南房総のおとうさん

南房総の海、山の自然紹介
南房総の海山物の紹介
料理、漬物、の紹介

また腰痛ダウン・・・その間に決めたテーマ・・・マイ ドキュメント昭和・平成を生きる

2013年10月13日 | 自然と健康
2020年のオリンピックの年私は82歳、その間に何が出来るか・・毎日が希望の一日で

ある為に自分が生きた人生を振り返って見たい。戦争,敗戦、経済成長と波乱万丈の社会に

生きてきた自分を確かめたい・・・と思います。

勿論、南房総の便り、お父さんの家の、菜園、果樹園の話も聞いて下さい。

プロローグ

1937年昭和12年私が母のお腹の中にいたころの話です。

この話はインターネット・・・昭和からの贈り物・・・より文章、映像を引用、参考にさせ

て頂きます。


母は南房総の小さな漁師町の漁師の五人姉弟の長女、弟二人妹二人がいました。昔は子沢山

で暮らしは大変でした、母の名は、富と云い、小学校を卒業するまで妹や弟背負って二キロ

先の学校に通ったそうです。小学校を卒業すると東京は浅草の洋裁店に奉公して、家計を助

けました。二十歳の時奉公先の番頭と結婚,時しも頃、昭和12年2月私は母のお腹の中に居

ました。浅草の路地の奥の小さな借家でその年12月27日私は生まれました。

其の頃の浅草六区は黄金期と云われ好景気で、12年の正月は一日30万人訪問したそうです。

また国宝名古屋城の金鋒の鱗58枚が盗まれます。犯人は城の調査の為に組んであった櫓を

伝わって忍び込み折しも私が生まれた日に大阪で逮捕されました。       つづく


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