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「旭川いじめ事件をどう受け止めるか?」 精神科医 野田正彰

2021年09月17日 | メディア情報

<注意> 

「旭川少女いじめ凍死事件」を、

私自身、野田先生のこの原稿を読むまで知りませんでした。

詳細ないじめの描写が読むに辛いかもしれません。

被害者家族は読まない方が良いでしょう。

筆者は、全国自死遺族会の活動に理解がある精神科医、社会学者です。

筆者の承諾のもとに掲載します。

 

「旭川少女いじめ凍死事件」を

   どのように受け止めたらよいのか    

                        精神科医 野田 正彰

 

 今年3月23日、北海道旭川の公園に積もった雪が少し溶け、凍った少女の遺体が出てきた。廣瀬爽彩さん(当時14歳)は2月13日夕刻6時過ぎに自宅を飛び出し、行方不明となっていた。

 この事件は、8月18日、亡くなった少女の母親が実名で手記を公表し、学校と教育委員会が「いじめ」をもみ消そうとしていると訴え、北海道新聞のみならず全国紙に報道されることになった。それ以前より、「旭川14歳少女イジメ凍死事件」として精力的に取材していた「文春オンライン」(初出は21年4月15日)は、翌日から連日、これまでの取材内容を報道している。

 ここで、文春オンライン、全国紙(北海道版)、旭川の精神科医、元教員たちに問いただした情報から、少女の死に至る過程を学校教育と精神科医療の両面から整理しておこう。

 少女は普通に友達と交流する明るい子どもだった。写真を見ても、賢く感情豊かな少女に見える。詳しい精神医学的記述は母親などに直接訪ねることができれば記述できるが、死に至る精神医療との関連では、それだけで十分である。

 その少女が旭川市のY中学校に入学してすぐ、近くの公園で同校3年生のA女と知り合い、その後A女の仲間たち、B男、C男(中学校は別)たちと公園で会うだけではなく、スマホを通じて交流するようになった。やがてC男は少女に対し、自慰行為の動画を送るように脅迫し始める。6月3日、C男のLINE。「裸の動画送って」、「写真でもいい」、「お願い、お願い」、「(送らないと)ゴムなしでやるから」。性的暴行を告げて脅した。少女は非行集団の圧力に飲み込まれ、画像をついに送る。画像はLINEを通じて、多数の中学生に流されていった。母親は怯えて過ごす少女の姿に異常を感じ、すでに4月に1回、5月に2回、6月にも1回、担任教師に「イジメられています。調べてください。」とお願いしたが、まともに取り合ってくれなかったという。

 6月15日、少女はA女らに公園に呼び出され、A女、B男、C男、C男と同じ中学校のD女、E女も加わり、さらに公園にいた小学生も加え、公園に隣接する小学校のトイレに連れていかれ、皆の前で自慰行為をするように強要された。少女は「もう好きにして」、「わかった」と答えるようになった。圧倒的な集団の暴力に24時間包囲され、少女は人格の自律性を失い、させられるままになっていったと考えられる。彼女は、強制に他律的に従えば従うほど、思考力を失い、誰も助けてくれないという絶望と無力感を強めていったのであろう。他方、残虐な命令を出す少年少女は自分の言動に制限を加えることが出来なくなり、両者は加虐と被虐のエスカレートに陥っていったと考えられる。ここに至ると、事態は第3の強い圧力が介入するか、一方の破滅しかなくなる。

 事態は後者に至った。それでもなお、6月22日、少女強制入水事件を通して、彼女を救う機会はあったはずだが、警察(旭川中央警察署少年課)もY中学校の教師たちも無知で鈍感であった。

 その夕刻(22日午後6時ごろ)、少女は10人ほどの非行グループにいつも通り呼び出された。雨の降るウッペツ川(川幅3メートル)の土手へ行った。「今までのことをまだ知らない人に話す。画像をもっと全校生徒に流す」といたぶられ、「死ね」とののしられた。少女は「死ぬから画像を消してください」と懇願し、「死ぬ気もないのに死ぬとか言うな」という嘲笑を背後に、川の柵を越え、4メートルある土手を滑り降りて川へ落ちた。それをいじめ集団がスマホに撮っていた。

 異様な出来事を対岸から目撃していた人が警察に通報。やっと警察が関与、加害少年らはスマホを初期化して証拠隠滅を図ったが、警察はデータを復元した。非行少年らは児童ポルノ製造の法律違反などに問われたが、14歳未満のためや証拠不十分によって厳重注意で終わりとなった。誰一人、後日の指導は受けなかったという。

 警察は、加害者たちのスマホから少女の画像や動画をすべて削除させたが、誰かが翌日にはパソコンのバックアップからデータを戻して仲間に拡散。この繰り返しで、画像の流出は止むことがなかったとされる。

 

 少女は6月の自殺強要事件の後、精神病院に入院させられた。一か月ほどとされているが、入院期間、どこの病院かも隠されたままである。文春オンライン、新聞などは精神的ストレス後障害(PTSD)による入院と書いているが、明確な誤りである。画像の伝播は続いており、少女にとって耐え難いストレスが続いており、あえて精神医学的診断名を付けるなら急性ストレス障害そのものである。

 近年のマスコミ、多くの精神科医はベトナム戦争後遺症を経て戦争国家アメリカで病名化(病気の発見ではない)されたPTSDの概念さえ理解せず、災害や性暴力事件があるとPTSDの名称を濫用、誤用している。くだらぬ素人病名よりも、一事件ごとの正確な記述と被害者への保護、名誉回復こそが求められている。

 少女の退院後、母親は賢明にも中学校を転校させている。10年前に離婚した母子家庭。転校するには様々な負荷がかかったであろうが、母は娘を必死に守ろうとした。しかし、少女は怯えたまま新しい学校へ行くことも出来ず、家に引きこもったまま1年半が過ぎる。そして、今年2月13日夕刻、家を出て帰らぬ人となったのである。

 家を出る直前、友人に、「ねぇ」、「きめた」、「今日死のうと思う」、「今まで怖くってさ」、「何もできなかった」、「ごめんね」、とLINEで別れを告げている。当時の気温は氷点下17度。少女は上着もつけず家を出ている。LINEを受け取った友人からの通報で、警察はすぐに捜査に入ったが少女は見つけられなかった。少女の祖父、転校先のX中学校の先生などが一緒になって一万枚のビラを配り、旭川のラジオ局も呼びかけを行った。

 結局、失踪から38日経った3月23日、雪解けの山から少女は発見された。死亡時は家を出た2月23日とされているという。自殺なのか、事故死なのか不明である。

 

精神科医療の問題

 私は、8月19日の全国紙で知り、8月21日付の北海道新聞の記事「死亡原因欄に誤病名」の見出しに注目した。死体検案書には「死因の傷病経過に影響を及ぼした傷病名等」欄に、「統合失調症」と記載されていた、とある。記事はもって回った曖昧な文章でしかなく、なぜ統合失調症と書かれたのか、理解し難い。だが北海道警察旭川方面本部は、一連の捜査を経て、少女が医療を受けていた病院から統合失調症の病名を聞いていたのであろう。しかも投与されていた向精神薬はリスペリドン(製品名:リスパダール)とアリピプラノール(製品名:エビリファイ)であったと言われている。

 しかし、少女が統合失調症でなかったことは精神医学者として断言できる。統合失調症の12歳や14歳での発症はほとんど無い。統合失調症の発症は16歳、17歳以降であり、しかもこの年齢での若年発病の多くは破瓜(はか)型の症状である。また人格の未熟な破瓜型病者は、自閉化し他者との関係を持たず、独語空笑したりして内的世界に閉ざされる。近年はこのような破瓜型病者は少なくなっている。少女は破瓜型病者の発病年齢よりもさらに数年齢若く、しかも他者との交流も豊かであり、およそ統合失調症の病前性格とは異なる。

 しかも投与されていたとされるリスペリドンは、統合失調症にのみ処方が認められた強い中枢神経抑制作用をもつ薬であり、血圧低下や自殺念慮の悪化などが指摘されている。もうひとつのアリピプラノールも、統合失調症および双極性障害における躁状態の改善にのみ処方が認められた薬物であり、投与による不眠、神経過敏、不安、うつ病、自殺企図などが重大副作用として注意書きされている。用量はどのくらいであったのか、投与期間、死因との関連などはっきりしない。両剤が併用投与されていたのであれば、異常な併用であり、服用者の精神状態は振り回され混乱に陥ったであろう。私が信頼できる精神科医に問い合わせたところ、このような信じがたい処方は少なからずみられるとのことであった。勿論、旭川に限らず抗精神病薬の信じ難い投与は全国で横行している。

 診断も薬剤投与も事実であったとして、少女はどのような思いになったのであろうか。女性として耐えがたい虐待に合い、それも日夜止むこと無く持続し、逃げようがない。学校の先生は彼女の苦しさに全く寄り添おうとしない。警察も有効な対処をしてくれない。LINEの映像は流され続けている。精神病院に連れていかれたが、精神科医は少女の精神的苦痛を十分に聞き取ろうともしない。おざなりな対応の上に、さらに苦しくボーっとなる薬を飲ますだけ。生まれてきたこの社会すべてから苛められ、排除されていると思ったのであろう。

 

学校、教師はどうなっているのか

 それでは2019年4月、Y中学校に入学して間もなくから夏まで、少女の母親よりいじめ相談を受けてきた担任教師、管理職(校長、教頭)は何を考え、どのように対処したのだろうか。文春オンラインは教師たちの無慚な言葉を書きたてている。母親に対して担任、「B男はちょっとおばかな子なので気にしないでください」、教頭「わいせつ画像の拡散は、校内で起きたことではないので学校として責任は負えない。加害生徒にも未来がある」。

 少女が亡くなって後、文春の取材に対して、校長の対応(21年4月18日記事)、事実はいじめではない。少女は小学校の頃、パニックになることがよくあったと小学校から引継ぎがあった。何かを訴えたくて、飛び出したのは自傷行為。彼女の中には以前から死にたい気持ちがあった。医療機関などと連携しながら少女の立ち直りにつなげていったらと考えていた、と答えている。

 何かを訴えたくて飛び出すのは自傷行為、というのは無知な素人の痴れ言。少女を担当した旭川の精神科でさえ、自傷行為の概念をこう誤解していたとは思えない。

 少女死亡後でさえ、この概念はいじめを否定し、少女の精神に問題があったと主張している。義務教育で子どもが学校へ行き、子どもとの交流の中でいじめられる、ひどく苦しむと、その子の性格、精神に問題があるとされる。(この20年ほどは、急速にその子が発達障害、自閉症スペクトラム障害のためであるとされてきた。)人間と人間の関係性の問題ではなく、いじめられている子ども個人の精神、ひいては脳の発達の問題にすり替えられている。

 しかし、このような校長たちを作ったのは誰か。彼は、今日の学校文化の思考パターン、志向の轍(わだち)に従って思い込み、教師に伝え、言っているだけである。文科省、各教育委員会は2000年以降、教職員会議で討論を許さず、校長、教頭(副校長)による指示伝達のみに変えてきた。上意下達の学校で、上記のような思考しかできない校長に向かって、少女の苦しさを分かってあげてくださいと言える者がいるであろうか。校長はかく考え、校長を任命した教育委員会はその考えを追認しただけである。無知で歪んだ思考を訂正する機会、制度はどこにもない。

 旭川市教育委員会はマスコミが騒いだことを受け、第三者委員会を作った。多数の委員を任命しているが、このような学校、校長を作った教育委員会がなぜ委員を任命できるのか。また、委員になった教育関係者の多くは、思考力のない教師、兵舎のごとき学校を作ってきた当事者である。事件は事件の要因となった者たちによって空に向かって投げられ、再び彼らの上に落ちてくる。学校を変え、教師たちを学習機器と運動部活の拡声器に変えていったのは文部科学省である。その文科省がいじめを定義し、第三者委員会の制度を作っても、何ら変わらない。

 いじめ件数は増え続け、文科省の認知でさえ61万件(2019年度、小中高校)、被害者の安全が脅かされたりする「重大事案」も723件になっている。子どもたちの自殺も急増、499人(2021年度、警察庁発表、高校生まで)になっている。勿論、必ずしも学校問題で死んでいるわけではない。だが、多かれ少なかれ子どもは学校を意識し、学校に囚われている。国際的な子どもの意識調査においても、日本の子どもは、極度に幸福感が低い。中学三年ごろより、他国の子どもの幸福感の半分(40%ほど)に急落する。こんなことを知らず、重大事と考えない社会が私たちの社会である。子どもは幸せに生きるために生まれてきたはずではなかったか。子どもを自殺にまで追いやっている責任は私たち大人にあり、私たちが造っている政治、行政にある。にもかかわらず、子どもに不幸を強いている文科省、各教育委員会が第三者委員会なるものを準備し、問題を曖昧にしていく。少女や少女の母親がたどった絶望を、私たち市民もたどらされているわけだ。

 なお、第三者委員会は市長の指示を受け、先に決まっていた5名に6名を加え、11名にした。委員長は例のごとく弁護士である。弁護士は学校教育の現状も歴史もほとんど知らない。臨床心理士や小児科医が選ばれているが、それは少女その人に性格的問題があったとする校長、そして教育委員会の見解に添う人選であろう。この種の委員会は、非公開で、社会の関心が薄らぐのを待ちながら延々と続くのが全国の委員会の常である。

 そして、第三者委員会は学校という環境がどうなっていたのか、知ろうとはしない。ウッペツ川への入水自殺強要事件があった後、夏休みを経た19年9月11日、少女の母親とY中学校側、加害の中学生と親たちが話し合いを持とうとした。この時、苦しむ母親が弁護士の同席を求めると、「弁護士が同席するなら教員は同席しない」と言って、教員は全員退席している。校長はその一糸乱れぬ集団行動について、「僕は(弁護士を)入れるべきでないって言いました。教育者としてそれはあり得ない」と力んでいる。教育者という言葉があまりにも空虚に使われている。教員のひとりでもせめてオフレコにしてくださいと言って、話し合いに加われなかったのか。校長の指示のもとにしか動かない今日の学校では、そんなことを願っても虚しいだけなのか。

 私たちは少女の悲しみを無駄にしてはいけない。旭川の市民は、子どもたちがどのように育ち、学び、遊んでいるか、知ろうとしてこなかった。公園や街でいじめ、いじめられの陰惨な遊びをしていることに、関心を持たなかった。子どもたちが大人たちの人間関係、職業関係への予行演習をしていることに、眼を閉ざしてきた。少女の悲しみ、お母さんの絶望に少しでも寄り添う道は、私たち市民が子どもはどこに居るのか、何をしているのか、楽しく生きているのか、正しく見つめ始めるしかない。

 


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