オメガねこ

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「神道」 と「宗教」

2022年01月04日 | 思想・思考
 「武士道」が武士のあるべき姿・行動規範を示すのと同様に、「神道」は神の道なので、「人が神に、その道を教える」事になります。

 その証拠に、神が人に何かを教えたという話は聞いた事が有りませんし、逆に人が美しい山や湖、或いは巨木や巨石を見ると「神が宿る」と感じます。人が感じないと「神」は存在し得ないので、人によって「神」は創られ、その居場所を与えられると言えます。

 偉大な人は、多くの場合その死後に、その他の人によって「神」と呼ばれる事が有ります。だからと言って、必ずしもその子孫が「神の子」とは言われません。つまり、「神」が何かを創造するのではなく、人間が神を創造していると考える方が「科学的」と言えます。

 「神道」の神は人には何も教えてくれませんし、物理的には何も与えてくれません。但し、何かを感じ取る事は可能です。「キリスト教」は、ナザレのイエスが起こしたとされる「奇跡」を信じる人によって広められた「宗教」であり、おそらく、イエス自身は「キリスト教」の開祖では無いと思います。

 ユダヤ教を信ずる人が「旧約聖書(当然、人が書いた書物)」に書かれている「ただ一人、罪のない人(本来は、人間には原罪がある)」はナザレのイエスであると信じる事でキリスト教が生まれたとされています。当然、人々が信じただけなので解釈は様々有り、分派も発生して殺し合いを始めました。

 それらの分派を「宗教」というのであり、「神の教え」で殺し合いを遂行しているとは思えません。イスラム教は、神からの「最後の啓示」を受けた預言者ムハンマドが開祖で、以降「預言者」は現れないと決定づけられています。

 つまり、「モーゼ」「イエス」「ムハンマド」の三人しか(唯一)神からの「預言」を授かった人は存在せず、若しも新しい宗教を開始する人間が現れたら「神を冒涜する者」として神からの制裁を受ける事になります。それは、ムハンマドが神から直接聞いた話なので間違いは無いと思います。イスラム教では、ムハンマド以外に、この二人の預言者の存在も認めています。

 と言う事は、「神道は宗教ではない」と、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教は保証している事になり、若しも「神道は宗教である」と主張する人がいたり、宗教として扱う法律が有るとしたら、「宗教戦争」を覚悟しなければなりません。何故なら、「神道」では神は無数に居て、一神教の原理(主義)とは相いれないからです。

 「ヤハウェ」「ゴッド」「アッラー」は呼び方は違っても、世界(宇宙)を創造した同じ「唯一神」です。一方「神道の神」は多神教の神でも無く、有形無形を問わず、全てのモノに内在する(と、各人が感じる)神なので、何も教えないし神数(人数)も不定で、「0~無限」まで容認していて、当然「0、1」の場合は多神では有りません。

 この融通無碍な世界観が「神道」なので、これを「宗教」と思う人は総てを独善的に決め付ける「共産主義教の信者」くらいだと思います。ところで、この「融通無碍」を調べると、

「由来は仏教用語で、この世に在るものは全てが繋がっていて、互いに影響を与えている。」

という意味だそうです。やはり「仏教」は何でも教えてくれるので「宗教」かも知れません。ちなみに「宗」の意味は、因明でいう「宗・因・喩・合・結の一つで、論証しようとするその命題のこと」らしいです。

 どうやら「仏教」は、元を糺せば「宗教」では無く「学問」だったようで、宗派対立が起きて初めて「宗教」が成立したのかも知れません。




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