( この写真は、ジョージ秋山プロがある東京、目白の某マンションである。)
【 はじめての方は、「その8」の下にある「yesの履歴書」もあわせてお読み下さい。】
その1 '04年 11月25日 4時59分 (公開)
このマンションの一室に夢の架け橋・・・ というより・・・・・・・・・
夢の廃材置き場がある・・・・・。
「 ジョージ秋山プロ 」。
そこを始めて訪れたのは23歳の時だった・・・・・。
それから26年・・・26年! ベタ塗り、トーン貼り、ホワイト修正・・・苦節26年。
もはや、笑うしかないのか・・・ お笑い人生劇場・・・・・
・・・いや!笑い事ではない。
「 来年こそは! 」「 来年こそは! 」で、あっという間に49歳!
頭には白髪がのぞきネームを読むにも老眼鏡をかけ・・・・・。
中古の肉体を引きずって、ただ今日を生きる・・・・・。
そんな私が語れる、傷だらけの漫画一本道・・・・・。
( この章は、一部省略変更した『2022年度改訂版』になります )
( この写真は、東京、目白の某マンション7階にある秋山プロのドアである。)
その2 '04 11月30日 2時53分 (公開)
ブザーの壊れたドアーの向こうに「 ジョージ秋山プロ 」がある。
最近・・・ いや、昔(26年前)から仕事がヒマで、誰言うとなくこの部屋は「常時
空き家」などと、噂されている・・・・・・。
ジョージ秋山といっても、若い方にはピンと来ないかもしれないので、私より、
まず始めに、我が師匠、漫画家ジョージ秋山先生について語ります・・・・・。
( この写真は、ジョージ秋山プロの仕事場風景です。)
その3 '04 12月4日 5時38分 (公開)
漫画家ジョージ秋山 年齢は私より12歳上だから・・・・ 現在、61歳( 2004年当
時 )。
白髪、そして老眼鏡、お世辞にも若くはない。「 初老 」と呼べる年輪がしっか
りとその顔に刻まれている・・・・・・
ズッシリと重たい存在感。 猛禽の様な鋭い目。
相手の心臓を貫く強力な言葉の威力。瑞々しい感性と洞察力・・・・・。
でも・・・・ ただのスケベ親爺にも見える!
代表作 「 パットマンX 」「 銭ゲバ 」「 アシュラ 」そして・・・・・「 浮浪雲」
・・・・これ、もう30年もやってる。
もっとも、そのおかげで我々アシスタントもメシの種には尽きないわけで・・・・・。
氏について語りだすと、本が一冊や二冊必要になるほど多くのエピソードがある。
それについては、いずれまた・・・。
その4 '04 12月10日 5時23分 (公開)
本題へ入る前に、ごく簡単に「 漫画背景 」について説明しておきましょう。
上の画像は、隔週漫画雑誌「 ビックコミックオリジナル 」( 小学館 )に連載中
の「 浮浪雲 」(連載、‘73年~‘17年)の 一部です。 描かれている人物とセリ
フは、勿論ジョージ先生が描い たもので、それ以外は全て私が描いたものです。
畳、障子、囲炉裏、なべ、人物の服の柄・・・・・。
この畳・・・・・・いかがですか? これが、26年間背景を描き続けた人間の畳です・・・・。
昨日は冬山、今日、夏空、そして明日は宿場町・・・・・・。
作品によっては 歌舞伎町のネオン街や高層ビル。メルセデスベンツからママチャ
リまで・・・・・・
雨に嵐に雪、吹雪! 何でも描きます、描かされます!
26年もアシスタントをやることになるって分っていたら・・・・・・
絶対この世界に入ってはいなかった! 絶対に・・・・・・!
2,3年アシスタントでもやって、それからデビューして漫画家に・・・・
そんな甘い考えで、ここのドアをたたいていた・・・・・・。
薄ボンヤリとした春のある日・・・・・。
( この写真は、秋山プロにある私の仕事机である。)
その5 '04 12月18日 3時37分 (公開)
三顧の礼を尽くすとは、よく言ったもので・・・・・。
ジョージ先生( ‘78年当時、35歳、連載週間誌2・隔週誌2・月刊誌数誌 )には、数
回断られた。
最初は、電話で「 アシスタントォ・・・・? 募集してねェよ! 」と、しかし、こっ
ちだってバイトをやめて背水の陣でいるから、『 はい、そうですか 』とはいかな
い。
私「 と・・・とにかく、絵を見ていただくだけでもいいんです!」
と、無理やり面接へ持ち込む。 自信のある原稿を何枚か持って氏のマンション
へ・・・・・・ ( 写真「第1章その1」 )
1978年( 昭和53年・・・古い話で申し訳ない! )3月某日。
ボンヤリとした春の午後・・・・・。
マンションのドア・・・・ ブザーが壊れている・・・・・・ノックした。
アシスタントの一人に案内されて通されたのが氏の個室。
私が座ったソファの向かい、こっちに背を向けて仕事中の様子。
確か、あいさつをしたはずなんだけど、返事は無い・・・・・ 無い・・・!
物凄く空気が重い! 原稿の仕上がりを待っている編集員が一人。和やかに話し
かけてくれた・・・・・・。
編集員 「 ここは良いよォ、アシスタントになれるといいね! 休みは
多いし、徹夜は無いし・・・・。本当に、ここは楽だよォ 」
まだ23歳、緊張でガチガチになっていた私は、ただ黙って聞いていた。
とにかく、何か喋ろうとしていた・・・・・。
「 浮浪雲 」( 小学館「ビックゴミックオリジナル」連載、当時の大ヒット作 )
が仕上がったようだ
私 「 あのぉ・・・・ 先生は、結婚してらっしゃるんですか? 」
ジョージ先生は、見下す様に私を睨み付ける。
先生 「 おみィ~は、『 浮浪雲 』の何処を見てっだよオオオッ! あれ
が、結婚してねえ奴に作れる作品かァ? 子供のいねェ奴に作
れるかァッ?! 」 と、怒鳴られた。
ひょっとして、氏の声は小さかったかもしれない、でも落雷に撃たれた様な衝撃
だった・・・・・・。
しばらく、氏は編集員と何事も無かったように談笑する。そして・・・・
先生 「 おみィ~仕事やめちゃって、困ってんだろォ・・・・でも、俺だっ
て困るぜェ・・・( 苦笑 ) 机も椅子もみんな使ってっからよォ、
おみィ~の座るイスはにィ~んだよなァ~! 」
血の気のうせている私は、ただ耐えるしかなかった。
しかし、最後に・・・・・・「 まぁ・・・。また来いや。」 ・・・・って、いったい、ОKなの
かNОなのか・・・・・。とにかく、数日後、アポをとって3度目の挑戦へ!
夜、やっぱりドアのブザーは壊れている。
ノックすれども返事は無い・・・・・・・・・・。
『 どうしよう・・・この時間に来ると言ってあるのに・・・ 』 と、その時・・・・
ガチャッ ドアが大きく開き、ジョージ先生と連れの男性が一人。
「 なんだ、おみィ~かァ? これから、出掛けるところなんだよ・・・まあ
縁が無かったって事だな・・・・ 」( 私が来る事など眼中にまるで無い? )
茫然としている私を見て、さすがに気の毒に思われたのか・・・・・・
「 せっかく来たんだから、メシでも食うか・・・? 」
( この写真は、東京目白通りぞいにあるうなぎ割烹料理店である。《2004年12月撮影》)
その6 '04 12月29日 7時15分 (公開)
春の夜。( 1978年 ) 緊張から安堵へ・・・・・。
「 メシでも食うか・・・? 」の一言で救われた気分。漫画家ジョージ秋山先生の
この言葉で、『 何とかなるかも・・・・・・ 』と、希望がつながった思いでした。
JR線目白駅から10分ほどの所にある、うなぎ割烹料理店へ。
ジョージ先生、山際淳司氏( スポーツライター、『江夏の21球』etc 、惜しい事
に若くして亡くなられました )、そして私の3人。
高そうなお店で、美味いはずなのに、緊張のため鰻を食ってるんだか、蛇を食っ
てるんだか分らない・・・・・・。
ただ、この時の会話を今でもはっきり覚えています。( 26年前のこの時の・・・! )
ジョージ先生と山際氏との対話に、私なんぞの入り込む余地は無く、ただ黙って
いました。
鰻をご馳走になり、アシスタントにも使ってくれそうな( 十分スタッフはそろっ
ているのに )感じだった・・・・・・。
黙っている私に、山際氏が話しかけてくれた・・・・・・( 私に気を使って下さってい
るんだと思っていた・・・・・ )
山際氏、クールに・・・・・・
「 いつ頃、プロになるんですか? 」
踏み込んだ様な質問にちょっと戸惑いつつ・・・・・
「 ・・・ア・・・アシスタントを2,3年やってから・・・・・ 」
山際氏、表情一つ変えずに・・・・
「 2,3年やって、ダメだったら・・・・・・? 」
「 また、2,3年アシスタントを・・・・・ 」
山際氏、機械の様に・・・・
「 それでも、まだダメだったら・・・・・・? 」
くどい質問だなァと、少し不快に・・・・
「 また、2,3年・・・・・ 」
山際氏、冷淡に・・・・
「 それでもダメなら・・・? 」
もはや、私に選択の余地は無い・・・・
「 ま・・・また、2,3年・・・・・ 」
山際氏のクールな顔が怖い・・・・・
「 それでもダメなら・・・? 」
なぜ、こんな質問をされるのか、訳が分らなくなりながら・・・・・
「 ま・・・また・・・に・・・2、3・・・年・・・・ 」私の声が、小さくなって聞き取れない。
山際氏、ため息をつきながら・・・・
「 最近の若い人達って、考えないんですよねェ・・・・・ 」
しばらく間があって・・・・・
ジョージ先生、薄笑いを浮かべながら私の顔を見て・・・・。
「 おみ~は、『 歩 』だなァ・・・ 」 指で将棋を指すしぐさをしつつ・・・・
「 ・・・・・・・・ 」 何とも答えようが無い私。
ジョージ先生つづけて曰く
「 一歩一歩、ノロノロと進んで、敵の餌食になる・・・・・ だが・・・ 相当、努力
して、運も良けりゃあ『金』に成る!・・・・・・・・・・かもなァ~ 」
「 ・・・・・ 」 何とも答えようが無い私。
山際氏が、面白そうに入り込んでくる。
「 先生、僕は何でしょうか? 」
ジョージ先生、すかさず・・・・
「 おみィ~は、『 銀 』だなァ! 」
山際氏、まんざらでもなさそうな顔をしつつ
「 僕は、『 香車 』じゃないかって思ってたんですが・・・・ 」
ジョージ先生、一つうなずき低い声で
「 違いますねェ。おみ~は、『 香車 』じゃねェ~よ、俺ィだよ、俺ィが
『 香車 』だよ 」
山際氏、力を込めて・・・・
「 違いますよ~・・・・ 先生は、『 王将 』でしょう!? 」( 笑い )
ジョージ先生、笑いながら
「 おう・・・? 『 王将 』は困りますねェ、・・・狙われちゃうからねェ!」( 笑い )
ジョージ先生、山際氏、二人が笑っている。 私は笑えない。
私は・・・・・・
「 ・・・・・・・・・・・・ 」 一生懸命 顔を歪めている。
( 上の写真は、私が26年勤めるジョージ秋山プロのあるマンション入り口です。
手前にあるのが我が愛車、黒の『メルセテス、ペンシ』です。 )
その7 05年 1月20日 02時44分 (公開)
目白にあるうなぎ割烹料理店での会食後、私はジョージ秋山プロでアシスタントの
仕事を始めました( ほんの2・3年のつもりで! )。
この場合、私は「 仕事を始めた 」つもりですが、ジョージ先生は、「 仕方がねェ
から、拾ってやった・・・ 」つもりの様で、この矛盾は26年たった現在でも、あまり
変わってはいません。
漫画家志望で、夢一杯! 腹も出ていなかったあの頃( 20代前半 )は・・・・・・。
アシスタントを10年以上もやっている人がこの世の中にいるとは、予想もしなかっ
た・・・・。いわんや、自分がこの先26年もアシスタントをやってる事になろうとは・・
・・・・・。
10年、20年・・・とアシスタントをやれば、漫画家になれるなどという保証はない。
・・・・・・いや、それどころか、事態は逆に深刻になっていくだけだ・・・・・・。
長すぎるアシスタント経験は、プロになるために絶対必要な、孤独でシビアーな感
性をトロットロッに溶解させてしまう・・・・・。( ただ、人間的にはやさしくて、
丸みが出て来るんですが・・・・・ )
だいたい、40歳過ぎで、漫画の背景が描けますと言ってハローワーク( 職安 )に
行っても何の仕事もありません。 つまり・・・・・ 今の私なんぞは、漫画家になる
以外、何が何でもジョージ先生におすがりして、アシスタントの仕事にしがみ続け
る・・・という、選択肢しか残っていないわけです・・・・・。
結局、楽な人生など何処にも無かったのだ・・・・と言う事に今頃気づいている私です
・・・・・。
漫画家アシスタント物語 血の教訓
『 誰かのアシスタントになる時は、将来の選択肢が以下の3つだけに
なる事を銘記せよ。
一つ、絶対漫画家になる。
一つ、死ぬまでアシスタントを貫徹する。
一つ、アシスタントを辞めて路頭に迷う。 』
( 上の写真は、ジョージ秋山プロのあるマンションの階段です。毎日7階の
仕事場まで、階段を上がって行きます。)
その8 '05年 1月28日 04時22分 (公開)
実は、私にとって漫画家アシスタントの仕事は、ジョージ先生の所でお世話になる
4年前から始まりました。つまり、1974年( 昭和49年 )19歳の時から、恥ずかし
ながら・・・のべ30年も、漫画家のアシスタントをやってきた事になります。( 2005
年当時 )
それで、手に入れたものといえば、小さな夢のカケラがポケットに一つ・・・・・。
しかし、不思議と後悔の念といったものが、ほとんどありません。
それはたぶん・・・自分が選んだ好きな道を歩いてきただけだからか・・・・ 後悔しても
手遅れだからか・・・・・・
「 アシスタント生活に30年という貴重な人生を浪費した・・・・・ 」と、嘆く事もでき
ますが、絵が好きだ、という点からすれば、「 30年間も好きな事だけやってこれた
! 」と笑う(?)事もできます。
ところで、第1章の最後に書いておかなければならない事が一つ。
好きな事をやってこれたのは、自分の力や努力などではなく、それを許してくれた人
や、助けてくれた多くの人たちのおかげだったという事・・・・・。
そんな事に、今頃気づいている・・・ 自分のバカさにただ呆れるばかりの今日この頃。
今、あらためてこの30年を見つめなおすために、第2章より、3畳一間、裸電球、万
年床、インスタントラーメン・・・・19歳の漫画一本道の第一歩を書かせていただきたい
と思います。
「 漫画家アシスタント物語 第2章 22年改訂版 前半」 へつづく・・・・
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私(yes)の履歴書
1955年昭和30年 東京生まれ 世田谷区立駒沢小学校卒。 14歳より、映画館
のキップ切り、ビル清掃人、冷凍食品倉庫、等々(10数種)
1974年昭和49年 19歳より、漫画家アシスタントを始める。以降 漫画履歴・・・
1974年昭和49年 さがみゆき先生 主に(少女系)怪奇漫画。単行本1冊分、
3,4ヶ月のお手伝いでした。(19歳)
1975年昭和50年 かわぐちかいじ先生 この当時の氏は今ほど有名ではありま
せんでした。背景技術をみっちり仕込まれました。(20歳)
1976年昭和51年 村野守美先生 漫画界一の豪傑と噂され、エピソードには事
欠きません。たった1週間しか、勤まりませんでした。(21歳)
1978年昭和53年 ジョージ秋山先生 当時「浮浪雲」(ビックコミックオリジナル
に連載)が、すごい人気で、渡哲也、桃井かおりの主演でTV
ドラマ化されていました。(23歳)
1984年昭和59年 あと1年で、30歳! 焦っていた。 漫画制作に没頭。出版社め
ぐりの日々。(29歳)
1985年昭和60年 「ヤングジャンプ新人漫画賞」にて、奨励賞、努力賞、佳作賞、
受賞。
1986年昭和61年 「雨のドモ五郎」が、「ヤングジャンプ」新人漫画賞準入選。本
誌に2色指定で掲載。事実上のデビュー作。これが同誌への
最初で最後の作品となる。(31歳)
1989年平成元年 別冊(!)ヤングジャンプ「ベアーズクラブ」にて、100ページ
読み切りの「蟹工船・覇王の船」(小林多喜二原作)を発表。(34歳)
1992年平成4年 宇都宮病院事件の「悪魔の精神病棟」を原案とした書き下ろし
単行本「サイコホスピダー」製作開始 (37歳)
1995年平成7年 タイ王国チェンマイ郊外の山村にて結婚。(40歳)
1996年平成8年 三一書房より「サイコホスピダー」初版出荷、初版で絶版。(41歳)
2008年平成20年 拙ブログ「漫画家アシスタント物語」がマガジン・マガジン社に
て書籍化、「雨のドモ五郎」収録。(53歳)
2008年平成20年 TBSラジオ「安住紳一郎の日曜天国」にゲスト出演、漫画家ア
シスタントについて語る。(53歳)
2008年平成20年 「劇画 蟹工船 覇王の船」宝島社より「覇王の船」が加筆訂正さ
れ完全版として出版。小説「蟹工船」収録。(53歳)
2009年平成21年 新宿の宝塚大学、漫画学科で非常勤講師になり、「背景美術」
を担当する。
2017年平成29年 ジョージ秋山プロを退社、43年のアシスタント人生を終え、タイ・
チェンマイにて隠居中。(62歳)
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( 注:不確かな記憶によって記されている個所があります事をご容赦下さい )
【 各章案内 】 「第1章 改訂版」 「第2章 改訂版」 「第3章 改訂版」
「第4章 その1」 「第5章 その1」 「第6章 その1」
「第7章 その1」 「第8章 その1」 「第9章 その1」
「諦めま章 その1」 「古い話で章 その1」
「もう終わりで章 その1」 「移住物語 こりゃタイ編 その1」
( 但し、第1~3章は『縮小版』になります )
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