( この写真は、ジョージ秋山プロに勤め始めた頃・・・ 1978,9年の私。秋山プロ、仕事場の窓辺にて・・・ )
【 はじめての方は、どうぞ 「漫画家アシスタント 第1章 22年改訂版」 よりご覧ください。】
その1 ・・・・・・・ 2005年07月28日 21時25分 公開
『 さ~て、次はどこで仕事すっかなぁ~ 』
調べた数人の漫画家先生の電話番号リストを見ながら・・・・・・10秒ほど考えて
から・・・・・・・
ジョージ秋山先生( 漫画家、1966年、23歳で売れっ子作家に。‘70年には週
刊連載6誌という逸話もある。‘78年当時、35歳 )に電話をしました・・・・・・
まさか、26年間そこで生きていく事になるなどとは、夢にも思っていなかっ
た・・・・・・!
「 なんでジョージ秋山のアシスタントになったの? 」と、よく聞かれますが・・・・
「 偶然かな・・・ 」と、答えるかもしれません。
特別にジョージ先生が好きだったという訳でもなく・・・・・・だいたい先生の代
表作( 「 銭ゲバ 」や「 アシュラ 」、「 デロリンマン 」など )と言われる
ものでも、ほとんど( 少ししか )読んでいませんでした・・・・
ただ一つだけ・・・・・・大好きだったのが「 浮浪雲 」( 小学館「 ビッグコミッ
ク オリジナル 」 )をドラマ化したテレビ番組( 朝日テレビ、78年4~8月、
渡哲也、桃井かおり主演 )でした。
当時は、毎週欠かさずテレビの前で笑い転げていたものです。
この作品に登場する主人公と、作家ジョージ秋山先生とをダブらせていたから
なのか・・・・・・それが、漫画家先生数人のリストの中から氏を選んだ理由だと思
います・・・・・。
さて・・・・・・
電話をしてどうなったかは、「漫画家アシスタント物語 第1章 22年改訂版」
に書かせていただいた通りです。
正直な話、私はどうもアシスタントの仕事を真剣にやった事がほとんどありま
せん。 普通のバイトだと真面目にやるのに・・・・・・絵は趣味の延長・・・・・どうし
てもアシスタントの仕事だと中途半端な気持ちになってしまう・・・・・
秋山プロへの仕事の初日・・・・・・忘れる事の出来ない初日の記憶・・・・・・
26年前( 23歳 )、1978年( 昭和53年 )春。 私の記憶は・・・・・・喧騒の新宿西
口、その地下広場から始まります・・・・・。
仕事はお昼の12時に始まるのですが・・・・・・私は午後1時に新宿にいました。
地下広場で焦って公衆電話へ・・・・・・雑踏の中、私は受話器に向かってハキハキ
と・・・・・
私 「 もしもし・・・ 」
先生 「 ・・・・・・・ 」
私 「 もしも~しっ! 」
ややあって、先生のドスの効いた小さな声が・・・
先生 「 ・・・誰ィ? 」
私 「 小池(私)です~! 」
先生 「 ・・・・・・・ 」
私 「 すいませ~ん! ちょと遅れそうなんですぅ・・・ 」
先生 「 ・・・なんでィ・・・・・? 」
私 「 寝過ごしちゃってぇ・・・ 」
先生 「 おみィはよォ、何考ェてんだァ! 初日から遅刻がよォッ! 」
ガチャンッ!
電話が切れた・・・・・・・・・・。
や・・・やべェ・・・・・ゲロ吐きそうな気分で仕事場のある目白へ向かう・・・・・。
( この写真は、'75~8年当時住んでいた木造アパート銀嶺荘の外観の一部です。《'05 7月 撮影》 )
その2 ・・・・・・ 2005年08月05日 02時51分
1978年 昭和53年、春。
26年間に及ぶ漫画家アシスタント生活の初日・・・・・。
その記念すべき第1日目は、春だと言うのにベタ付く汗をかきながら、遅刻し
て仕事場へ向かう憂鬱な午後から始まった。
東京、JR線目白駅から10分ほどの所にある某マンションの「 704号室 」それ
がジョージ秋山プロである。
ブザーの壊れたドアをノックする・・・・・・
「 は~いっ 」若い女性の声が答えてくれる・・・・・・ドアを開けてくれたのは秋
山プロの紅一点、ユミさんこと吉村由美子( 仮名、通称ユミさん )・・・・・・
ショートカットで、目はキリッとした一重。 口元の可愛い元気な女性、新入
りの私にとって頼りがいのある先輩・・・・・・それが第一印象でした。
ドアを開け室内に案内してくれたユミさんは、2時間近く遅刻した私を笑顔で
やさしく迎えてくれました・・・。
ゆっくりとスタッフに自己紹介してるヒマもなく、すぐジョージ先生の部屋
へあいさつに・・・・・・
ジョージ先生は個室で窓に向かって仕事をしているので、私はその後姿に向
かって・・・・・・
蚊の泣くような小さな声で・・・・・・
「 お・・・おはよ・・・・・ございます・・・・・・遅くなって・・・・・・す・・・すいませ
んでしたぁ・・・・・・ 」
ジョージ先生は背中を向けたまま・・・・・・
「 もう、陽が傾いてるよ 」
「 す・・・・・・すいませんでした! 」
ジョージ先生は明日ペン入れする原稿に下書きしている。まだ、こちらを振
り向かない。
「 おみィはよォ・・・・・・何ィ考ェ~てんだァ~? 」
「 ・・・は・・・はい・・・・・・・ 」
ジョージ先生はまだ私を見ない・・・・・原稿に向かっている。
私は声が出ない・・・・・・
息もできずにいる私を憐れむように・・・・・・
「 も~いいから・・・・・・みんなの仕事をよく見てな 」
先生の背中に一礼・・・・・・
スタッフの仕事場にもどる・・・・・・見るからに落ち込んでいる私にみんなやさ
しかった・・・・・・。
「 あんまり気にする事ないよ・・・ 」と声をかけてくれる先輩Aさん。
ニコニコとイタズラっ子の弟でも見るようなやさしい笑顔のユミさん。
そして、「 ここだからね・・・ 」と私の席を指示してくれるチーフ格Bさん、
先輩Cさん・・・・・。
みんな、とても・・・・・・やさしい!( 甘いの大好きな私 )
Bさん 「 最初の一週間は、見てるだけでいいから 」
私 「 ・・・・・・! 」( 一週間、何もしないで見てるだけ? )
( この写真は、'75~8年当時住んでいた木造アパート銀嶺荘の外観の一部です。左側の白い部分が
銀嶺荘で、私の部屋は左の外階段を上った2階でした。 )
その3 ・・・・・ 2005年08月11日 18時28分 公開
仕事の初日に、一週間は見てるだけでよいと言われた・・・・・・ ( 1978年昭和
53年 春 私、23歳 )
そして、初日の仕事は本当にただスタッフの仕事ぶりをボンヤリ見ているだ
け・・・・・・それも4~5時間で終わり・・・・・・。
夕方6時頃には仕出し弁当を食って終業。
別室にいるジョージ先生にあいさつも無く、その場で全員退社。
帰る時に先輩スタッフに誘われて、豊島区南長崎の喫茶店へ・・・・・・。
この場所は、当時のマンガファンにとっては有名な場所「 ときわ荘 」の近
くです。
その喫茶店の名前は「 エデン 」。 ときわ荘を中心に漫画家や編集員など、
多くの業界人がコーヒーを飲んだお店です。( 古い漫画関係者なら、きっと
ご存知のお店です )
最古参のアシスタントで、もう10年以上ジョージ先生に師事していたガンさ
ん( 仮名:羽賀 司郎、28歳 )は、2ヶ月後に○報社の週刊少年Kに連載マンガ
を発表して独立していきます。
ガンさんの次に年長のテラさん( 仮名:寺山 新一、26歳 )と1年前に秋山プロ
に入ったマツさん( 仮名:松村 祐樹、24歳 )は「 ブロック崩し 」( 「インベ
ーダーゲーム」と並んで‘78~9年に大流行 )のテーブルゲームに夢中・・・・。
坂本竜馬の大ファンで「 歩く幕末 」と言われたリョウさん( 仮名:内海遼一、
24歳 )は、とても無口で一見して「 まじめ 」を絵に描いた様な人。
そして私がこの先20年間「 遅刻男 」になる大きなキッカケを作ってくれたカ
ンさん( 仮名:菅原 浩二、25歳 )。
カンさんが言って下さった一言は、私の20年を決めてしまう・・・・・
「 小池君、10分や20分遅刻したって別に構わないんだよウチは・・・・
オレなんか昔はしょっちゅう遅刻してたからさ、人の事とやかく言
えないんだよネ~ 」
当時の私の解釈・・・・・
『 ここは、30分~1時間位までなら遅刻してもОK! 』
カンさんが言ってくれたのは、落ち込む私をなぐさめるための「 一言 」だっ
たのに・・・・・・・
とんでもない馬鹿アシスタントが入って来てしまったわけです。
( この写真は、'75~8年当時住んでいた木造アパート銀嶺荘の2階内部です。入り口すぐさばのトイレ
前の共同水道です。 )
その4 ・・・・・・ 2005年08月18日 04時35分 公開
漫画家アシスタントの仕事をする時に、自分の背景技術のレベルより低いレベ
ルの所で仕事をするか、レベルのより高い所で仕事をするかで、その後の状況
がまるで違ってきます。
前者は、はじめ楽勝( 背景処理が簡単にすむ )、後マンネリ( そのレベル以上に
成長出来なくなる )・・・・・。
後者は始め地獄( 高いレベルに追いつくためにかなり苦しい思いをする )で、後
天国( 高いレベルに届けば自分のペースで仕事が出来る )!。
1978年 昭和53年 春・・・・・・
私は、かわぐちかいじ先生の所で劇画背景を学び、村野守美先生の所で感性豊
かな構図を学んだ( 不足! )おかげもあって、ジョージ秋山プロでは始めから背
伸びする事もなく、リラックスして仕事が出来そうでした・・・・・( 秋山プロのレ
ベルを完全にナメきっていた・・・・ )
「 最初の一週間は見てるだけでいいよ・・・・ 」とは言っても、毎日毎日ただ見て
いるのは、結構耐えがたいものがあり、自然と何か描きたくなりました。
2日ほどはジッとスタッフの仕事ぶりを見ていたのですが、どうにも我慢できな
くなり・・・・・
『 劇画のリアルな背景・・・・・スクリーントーンの削り技法・・・・・そろそろ私
の実力を見ていただこうか・・・・・ 』
私はこっそり作画資料の「 日本の道 」( 時代劇を描く時の貴重な写真集、現在
ではもう手に入らない )などをパラパラとめくる・・・・・・・。
古い町並みの写真を見る・・・・・・どんだけ「 写真そっくりに描け 」と鍛えられた
事か・・・・!
小さな背景ではなく、いきなり1ページの大ゴマを・・・・!
『 せこいジャブなど面倒だ、最初の右ストレート一発で決める! 』
製図用インク、丸ペン、ベタ筆、定規・・・・・ そしてZライトの角度を調整・・・・・
シャープペンの芯を確認・・・・ B2・・・・ カチカチカチ・・・・・・
そして、宣戦布告・・・・・
私は隣の席のテラさんに・・・・・
「 あのぉ・・・・・・ 」
( この写真は、'75~8年当時に住んでいたアパート近く、杉並区堀の内にある妙法寺横の揚げ饅頭屋さん。
できたてが美味かった!今でも健在!《2005年7月撮影》 )
その5 ・・・・・・ 2005年08月25日 22時09分 公開
ジョージ秋山プロの先輩アシスタントたちは、入ったばかりの私の背景技術の
レベルを知りませんでした・・・・・素人同然だと思っていたのです・・・・・( 1978年
昭和53年 春 )
私は当時23歳、最年少の新入り・・・・・ 初日から大遅刻し度の厚いメガネに不潔
な長髪・・・・・・ ゲタに破れたGパン・・・・・ しかし、私は自信満々・・・・・・。
『 そろそろオレの出番かな・・・ 』( 先輩アシスタントの実力を見切った
つもりになっていた・・・ )
私は隣の席のテラさんに・・・・・
「 あのぉ・・・・・描いてもイイですかぁ・・・・? 」 ( 今から考えれば奇妙
な質問です )
テラさん「 あ・・・ああ・・・はあ・・・・いいんじゃないスかァ。 描きたけ
ればァ・・・どうぞ、どうぞ・・・・ 」
( 「 描きたければァ・・・どうぞ・・・・ 」この答え方こそまさにこの仕事場の
特異な空気を表現しています )
私はさして緊張もせず最初の仕事で「 浮浪雲 」( 小学館「 ビッグコミックオ
リジナル 」 )用( ・・・と勝手に決めている! )の1ページ大ゴマ背景に取り掛か
りました・・・・・・・。
しかし、先輩アシスタントたちは全然、私に興味など無く・・・・・・一週間ブラブ
ラ遊んでいようが何枚も仕事しようが、ど~でもよかったのです。
ただ一人をのぞいて・・・・・・・。
私の正面に座る秋山プロの背景大黒柱カンさん( 角顔の吉幾三にちょっと似て
いる、当時25歳 )。
チーフアシスタントのいない秋山プロで実力的に誰もが一目置く存在のカンさ
ん・・・・・・その実力は他の有名な漫画家からヘッドハンティングされそうになる
ほどでした。
趣味が草野球のカンさんは日焼けしてガッシリした体格の持ち主。少ない言葉
でハッキリと物を言うストレートで誠実な人・・・・・・
そのカンさんが出来上がった私の原稿を真剣にみつめる・・・・・・・
私は、江戸の町中を流れる川にわざとスクリーントーン( あみトーン・中間色
を表現できる )を全体ではなく、ほんの一部分にだけ貼りました。
普通なら川にベッタリとトーンを貼って水面を表現するころだと思いますが、
私はほとんどを白のままで明るい空を反射しているように演出したのです。
その白っぽい川をにらみながら・・・
「 すげェ・・・トーンの使い方するなァ・・・・! 」
私は自信満々で、「 当たり前さ 」と言わんばかりの不遜な態度・・・・・
私の様な大バカ者の遅刻男を静かに、何事も無かったかの様に、すんなりと受
け入れてしまうこの仕事場の、懐の深さを理解できないでいた23歳の春・・・・・・。
( この写真は、'75~8年当時に毎日利用していた丸の内線、新高円寺駅。今でも26年前と同じ内装の様です・・・。
《2005年7月撮影》 )
その6 ・・・・・・・ 2005年09月02日 13時55分 公開
1978年、昭和53年頃にジョージ秋山プロが持っていた連載は「 浮浪雲 」「 花
のよたろう 」「 フーライブルース 」「 花の咲太郎 」「 ほらふきドンピンシャ
ン 」・・・・・・
以上の作品のタイトルを全て知っている人は、少ないと思いますが・・・・・・もし、
いるとしたら・・・すっごい漫画通かジョージ秋山先生の親衛隊です!( 金一封は
出せませんが、惜しみない拍手を送りたいと思います! )
東京、目白のマンションの7階。 秋山プロには私を含めて当時、7人のアシス
タントがいました。
仕事場にはAMラジオが流れ、TBSラジオのにぎやかなアナウンサーの声が部屋
に広がり・・・・・その中を、夏の終わりの鈴虫の様に・・・・・・・
カリカリ・・・ カリコリ・・・ サラサラ・・・ パタパタ・・・ コリコリ・・・
さて、新入りの私から見た先輩たちの漫画背景の技術レベルなんですが・・・・当
時まだ、ほんの「ひよっ子」だった私の偏見(!)によると・・・・・そのレベルは・・
・・・・・・・
まず、最年長者のガンさん( 仮名:羽賀 司郎、東京出身、28歳 )・・・・・・
ジョージ先生の絵柄に最も良く似ていて、昔は先生から信頼され、一番高い給
料を貰っていたそうですが・・・ 私には特長がイマイチ・・・・・・なマンガ背景に見
えました。( でも、2ヶ月後にデビューし独立。秋山プロの出世頭? )
次に、テラさん( 仮名:寺山 新一、博多出身、26歳 )・・・・・・
とても個性のある絵柄( 童話的 )なのですが、まるでジョージ先生の画風にマッ
チしない様な・・・・ テラさんの絵だけが独立したカット( テラさんの世界が出
来上がっている )の様に見えました。
カンさん( 仮名:菅原 浩二、神戸出身、25歳 )・・・・・・
ジョージ秋山プロの中核。 大黒柱。 緻密で誠実な絵柄。 正確なデッサン
力。でも・・・・・・極々たまにキャラクターの大きさと全然合わない背景でみんな
を驚かせます。誰も何も注意しませんが、一番の実力者には遠慮があるようで
した。
マツさん( 仮名:松村 祐樹、広島出身、24歳 )・・・
ジョージ先生から彼の絵は「 手抜き背景 」の参考になるから・・・と言われてい
たのですが、手を抜くなと言われるのなら判るのですが、手抜きの参考にしろ
とはどういう事なのか不思議でした。
「 手抜き 」といえば、マツさんからはよくオナニーについての話をお聞きし
ました。
「 わしゃ~のぉ、想像力を鍛えるために『 オカズ 』は使わんのぉ・・・
・・・そじゃけぇ、いろんな女とヤルとこを想像するんよ・・・ 」
・・・・と言っておられましたが、26年間ついにデビューを果たす事がなく・・・・・
・・・・・この「 オカズ禁止法 」、あまり効果的な方法ではなかったのかもしれま
せん。
リョウさん( 仮名:内海遼一、山口出身、24歳 )・・・・・
ちょっと元気のない背景・・・・・・。なんか淋しい・・・・・・。
「 歩く幕末 」と言われている大「 竜馬ファン 」なのに、なぜか熱気が感じら
れない・・・。
ユミさん( 仮名:吉村由美子、?出身、?歳 )・・・・・
やさしくて明るい人。 おしゃべりで行動的なんだけど・・・・・
なんだか絵が暗い・・・・・・陰々滅々とした少女マンガを描く。
久々の・・・漫画家アシスタント物語、血の教訓
『 実力がモノを言う世界では、正しい者の言葉が正しいのではなく、
実力のある者の言葉が正しいのである。』
( この写真は、東京目白、秋山プロ近くの或るスーパーマーケットです。雑貨品や飲み物類などは、毎日ここ
で買い込みます。《2005年9月撮影》 )
その7 ・・・・・・・・・ 2005年09月09日 03時59分(公開)
ジョージ秋山プロに流れるジットリとした時間( 雰囲気 )を説明する事はとて
も難しいです・・・・・・。
お昼に仕事場へ来てもスタッフ同士であいさつするだけで、奥の個室にいる
ジョージ先生とは顔を会わさない( 帰る時もあいさつ無し )。
時々、先生の個室からスタッフが数枚の原稿を運んでくる。 キャラクター
だけが描かれた原稿には、「 海 」とか「 街 」とか「 長屋 」とか鉛筆で背景
を指示書きされているだけ。
後はそのページを取ったアシスタントが適当に描いていく・・・・。
ジョージ先生はもちろん先輩アシスタントもこちらが質問しなければ、何も
指示しない! 各人がバラバラに自分が描きたいようにに描く!
そして、ごくたまに服の柄や部屋の装飾などについて少し調整するだけ・・・・・
「 この女の着物は誰か描いたァ? 」
「 わしが描いたのゥ・・・ たて線じゃァ。 」
背景が昼か夜かなどもアシスタント同士で・・・・・・
「 え~と・・・・・・3ページは誰? 」
「 オレっす・・・ 」
「 3ページから昼間になってるの? 」
「 う・・・・オレはそのつもりだけど・・・・ 」
「 お~っ、危ね~っ ! 4ページを夜にしちゃうとこだったよ! 」
個室にいるジョージ先生は、朝10時から終日食事はお昼のざる蕎麦だけ、ト
イレにもほとんど行かない・・・・・・個室の中で完全にイスに座ったまま仕事を
12時間以上しつづける!
これは、席を一旦はずすと・・・・集中力が切れてしまうのを嫌うからなのです。
だから、スタッフとも一日中、顔を会わさない事がけっこうあるのです。
それでも仕事はちゃんと進行していく・・・・・・。 これで、一日20ページを仕
上げてしまう!( 並の漫画家なら5~10枚がやっとです )
1978年 昭和53年スタッフが7人いた頃の話です。
今、2005年 平成17年・・・・・・スタッフ3人。一日10ページがやっとです。少な
い時は6ページほど・・・・・・
スタッフ数は往時の半分以下、仕事場もなんだか淋しい今日この頃です・・・・
・・・・・。
( この写真は、東京、JR線目白駅です。左手に学習院があり、右手に10分ほど歩くとジョージ秋山プロが
入っているマンションがあります。《2005年9月撮影》)
その8 ・・・・・・・ 2005年09月15日 18時39分 (公開)
秋山プロで初めて描いた漫画背景は1pの大ゴマ「 江戸の川と蔵のある町 」
でした。
そのペンタッチとスクリーントーン処理がスタッフ一同を驚かせた( 全然驚い
ていない人もいましたが・・・ )のは私のウレシイ思い出の一つです。
今でも信じられないのは、その背景が後に導入されるコピー機によって、20年
以上も繰り返し使用された事です。( ちなみにコピー機を使用するのはジョー
ジ先生 )
私と同じ様に、20年以上前に描いた背景が使用されるカンさんは、「 昔の背
景使われるのは、恥ずかしいなぁ・・・・・普通、こんな古い背景使うかぁ・・・? 」
・・・・と、苦笑いしていました。
さて・・・・ 今回はこのカンさんの思い出を少し・・・・・。
誰でも生まれて初めてする仕事の面接は、生涯忘れられない記憶として残る
ように、有名な作家に師事した時の記憶もとても鮮明に残るものです。
カンさんが「有名な作家」に初めて会った時の記憶も・・・・・・
1969年 昭和44年、カンさん16歳( 当時、私はまだペンの使い方も知らない14
歳の中学生だった! )の初夏・・・・・・・。
東京某所の染色工場で丁稚奉公( ただ同然でこき使われる )していたカンさん
は漫画家への夢をいだいて、当時あこがれていた横山光輝先生( 1959年のア
ニメ「 鉄人28号 」や「 伊賀の影丸 」が大人気でした )に師事しようとして
いました・・・・・
大好きだった先生( 東京豊島区在住、神戸出身 )のところへ原稿を持って出
かけて行きます・・・・・カンさんと横山先生は、同郷(神戸出身)でしたから、
面会しやかったと思いますが・・・・・・
横山先生 「 君。・・・・・・才能無いから、故郷へ帰んなさい。 」
・・・・と、あっさり弟子入りを断られ・・・・・あえなく沈没・・・・・・。
しかし、すぐ次の作家の所へ・・・・・・
『 ここ( 東京、豊島区 )から一番近くて、すぐに行ける漫画家の家は
何処かなぁ・・・・・・ 』
ノートにはジョージ秋山先生の住所が・・・・・
ただ単に近かったから・・・・・・自分の人生( 36年間! )を託す事になる秋山プロ
にこうしてカンさんはやって来ます・・・。
( この写真は、1969年 昭和44年当時にジョージ秋山プロがあった新宿区中落合の自動車整備工場前
の風景です。《2005年9月撮影》 )
その9 ・・・・・・・ 2005年09月22日 22時38分 (公開)
1969年 昭和44年 初夏・・・・・・。
カンさん( 当時16歳 )は横山光輝先生の所で師事を断られると、次に秋山プロ
に向かいました・・・・・・。
秋山プロといっても正式に会社組織になるのはこの10年後。当時( ‘69年 )
はまだ個人事業でした。 西武池袋線、椎名町駅から10分ほど南へ歩き、あ
の「ときわ荘」のある南長崎を過ぎた所が新宿区中落合・・・・
その中落合の4階建ての小さなマンションに秋山プロがありました。( ちなみに
現在の仕事場は東京目白にあります )
カンさんは秋山プロが大きなマンションにあると想像していたので、もう中落
合のそのマンションの前までやって来ていたのに・・・・・
『 この辺にあるはずなんだけどなぁ・・・・ 』
あたりをキョロキョロ見回しながら、目の前の自動車整備工場で聞いてみると・・
・・・・
「 ああ、そのマンションなら・・・ ほら、あんたの後ろ、そう、そのマ
ンション・・・」
カンさんが振り返ると・・・・・・小さな4階建てのマンション( マンションという名
のアパート )が目の前にありました・・・・・・。
そして、2階のベランダには黒シャツに黒ズボン、そして黒いサングラスの男が
自分を見下ろしている・・・・・・。
変な男と眼が合ってしまった・・・・・・でも、それは無視。
さっそく、そのマンションの中に入りジョージ先生の部屋へ・・・・・・。
ドアを開けたのは、なんと・・・・さきほどの黒ずくめの怪しげな人物・・・・!
「 やっぱりな・・・・来ると思ったぜェ・・・・・ 」
ドアを開け、中に招きながらジョージ先生( 26歳 )はそう言った・・・。
学生服に原稿袋を持っているので、すぐに自分を訪ねてきたんだなと判ったら
しい。
緊張の中で、さっそく原稿を見てもらう・・・・・・
さっきは横山先生にキツイ事を言われているのでかなり心配・・・・・・キャラクタ
ーか、ストーリーか、コマ割りについてか・・・・・・いったいどんな感想を言われ
るのか・・・・・・
「 おゥ・・・このカーペット・・・・・これこれ 」
「 ・・・・・・? 」
「 このカーペットの柄がいいねェ! 」
ジョージ先生が褒めてくれたのは、背景画の「カーペットの柄」だった。
この瞬間、カンさんの36年間のアシスタント人生がスタートしました・・・・・・。
( この写真は、東京、目白の駅前通りです。秋山プロに勤め始めた頃は、毎日この道を通いました。
《2005年9月撮影》 )
その10 ・・・・・・・ 2005年09月28日 21時34分 (公開)
久しぶりに今回は食べ物の話を・・・・・・
私が始めてジョージ秋山プロに入った頃( 1978年 昭和53年 )は、仕事が始まる
午後1時に店屋物をユミさん( 出身?、自称24歳 )が、注文してくれます。
まず、ユミさんはジョージ先生の部屋へ行き先生の注文を聞きます。もっとも
いつも同じ「 ざる蕎麦 」なんですが・・・・・・。
次にアシスタント全員の注文を聞きます。カンさんだけは結婚していて、お昼
は自宅で食べてくるので、注文しません。
ユミさん 「 今日は何ンにしますかァ? 」
マツさん 「 わしゃぁ・・・ざる蕎麦じゃ・・・ 」
ガンさん 「 あ・・・・ざる蕎麦 」
テラさん 「 そっかぁ・・・・・じゃ、俺もざる蕎麦で・・・ 」
リョウさん 「 んん・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ざる・・・・・蕎麦 」
いつもこんな感じだったのです。 たまに「 たぬきうどん 」とか「 きつね蕎
麦 」とかを注文・・・・・。
ところが・・・・・・
私が始めて仕事をした日・・・・・・
ユミさん 「 おそば屋さんの出前ですけど・・・小池さんは何ンにしま
すゥ? 」
私 「 なに頼んだらいいんでしょう・・・? 」
私は隣のテラさんを見る。
テラさん 「 あ・・・・・・ああ・・・・・・何でも・・・・・・好きなモノを頼んでく
ださい・・・・・・どうぞ、どうぞ 」
私は例のごとくその言葉を都合よく解釈する・・・・・・『 何頼んでもいいんなら、
めったに食えない高いヤツを・・・・! 』
私 「 じゃ、鍋焼きうどん! 」( メニューの中では一番高い! )
スタッフ全員が私の顔をチラッと見た! 確かに一瞬だけ、チラッと見た!
そして、ユミさんは2秒の間をおいて・・・・・・
ユミさん 「 は~い! 」
ジョージ先生以下、全スタッフがざる蕎麦を食べている中で、私だけが鍋焼き
うどんを食べている・・・・・・。
誰も何も言わない・・・・・・。
みんな黙って食べている!
( これは、後で聞いた事ですが、秋山プロで鍋焼きうどんを注文したのは、
私が初めてだったそうです・・・・・・ )
次の日も、私は鍋焼きうどんを注文しました。 そして翌日のお昼、興味深い
変化が現れだしました・・・・・・
ユミさん 「 今日は何ンにしますかァ? 」
マツさん 「 わしゃぁ・・・・・・肉うどんじゃ・・・ 」
ガンさん 「 あ・・・・・てんぷら蕎麦! 」
テラさん 「 そっかぁ・・・・・・じゃ、俺は卵とじうどんで・・・・ 」
リョウさん 「 ん・・・・・そ~だなぁ・・・・・・んじゃ、なべ焼きうどんにしよ! 」
「 漫画家アシスタント物語 第3章 22年改訂版 まとめ2 」 へつづく・・・・
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* 参考 *
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.............. 私(yes)のアシスタント履歴
1974年昭和49年 さがみゆき先生 主に(少女系)怪奇漫画。単行本1冊分、
4,5ヶ月のお手伝いでした。 (19歳)
1976年昭和51年 かわぐちかいじ先生 この当時、氏は今ほど有名ではなか
ったのですが、背景技術をみっちり仕込まれました。(20歳)
1977年昭和52年 村野守美先生 漫画界一の豪傑と言われ、エピソードには
事欠きません。たった1週間しか勤まりませんでした。(21歳)
1978年昭和53年 ジョージ秋山先生 当時「浮浪雲」(ビックコミックオリ
ジナルに連載)が、すごい人気で、渡哲也、桃井かおりの
主演でTVドラマ化されていました。(23歳)
2017年平成29年 ジョージ秋山プロを退社、タイ・チェンマイにて隠居中。(62歳)
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「諦めま章 その1」 「古い話で章 その1」
「もう終わりで章 その1」 「移住物語 こりゃタイ編 その1」
( 但し、第1~3章は『縮小版』になります )
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