストランで夕食をとることにした。適当
に注文をして飲み物をビールと言うとオーNOここにはお酒がないのだ。チャイナ
タウンもコタパルにはないのでここで我慢して食べることにした。マレーシアに来
てからホテルにいろいろ泊まったがこのホテルは静かで食事の味もいいし設備
も整っているし最高だ。

しかし、口をゆすぐために水をコップに注いだときその水
の色を見て唖然!!!水色ではなくて赤色なのだ。ホテルの眼下には大きな川が流
れているがその川の色と同じなのである。どうも水道の源はこの川であるらしい
が私は実験のためひふみのみずを添加して飲んでみた。明日の体の調を楽し
みにして就寝。

マレーシアの旅

2020年08月25日 | 旅行
2002/04/17
まだ頭がぼんやりとしていたが眼が覚めて十分ほどすると段々と気分も落ち着
いてきた。さあ今日は念願のシラッツを見ることができる。開演は二時ごろと聞
いていたのでそれまで町の探索をすることにした。コタパルから列車でクワラン
プールに行くにも時間が合わないので飛行機で行くことにしたので切符を買い
に行ったが、困ったことにJCBが使えないのだ。VISAしか駄目らしいのでキャッ
シュに替えに銀行に行く事になった。銀行の窓口にはタイ人らしい若くて明らか
にオカマなのである。100弗をリンギットに変えるだけなのに40分ばかりも待たさ
れるので早くしてほしいと思うのだが言葉がなかなか出てこないのだ。仕方がな

いのでその横にいるライフルを肩にかけているガードマンと片言でしゃべりりな
がらお土産に日本の五円玉をプレゼントするととても喜んでいた。穴の開いた
硬貨は見たことがないのだ。やがてミスターとの声であのオカマがMR札をカウ
ンターに差し出したので数えもしないでポケットにねじ込み急いで銀行を飛び出
した。いくら田舎であっても時間がかかりすぎである。しかしここではこれが当た
り前なのかもしれないなあと思いながら市内の散策へと出かけたのである。
あまり暑いのとリッュクサックが重いので輪タクに乗ることにした。歳は70才は
超えている様で上り坂になるとなんだか申し訳ない気持ちである。やがて国立
のシラッツの建物が見えてきた。中に入っても誰も居ないので食堂で聞いてみ

ることにした。開演は二時を過ぎるようでそれならここで軽い食事をして待つ事
になった。例のごとく魚のフライトと鳥の唐揚げや野菜などをライスの上にトッピ
ングしてその上からルーをかけて頂いた。スープと冷たいお茶をとっても5リンギ
ットもかからない。外国人用のレストランで食べるのが一番高い値段なのだ。
やがて何台かの車が入ってきて準備が始まった。この時間になってくると観光
客たちがグループごとに集まってきて、建物の中はみるまに大勢の人垣ができ
た。シラッツの前にこちらに集まって下さいと言うのでそちらを見ると、日本で言

うとコマとか蹴鞠などの子供の遊び道具を紹介をしていて結構外人さんはコマを
回して喜んでいた。この施設で働いているのはどうもボランティアであるらしい。
隣の建物には楽団が入ってきて、鳴らしながら調整をしている。シラッツというマ
レーシア拳法は格闘技の原型であって、しかもマレーシアから中国に渡って中
国拳法となり、モンゴルに渡ってモンゴル相撲になり、タイに伝わってタイ式キッ
クボクシングになるという経過があり、言わば格闘技の祖先と言えるものなの
だ。マレーシアはイギリス・オランダなどをはじめとしていろいろな国から戦略さ
れ植民地化されてしまい、シラッツという格闘技は禁止されてしまった。今では
音楽に合わせて行う踊りにも似た形式になっている。毎週定期的にに無料で公
開されている。