綿向山~雨乞岳~武平峠 トップページ
・2008-11-22~24
・2泊3日(避難小屋・テント泊)
・単独行
・滋賀県側にある綿向山から、三重県の鈴鹿山脈を越える 東西の縦走です。
1日目(22日)
JR東海道線近江八幡駅から近江鉄道に乗り換え、日野駅でさらにバスに乗り換え、北畑口バス停(11:44着)から歩く。
日野駅
西明寺バス亭(12:25)で昼食。
登山者用駐車場
堰堤の横を通る
天然記念物接触変成岩の標識
13:45 清水谷小屋
一旦林道に出るが、すぐ山道に入る。
上の写真の小屋は写真の反対側の壁がなく、売店のような雰囲気であるが、人はいないし、営業しているような気配もない。
15:10 五合目避難小屋(泊)
本日はここで宿泊。当然だれもいないが、ログハウスのようなとてもきれいな小屋で、貸し切り状態で使わせていただきました。
それでも、一応掃除をする。避難小屋に着くといつも最初にすることは掃除です。窓を開け、置いてあった箒で掃くと、もうもうとほこりが立つ。これで気持ち良く使える。
用意してきたすき焼きの材料をさっそく料理。うまい。寒いのが難点だが、寒いからこそこんなメニューができるので我慢。食べていると、若い女性の単独行者が下山して来られたのが窓から見える。向こうも、窓越しに見てびっくりしたような表情でこちらを見ておられる。
食事をするとすることもないし寒いので、シュラフにもぐりこんでいるとうとうとしてきてそのまま寝てしまう。おそらく18:00頃就寝か。
2日目(23日)
7:17 スタート
行者コバ
綿向山頂上への階段
8:10 綿向山頂上
8:21 頂上出発
一昨日の雪が残っている。
イヤな注意書きである。一瞬躊躇するが、計画段階から分かっていたことであるので、ためらうことなく進む。
この辺りはまだ草原のイメージで快適な道です。
この先(写真ではササ藪を降りたあたりから中央のなだらかな山の白い部分)から道がなくなる。踏み跡もなく、どこを歩いていいかわからなくなる。視界が良好なので、地図と磁石と景色を照らし合わせて、イハイガ岳に向けて恐る恐る歩く。
結果的には、ルートファインディングは正解でした。しかし、歩いているときはコワゴワで、この季節を選んで良かったと痛感する。草木が枯れて展望を確保しやすい。
9:27 イハイガ岳
崩れたきわに目印テープが残っていたが、歩ける状態ではなく、樹の幹につかまりながらいくか、下にテープがありルートをつけている。いずれも急斜面を歩く。
10:10 大峠
途中、単独行の登山者(おじさん)に出会う。
こういうところを歩くと、夏は草木が密生して歩けるものではないことを実感するので、やはり晩秋を選んで良かったという思いを強くしました。
再び草原にでたが、雨乞岳の登りはクマザサの密生をかき分けて登ります。また、一昨日の雪が残っていて、歩きにくい状況でした。
クマザサは場所によっては背丈より高く、下にもぐれば道はあるが、覆いかぶさり道がどこかもわからない。
12:00 雨乞岳 (昼食)
男女数名のパーティが昼食をとっておられるので頂上は賑やかであったが、その方たちは杉峠に戻られる、とのことで、去られると急にさびしくなる。また、雲行きが怪しくなり、余計に不安感を掻き立てる。
東雨乞岳
クラ谷への下山路で若い男性の単独行者とすれ違うが、特に言葉を交わさなかった。今から思えばこんな時間に雨乞岳へ登るのは不自然であるが、情報交換しておけばよかったと後悔することになる。
クラ谷へ入ると川沿いに進んだが、クラ谷から武平峠への道がわからず、同じところを何度も行き来する。
はっきりとした目印テープ(黄色に赤)がいつの間にか赤テープだけになり、それを辿ると神崎川上流部に入り込み、これは明らかに違う、と来た道を戻る。しかし、戻って再び川沿いに下るが、道が見つからない。
そのうちに暗くなり、(18:30を過ぎていたと思う)やむなくビバークを決断。本来、御在所山の家に泊まるべく予約していたが、仕方ない。こういうこともあるかとツエルトを持参していたので、木と木の間の平らな所を探す。川から一段高く、ちょうど一人が横になれる広さのところを見つけてツエルトを張る。
川沿いなので水には不自由しない。予備食に持ってきたアルファ米とスープで夕食をとる。食べているとき、すぐ近くで「ピー」という動物の鳴き声が聞こえる。おそらく鹿と思うが、こんな近くで鳴かれると恐い。
食べるものを食べるとすることがなく、お茶を沸かして飲んでも一人ではただ飲むばかりで、今日の反省や、ここからうまく抜け出れるかなど考えているうちに眠くなり、早々に就寝。
3日目(24日)
7:16 出発 今日も天気は良い。
クラ谷を登り直して道を確認。間違いはないのになぜ道がわからないのか不思議で、右岸の山に登って周囲を見渡して位置確認。まだまだ上流であることを再確認。登った山は下りるには急なので、反対側の谷(支流)に下りる。その途中に、鹿の親子に出会う。昨夜の鳴き声はやはり鹿だったようです。
ちなみに、鈴鹿はヒルが多い山としても知られており、鹿がいるということは鹿がヒルを蔓延させていると思われる。特に、谷筋はヒルがいると思った方がよさそうで、そういう意味でも、晩秋の季節を選んで良かったです。
支流には赤テープの目印があり、渓流歩きの人が入っていることが窺がえる。それを下るとすぐ昨日の川に出て、さらに川を下り、道を探すがやはり見つからず、位置からしてこのあたりと思うところを登りだす。(自身でこの行為を強行突破と言っている)少し登ると、なんと道がある。「あれ?、この道は何??」テープの目印もある。狐につままれたような気持ちになり、「どこからこの道は来ているのだろう。」とその道を下ってみると、川の右岸に出て、昨日から何度も行き来している道につながっている。今までわからなかったことが不思議でしかたない。
なぜ、わからなかったのか納得いかず、川をさかのぼってみると、昨日は左岸の台地のようなところを登って上を通っていたため、右岸にわたる道がわからなかった。踏み跡もあるので、疑いすら抱かなかったのです。悔しい。しかし、ミスであるから仕方ない、と反省。
これで、やっと正規のルートを歩けると思ったのもつかの間、上の写真の坂を上ると狭い谷に出て、下るようになっている。ここで下れば、また神崎川渓谷に出ると思い、尾根まで登って周囲を確認するが抜け出れるところがないので、やむなく谷を下る。
すると、細い川が合流し案内標識が4方向を示している。地図を見ても読み込めない複雑な地形で、初めて来たものには判りづらい。標識がなければどちらに向いて歩けばいいのかわからない。地図(1996年昭文社発行のエアリアマップ 御在所岳・鎌ケ岳)は実線で書いてあるだけで、狭い谷などは書ききれていないので、いくら見ても実際の地形は判読できない、と感じました。
ここから、武平峠までは迷うことなく行けたが、武平峠に上がる道がわからず、川床を歩いて鈴鹿スカイラインのトンネル横に出て、そのまま道路を歩いて下山しました。
滋賀県側
三重県側
大雨で道路は至るところで崩壊し、トンネルも閉鎖されている。
途中、事情を説明するため、予約していた「御在所山の家」に寄ったが、小屋の主は老人で、耳が遠く、事情を説明したが、なかなか通じず、居合わせた常連客の人に通訳(?)していただきながらの会話となりました。その方のお話によりますと小屋の主は御年98歳とのことで、予約していたことは覚えていてくれたのですが、来ないことについては、特に疑問もなく、その後は、おじいさんの昔話になってしまいました。
まさか、滋賀県側から来るとは思わなかったであろうし、三重側からなら、車でも来れるのであるから、単に「来ない」と言うくらいに思っておられたのであろうと推察しています。
通訳(?)していただいた常連客の方が車で来ておられたので、湯の山温泉駅まで送っていただき、無事帰宅できました。途中、車の中での会話で、「おじいさんはしっかりしておられ、数十人の自衛隊員の宿泊も受け入れ、その食事も作っておられる」とのことです。
年齢も、カクシャクぶりも驚きで、ご健在なら100歳になられるはずです。