山田の案山子

日々是吉日

空は晴れても心は闇よ冷てぇ風が身に凍みらぁ

2014年01月28日 | 日記
北国では例年の3倍の降雪量だそうだが・・・
日中は18を下まわる事は先ず無い。
夜もエアコンを使う事も無い。
電気敷毛布は毎晩使うが・・・
電源を入れずに寝た時には足下が冷えて脹ら脛が吊って痛くて目覚めた。

南向きなので現在でも20.5℃と暖かい。
先程、買い物に出たが風が強く冷たい。
明日は午後に泌尿器科に行かねばならない。

先週の診察後、採血して帰ったので結果を聞きに行く。
昨年の検査ではPSA値、上限値4.00のところ6.69 尿pH上限値7.5のところ8.0
医師の説明では30~40%の確率で前立腺癌の可能性があるそうだ。

検査の出来る病院に紹介状を書いてもらい診察に行き検査入院の手続きも済ませた。
が7時迄に食事を済ませ8時半迄に入院。
10~17時の間に検査? 馬鹿らしいから検査入院をキャンセルした。

泌尿器科の医師にも8時半入院は無理だと言ったところ
別の病院を紹介するとも言ってはいたが・・・
前立腺癌と判明すれば抗癌剤や放射線治療に通わねばならぬと思うと煩わしい。
特に症状も無い故に此のまま自然死でも構わぬとも思うのだが・・・

家内も先週末から具合が悪く寝込んでいる様だ。
最初の頃は喘息で治療を受けて居った。
愛人と一緒に居る時に電話が来た。

ゼイゼイ言いながら「死んじゃう、何とかして」と言って来た。
玄関迄歩いて鍵を開ける様に言い直ぐに119番に電話してタクシーで駆け付けた。
着いた時には救急車に乗せられる直前だった。

一緒に病院に行って検査の結果、喘息の発作だと云う事だった。
3日程入院した様に記憶して居るが・・・
其の後は気管支・呼吸器で評判の良い病院に通って居たが禁煙出来無かった。
店の従業員達は別の部屋で喫煙する様にしたのだが本人が我慢出来無かった。
酸素ボンベで生活する様になる迄禁煙出来無かった。

平成14年の事だったと思う。
肺気腫で1年近く入院する事となった。
途中で肺炎を併発し生死をさまよったそうだ。
其の時、小生は平戸警察署や佐世保刑務所拘置監に居た。

其れでも家内は手紙を書いて来た。
今の私は自分の事すら何も出来ません。
下の世話も他人様のお世話になって居ます。
元気で満期迄務めて来て下さいと書かれて居た。

前科前歴の多い小生が執行猶予で釈放されるとは考えられなかったのだろう。
現役の頃の小生の姿・生き様も家内は知って居る。

14年4月5日の朝、自宅で逮捕され其の場からタクシーで羽田空港に行った。
長崎空港から松浦警察署に寄り平戸警察署へと向かった。
検事は最初から「東京に帰るんだな、一寸時間が掛かるけど・・・」
其の時点で間違い無く釈放する気なんだと確信して居た。

取り調べに当たった長崎県警の刑事も最後の取り調べの時には
「出られるかな? 前が多いからな」と心配してくれて居た。
判決の時には東京迄、小生を逮捕しに来た松浦警察署の刑事が傍聴席に居た。

判決言い渡しが終わり自由の身になった時には
刑事が「好かったな」と寄って来た。
判決直前に弁護士が裁判所の待合室に面会に来た。

「執行猶予が付くけど直ぐに控訴権を破棄してくれと検事が言って居る」
との事だった。控訴されたら都合が悪い事が在るのだろう。
手続きが面倒なので15日経てば自然確定するが故に控訴する気も無いし放置した。

6月23日の事だが此の日、伯母が他界した。
伯母は勿論、小生の逮捕等知る由も無いが守ってくれたのだろうか?
因果な世の中だと思った。

執行猶予が付かねば家内は一人で今頃如何して居ただろう?
これから先も互いに支え合って生きる為に前立腺癌の検査を受けて治療するか?
一人ぽっちにする事は無責任だとは思うが何時の日にか看取る事はもっと辛い。
一日でも長く、一つでも多く、
楽しい想い出を共有出来る様に心掛けなくてはと思う昨今である。

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