初めましてです。よろしくお願いします。
もし、この世に善と悪があるのならその人自身の人生に問われるであろう。
気持ちという名の芸術
気持ちは人の生み出した芸術だ。誰のものでも無い自分だけのもの。誰のものでも無いから誰も自分の気持ちを奪えない。雲の合間に見える太陽や月や星の光の様に確かな道筋になって希望はやってくる。絶望は晴天を遮る曇りだから必ず雨を降らせる。でも、曇り空が無ければ雲の合間に見える光はやってこない。絶望が希望の道筋なんだ。爆発は積もり積もる山があるから起こること。人も何事も積み重なれば爆発する。悪い爆発もあるけど、爆発すればするほど宇宙は星を作りあげていく。そんなふうに私たちも正しくあろうとする爆発を繰り返せば素晴らしい方向に行くよ。悪い爆発を繰り返せばその分悪い方向に向かう。これからも希望の道筋を辿って、気持ちという芸術を正義の心で、感謝の行動で爆発させよう。
明るい道
苦しい時はその物事から目をそらして周りを眺めてみよう。人がいるね。自分がいるね。一人の時もあるけれど。人がいない時はないんだよ。何故なら自分がいるから。自分が生きているから。ひとりぼっちの人は尚更、自分がいなくなったらその場に人はいなくなる。それって怖い事なんじゃない?自分でもわかるはず。例えるなら絶望の中の暗い夜道は人がいなくなったら怖いでしょ?だったら明るい道を目指していこう。暗い夜道だからこそ光は輝いてみえる。明るい道を目指そう。
喜び
人とは、喜びという感情がつかさどる生き物だからこそ悲しみに目を向けてしまう。何故なら、たった一つの灯火も暗闇の中ではより明るくなるから、喜びも悲しみの中では何倍にも増すのだ。それを知っている人々も素晴らしく。それを教えてくれた火という自然現象もまた、素晴らしい。
鼓動
他人の鼓動を感じると安心するけど自分が自分の鼓動を感じると不安になる。でも、それは鼓動というものが生命である証だから。そして、鼓動というものは見るものでも無く、聞くものでも無く、感じるものだから。見えるものだとしたら不快になるし、聞くものだとしたら不安になる。感じる心は自由だから確かな生命の証に安堵をおぼえる。それと真逆に自分の鼓動を確かに自分は生きているという証を感じると、人は自分が生命であるという責務をおぼえる。