やまさゆ 日記

思ったことや考えてることを綴ってます

悩んでいること②

2020-07-19 12:00:00 | 日記
③結婚式

結婚式は、みんなから祝福されてとても幸せな気持ちでした。
ですが、主人は、飲まされるままお酒を飲み、後半は、グデグデて、テーブルを回るときは終始、ドレスを踏み、ヨロヨロ。

両親への手紙を読む時、主人は、大号泣😭
子どもの頃からの友人達は、面白がって動画撮影。
義姉達は、ギャハハ!!と大声で笑い、
私は、しっかりしろよ!とひっぱたきたくなり。
後々、私の親族からは、何て言ってるかわからなかった。
ゲラゲラ笑ってたら女の人は誰だったの?等冷ややかな意見が多かったです
(-_-;)

④二次会
二次会って普通は、一ヶ所でするんですが何故か、新郎側、独身者がほとんどいないとの事で、何故か別々に……
式の後、それぞれの二次会に行けばよかったのですが、主人がどーしても顔を出してほしいと頼むのでさっと帰れるわけ無いのに、根負けしてついていきました(←バカですよね(-_-;)・・・)

自分の二次会に行ったときは、私を待ってる感じであの時の申し訳ない気持ちは今でも、胸を締め付けます。

⑤二世帯住宅
結婚前から、同居が決まっていて、ローンを払う私達の好きなように建てていいからと、前もって言われていました。
しかし、、、
打ち合わせ第1回目、なんと義姉二人が登場!義母、主人、私の3人での予定だったのですが何故??
この事は、主人は、事前に知っていたようでした💨
案の定、ああしなさい、こうしろ、洗濯機、キッチンは必ず一つとか、リビングは、2階に作るなとかその他諸々、しっかりと口を出してきました。
もう、なんか私達の住む家でローンも払うのに、何故こんなに口を出すのか?
何故主人は、何も言わないのか?
私は、ここにいる意味があるのかと憂鬱でした。
洗濯機だけは、別がいいと絶対一緒は、嫌と言ってそこは、譲りませんでした。
(他も譲りたくないこといっぱいあったんだけど・・・)

というか口を出すなら金もだせやーい!!と叫びたかったです……

それからは、打ち合わせの度にチェックされ、やれ、親のスペースが狭い、車椅子での生活が出来るようにしろ等、散々注文をされました……その間、私は、何度か涙を流す事も何度かありましたが、主人から一言も慰めの言葉も、抱擁もなかったです。

⑥同居開始

同居が始まった頃、赤ちゃんは、7ヶ月過ぎ、義父は、介護が必要な状態でした。この頃が一番頭がおかしくなりそうでした……毎日、昼に夕方にと義姉二人が代わる代わる来て、大声で義父を言うことを聞かないので怒鳴ったりする声が一日中家の中に響いていました。
特に、夕方くる義姉は、声が高く、通るので晩御飯は、怒鳴り声を聞きながら毎日食べていました。
本当に、食べた気がしなかったし、心細くてたまりませんでした。 主人は、私が助けを求めても、聞かざる、言わざるでした。
唯一の味方は、赤ちゃんだけでした。

しかし、赤ちゃん(長女)に対しも私がトイレへ行っただけで、義母は、自分達の部屋に連れていき小一時間は、戻って来ませんでした。
ぐずったり、眠くて泣いていても、すぐ覗きにきて、気が休まる暇もなかったです。可愛がってくれてると思えばそうですが、
当時の私は、そうは思えなくて。
トイレは、行ったら駄目なの?
私が虐待してると思われてるの?
と思うようになっていました。

⑦職場復帰
私は、同居で気が滅入っていたので、絶対復職したかったのですが、なんと主人が反対だったのです。
長女を、育てながら、義父の介護を手伝ってほしいと。
私は、義母も義姉もいるからいいと思ってたし、周りに同い年くらいの子を持つ人は、ほとんど居なくて保育園の方がましかなとも思っていました。
でも、やっぱり一番は、自分の気分転換の為だったと思います。

かなりごねる主人を説得し、復帰の話になった頃、二人目、長男の妊娠がわかりました。職場は、人手不足でそれでもいいよと言ってくれて、みんな温かく迎え入れてくれました。本当にありがたかったです



⑧義父の死
復帰して1週間くらいして、義父が亡くなりました。なんと主人は、電話という文明の利器を知らなかったようでメールで
『親父が亡くなりました😆』
と何これ??社会の常識ってこんなんだったけ???とビックリというかドン引きでした。
その後も、義父の死や介護に関して、義姉達は、何もしなかった、自分達に対する態度を直せとか色々と言われました。
私も、散々言われて、今までの不満が爆発😡💣⚡して言い返してしまいました。
その頃は、ちょっとしたことで、涙があふれて情緒不安定になってたなぁと今思えば。
主人との喧嘩もどんどん増えて、胎教にも悪いし、娘の発達にも悪影響を与えてたと思います。
それでも、子ども達の父親だからと踏ん張っていました。


今では、義姉達は、年賀状は、主人の名前だけで送ってくるようになって、私も、最初は、なんだろう?と引っ掛かってモヤモヤしていましたが今では、家族って思われてないならどうでもいいかと割りきってます。

⑨長男誕生
男の子とわかったとき、産むか一瞬悩んだんです。
それは、小学校一年生の時に、性的なイタズラをされてたからです。
自分の息子がもし、誰かを傷つけたりしたら・・・と考えてしまったんですね。
でも、その男と私のこどもは、違うときちんと気持ちを建て直しました。
産まれたときは、自然に涙があふれて、幸せな気持ちでいっぱいでした。
長女の時は、やっと産まれたーとホッとしたのをよく覚えてます。

それからしばらくは、義姉の干渉も減り、それなりに穏やかな日々を過ごしていました。


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