確認すれば残念ながら、訃報は間違いでなかった、この記事を書くに当たって、自分の人生でもどうしても避けて通れない、またある意味では、未だに、解決されない、行きつくところのない、まさに現在進行形の事柄であるからです。
西日本新聞・記事からの抜粋
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/e6/d4d5a401cd8f0a68c8bc9c02d97731a6.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/f1/3c250a2e1196d314c74b38c3b1baa0f3.jpg)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/e6/4d42c1cddf03f282b025d67f1964fbac.jpg)
正直言って、どこから切り出していいものやら、頭が混乱して 言葉、文字の前後が定まらない、それほど自分自身にとっても衝撃的訃報でした、水俣に寄り添い、記録を、真実を、そして声なき運命の人々を 記録しなければ、ペンの力で代弁しなければ、、力では小さな女性一人ではどうもできない、現実を直視した作家でした。
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水俣に関わる、すべての人々にとっては計り知れない大きな、大きな損失な存在、いくらの言葉で飾っても寸分も言い表せない不世出の代弁者でした。その生涯はまさに水俣と共に生きるすべてであったでしょう、
自分の人生を振り返っても水俣からいくらかの対岸に生を受け、一時期、水俣に深く関わり、今まで見たことも、聞いたこともない病魔がすべてのその人生を否定されつづけた人々を目のあたりに見聞きしてきた、筆舌を絶する、現実を周囲を含めて幾多も見聞きしてきました。残念ながら自分もその現実から免れることはできず、法的な被害者として認定されて現在に至っております。
作家・石牟礼道子氏は この本を書くにあたって、そしてその現実を記録するに当たって、この水俣に生きる人々の言葉とは 訴える手段とは この地方の方言・言葉でないと表現でき得ないと、頑固に方言にこだわって、書き続けたのでした。
<苦海浄土>・石牟礼道子著
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以前 このタイトルの単行本を読んだことあるが、その時も深い感銘を受けたが、今回改めて、全頁800の二段に振り分けられて長編作にまとめられている本を読むことにしました。自分もまだ3割程度しか読み進んでいませんが 自分と重ね合わせた箇所もあり、行きつ、戻りつのでなかなか前にすすまないのであります。
以前、天皇・皇后さまが来熊されるに当たって、ぜひ水俣の現実を知ってほしいと手紙に託され、皇后さまの目にとまって 水俣をご訪問されたとか、このような勇気とペンの力で訴える事、石牟礼道子さんなくして実現できなかったであろう行動力には、まさに石牟礼さんならでの真骨頂と執念ではなかったことでしょうか。
この本は当市、南区、市立図書館に置いてなかったのですが 図書館員の計らいで、他所に蔵書してあったもを移動して貸し出された一冊の本です
このブログにご訪問いただいた皆さん、現在進行形の水俣病の現実にいくらかでも接していただけるなら、そして”今”この時間でも苦しんでいる水俣に関わる人々がいる現実を察していただけるならこの上ない喜びでもあります。
機会ありましたら、是非一度手に取って読んでいただけるなら嬉しい限りです。
西日本新聞・記事からの抜粋
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正直言って、どこから切り出していいものやら、頭が混乱して 言葉、文字の前後が定まらない、それほど自分自身にとっても衝撃的訃報でした、水俣に寄り添い、記録を、真実を、そして声なき運命の人々を 記録しなければ、ペンの力で代弁しなければ、、力では小さな女性一人ではどうもできない、現実を直視した作家でした。
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水俣に関わる、すべての人々にとっては計り知れない大きな、大きな損失な存在、いくらの言葉で飾っても寸分も言い表せない不世出の代弁者でした。その生涯はまさに水俣と共に生きるすべてであったでしょう、
自分の人生を振り返っても水俣からいくらかの対岸に生を受け、一時期、水俣に深く関わり、今まで見たことも、聞いたこともない病魔がすべてのその人生を否定されつづけた人々を目のあたりに見聞きしてきた、筆舌を絶する、現実を周囲を含めて幾多も見聞きしてきました。残念ながら自分もその現実から免れることはできず、法的な被害者として認定されて現在に至っております。
作家・石牟礼道子氏は この本を書くにあたって、そしてその現実を記録するに当たって、この水俣に生きる人々の言葉とは 訴える手段とは この地方の方言・言葉でないと表現でき得ないと、頑固に方言にこだわって、書き続けたのでした。
<苦海浄土>・石牟礼道子著
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以前 このタイトルの単行本を読んだことあるが、その時も深い感銘を受けたが、今回改めて、全頁800の二段に振り分けられて長編作にまとめられている本を読むことにしました。自分もまだ3割程度しか読み進んでいませんが 自分と重ね合わせた箇所もあり、行きつ、戻りつのでなかなか前にすすまないのであります。
以前、天皇・皇后さまが来熊されるに当たって、ぜひ水俣の現実を知ってほしいと手紙に託され、皇后さまの目にとまって 水俣をご訪問されたとか、このような勇気とペンの力で訴える事、石牟礼道子さんなくして実現できなかったであろう行動力には、まさに石牟礼さんならでの真骨頂と執念ではなかったことでしょうか。
この本は当市、南区、市立図書館に置いてなかったのですが 図書館員の計らいで、他所に蔵書してあったもを移動して貸し出された一冊の本です
このブログにご訪問いただいた皆さん、現在進行形の水俣病の現実にいくらかでも接していただけるなら、そして”今”この時間でも苦しんでいる水俣に関わる人々がいる現実を察していただけるならこの上ない喜びでもあります。
機会ありましたら、是非一度手に取って読んでいただけるなら嬉しい限りです。
息子さんの昔話に、意識もはっきりし、健康そのもので笑って受け答えしていただきました。
ですから。10日未明の訃報に信じられませんでした。
息子さんとは同級生で、小中高と遊びまくった親友同士です。
私の父はチッソの社員、いわば水俣病の加害企業、かたや石牟礼さんは水俣病の真実をあばく側、利害関係の両親どうしでしたが、子供たちには優しく見守っていてくれました。
人を愛し、水俣を愛した石牟礼さん!思い出一杯詰まっています。
また、折を見て、息子さんと語り合いたいものです。
<苦海浄土>、私も、また読み返しています。
自分個人的には被害者側ですが私の長兄は旭化成から
チッソに出向してきて5年ほど居ました、そう言うことから
私の家系は加害者側と被害者側と混在しております。一面チッソも企業進出で、雇用や地域社会に多大な貢献しているのもこれまた事実です、
そう言う思いを重ね合わて本を読みながら 石牟礼さんの人となり、生きざまを水俣と共にすござれたのでしょうね
そんなこんですがやはり自分にとっても終生、水俣は忘れることできない 大好きな街に替わり有りません。
私は、公害に全く無縁でしたので実際その境遇に自分がいたら?と考えてみましたが、なかなか自分の中でどういうコメントをしていいものか分かりかねております。
公害という、日本社会の負の出来事に目をそむけず、今回ブログで言われたことは、とても重く受け止めました。
山帽子さん、立派だと思います。
私も水俣病を忘れぬと、誓います。
この記事にご訪問いただき、心からお礼申し上げます。
高度成長期に日本各地で悲惨な公害が続出しました。
たまたま自分もその渦中に居たわけですが、これもそれもまた人生&運命なのでしょうね、
自分の知っている故知の方々の多くは意味も訳も分からないまま、天に召された多くの人を見てきました。
そう言う意味からもこれからもこの問題を問い続けて行かないといけないと「思います、その先頭に立ってペンを走らせた石牟礼さんでした、
ご関心を持っていただいてほんとに嬉しい限りです、
有難うございます。
苦海と浄土という相反する言葉がどうつながるのか、本の中に「チッソを許す」という言葉が出てきますが、私にはそこがどうしても理解できず、許せず。
この本をお友達に貸したら、泣いて泣いて、眠れなかったと言っていました。
日本人皆が読むべき本だと思いました。
石牟礼道子さんの本は他に「あやとりの記」「椿の海の記」を持っていますが、文章の美しさも圧倒的な表現力だと思います。
水俣の美しい原風景が、そこを知らない私にも目の前に繰り広げられます。
朝日新聞に連載されていた「魂の秘境から」を1月末に読んだばかりでしたのに。
とても残念です。
既にご存知の本だったのですね
読み進んでいるうちに、リアルにあの頃が思い出されて
目を抑えながら読む始末です。
確かに、水俣は企業城下町で発展を遂げてきまして、大方の市民は雇用などの経済効果と公害の狭間に立って
謂れなき誹謗中傷に立ち位置の難しさで葛藤でした。
それゆえ、声を上げないと、誰かが行動を起こさないとと石牟礼さんなどが立ち上がったのでした。
掛る事案に大きな役割を精神的支柱を失ったことは
ほんとに大きな損失でした。
この関係に多く、思いを寄せていただいている けいこたん、こころから感謝と有難うを申し上げます
今年はどこかの宿で酒でも飲みながらお話ししたいですね
この記事を本日拝読しました。
「水俣」、私も何度か「資料館」や「考証館」などを訪れました。
どれだけのことを学びとれたのかは自信がありませんが、
ユージン・スミスの写真には、圧倒されました。
いろんな見方があるとは思いますが、
そこに切り取られた現実と、暢気な現在とのギャップ!
多くの「人々」が何もわからないうちに被害に遭い、
命を奪われその人生を翻弄されてしまったこと。
そして、それは決して「水俣」だけのことではないこと!
石牟礼道子さんをはじめ、水俣に寄り添った「人々」がいたこと。
そんなことに気づかされた水俣行きでした。
十数年前のことになりますが、鮮明に思い出しました。
改めて「忘れるな水俣!」。ありがとうございました。
加害者被害者両方にご縁がある山帽子さんがこうしてブログで取り上げられ皆さんへのメッセージとされることに心よりの敬意を表したいです。
私の保育園開設当時一緒に頑張った梅島さんは出水の荘というところで、ご主人共々水俣病被害者のためにがんばんっておられました。もうお二人とも亡くなられましたが‥・・石牟礼さん、素晴らしい方でしたね。
ご冥福を祈ります。
よくぞ、この記事にコメント頂きありがとうございます。
ほんとに、青天の霹靂とでも言うのでしょうか、波静かな
田舎町、集落に降って湧いたような出来事に、永年貧しくも平和に暮らしてきた人々にはな一体何が起こったかさえわからなかったことでした、そのなかで 無情にも誹謗中傷に叩かれ、その上に人生の終末さえ理不尽に翻弄されて、余りにも悲しいことでした。
残念ながらそれが現実の姿でした。
こうして今はある程度落ち着いては来ましたが、奇病、変質者、血統と・・こころから傷ついた関係者には何の
救いもありませんが ご理解いただける人々もおおくなりましてただただ感謝です 温かいコメントいただきありがとうございました。
今年の冬はことのほか、寒かったですね、鹿児島も
何度か雪も降ったそうですね。
いろいろと水俣に関して思いを寄せていただき本当に
有難うございます。
まさに筋書きのないドラマチックな水俣の出来事でした
どちらの側に立っても終わりなき、償いと、苦しみでございます、癒されること生涯ないでしょうが こうしてせめて皆さんの理解が進むことが一つ先へと進むことが出来そうです。
いまさらとの感もあるなかでこの作家の執念はそれはもう他に類を見ない行動力と聞いております。
出水の荘地区、よく知っておりますよ!
貴重なコメント、心から有難うございました。