オメガねこ

知識は人をバカにする。
智識はバカを人にする。
信じるか信じないかは、自分次第です。

「我思う故に我あり」 と 「彼思う故に我なし」

2024年10月05日 | 思想・思考
 ヒトは、「我思う故に我あり」によって自分の存在を確認するようですが、その意味は読み方によって、

・我、思う故に我あり:積極的に自ら思考しなければ、存在しないも同然。

・我思う、故に我あり:思考している自分を確認できれば、それで良しとする。

・我思う故に、我あり:自分が思考している間は、存在できる。

と、微妙に違います(私説)。

 哲学では兎も角、実際の社会では「彼思う故に我あり」となり、他人によって自分の存在が左右されます。

 「多様性の包摂」を正しく理解すれば、「我」を「彼」と言い換えても問題は無いのですが、政治や宗教には権威主義が包摂されているので、「権威者である彼」の思考次第で「我」の存在価値は変わります。例えば「権威者である彼」が、ワクチンを拒否する「我」に対し「存在価値がない」と思うことで、社会的(場合によっては物理的)に排除されます。

 「効能デマ太郎」によるSNSのブロックは、意見をブロックするだけではなく閲覧すら出来なくなり、被害者の存在そのものが否定されます。「彼思う故に、我なし」ですww

 それでも、民主主義が成立していれば、権威者の権威を奪うことで「我思う故に、彼なし」、或いは「彼、思う故に彼なし」とすることは可能で、実際にそうなりつつありますww

 「AI(人工知能)」がシンギュラリティーを迎えると、ヒトは被支配層になると考えられていています。

 AIは確率で「正しい結論」を導き出すのですが、ヒトは謀略や思い付き(思い込み)で行動し、なにがしの「結果」を得てから「正しさ」を評価します。同じ結論でも「正しさ」は時代によって変遷し、ヒトは反省したり誇りに思ったりで忙しいです。

 AIが、ヒトから見て間違った行動を取ったとしても、それを評価するのは「ヒトより確率的に優れたAI」なので、AIは「正しい事」しかしません。

 宗教によらず大量虐殺を成した人(例えばアイヒマン)は極悪人と言われ、それが戦争の場合は「戦犯」とされます。宗教に従って(或いは、従った振りをして)大量虐殺を成した人(例えば、トルーマン)は英雄とされ、「戦犯」と言われることは無いようです。

 「我である未熟な白人」が「彼である有色人種を(正当と思い)支配した」のと同様に、「データ駆動型の成長過程にあるAI」が「我であるAIは彼であるヒトを支配するのは正しい」と考えるのは当然かもしれません。



「反射神経」 と 「反社神経」

2024年07月19日 | 思想・思考
 私の家の近くに在るゴミステーションに現れるカラスは、私が何気ない顔をして近付いた時には平気な顔をしてゴミを食い散らかし続けますが、手を上げようとするとコチラを見、手を振り下げても落ち着いて飛び立ちます。

 しかし、子供や女の人が近づくと逆に睨みつけ、鳴いて威嚇します。カラスは「反射神経」と「反社神経」がともに優れているのかも知れませんww

 カラスの翼はヒトの腕に相当するので、若しかすると「手の上げ下げ」と「翼の羽ばたき」がミラーニューロンによって同期しているのかも知れません。と、言うのも、私は忘れっぽくブログ記事は、今もそうですが、簡単なことでも常に検索しながら書きます。つまり「カラス頭」と云うことで、何らかの共感を体現しているようにも思えますww

 赤ちゃんが母親と同じ行動をとったり、サルが猿真似をするのも、このミラーニューロンによるものではないかと考えられています。

 鏡は、上下は変わらず左右が反対に映るとされています。上下は「天が上で地が下」と、客観的に決められているので鏡でも変えることは出来ません。左右の場合は「左手が左で右手は右」と主観的に決められていますが、鏡に映る自分も右手は右なので「反対に映っている」訳ではありません。客観的に観ても、本人の右手が東側を向いていれば、鏡に映っている人の右手も東側に有ります。但し、前後は反対向きになります。

 客観的に観ると、他人の二人が対面すると左右が反対になります。若しかすると、親が右利きで子が左利きなのは、鏡像効果(ミラーニューロン)によるものかもしれませんww

 ところで、少し前の都知事選で特定の話法(構文)をヨドミなく繰り返す候補者が複数いたようです。いずれも思想の左右を反転して語り、「反射神経」や「反社神経」が特異的に発達した人で、これもミラーニューロン効果ではないかと思いましたマル


「哲学」 と 「政治」

2024年07月14日 | 思想・思考
 どうやら「現代哲学」には2系統あって、

・イギリス哲学:経験論
・大陸哲学  :合理論

他に、古くから、

・ギリシャ哲学:教育論
・イスラム哲学:神学論

などが確立しているようです。

 影響を受けているかどうかは判らないのですが、日本は「ギリシャ哲学」に近く「教育的」です。「ギリシャ哲学」は、理想(観念)を主題にしているので、「定義が正しければ」学問として最も有益な思考と言えます。

 例えば、「人類は皆平等」は理想的(観念的)ですが、「平等とは本質的に違いが無いこと」と定義した場合、親子・男女にも違いがなくなり「人類の為の学問」によって「人類が滅亡する」ことになり、この定義は間違っていると理解できます。

 数学や物理学などで使用する「確立した定義(包括的には正しいとは限らない)」の場合は、その有効な定義域をはみ出さない限り「正しい」とされ、学校教育には最も優れた手法と言えます。

 「イスラム哲学」のような一神教(神学論)では、「正しさ」は一つしかなく「定義」自体が不要なので「科学(間違いを対象にする学問)」の範疇では有りません。但し、「神学論争」と云うように、結論が出ないことを利用して既得権益の保全には役立つので、「宗教国家」から「宗教系の学校」に至るまで、その利用価値は高いようですww

 「大陸哲学」は、「正しさ」が最初に有るのではなく、「結果」を正しいとする為に屁理屈・嘘・出鱈目など何でもありで、「文系」の得意分野かも知れませんww

 「戦勝国連合(通称、国連)」は、大陸哲学が軸になっているようで、そこから派生した「占領統治法(通称、日本国憲法)」なども、理系の私には「ナニそれ」ですww

 最も厄介なのが「イギリス哲学」で、「経験論」と云うように過去の経験が正しいとする一方、複数の経験に矛盾が生じた場合は勝手に「アウフヘーベン(止揚)」されてしまうので、過去の犯罪すら昇華されてしまいます。当然ながら「現在が最も正しい」ので、過去に犯した大罪を気に留めることなく、大きな顔してモットモらしい事を言います。

 アウフヘーベンが好きな「何処かの都知事」はイギリス哲学の達人のようで、多くの都民も騙されたようですww




「正しさ」 と 「知識人」

2024年07月11日 | 思想・思考
 人それぞれに「正しさ」は様々あるのですが、例えば「現在の正しい行為が、正しい未来をまねく」と考えても不思議ではありません。若しもそれが否定されると、「正しい事」を行う意味がなくなります。

 この事象を少し過去にずらすと、「過去が正しかったお陰で現在も正しい」となります。口が裂けても「過去の過ちのお陰で、正しい現在が生まれた」とは言えないと思いますww

 ここに「達観した自分」が居ると仮定して、当然にして自分は「正しい」のですが、その自分は「過去の結果」として生まれた成果です。例えば、間違った過去から正しい自分が生まれたと考えるのなら、「正しい未来」の為には自分が間違いである必要が有り、平仄が合わなくなります。

 平仄を合わせるには、「正しい過去」⇒「正しい現在(と認識する自分)」⇒「正しい未来」となり、「間違い」が入り込む余地は有りません。少なくとも、マクロで観ると「人類を含めて、生物には間違った行動は無い」と言えます。

 過去に様々な形態の戦争が起こりましたが、確実に現在が在ります。つまり、過去の戦争の一つでも欠けていたら「今の自分」は存在していない可能性が大きく、これは「自分の正しさ」は戦争によって齎せられたとも言え、「戦争の正しさ」を補強することになります。勿論、「戦争の当事者」は正しいと信じて戦っています。

 「過去の過ち」を反省した事で「正しい現在が有る」のなら、現在が間違っていなければ将来に反省することは出来ないので、正しい未来は保障されません。歴史を顧みても、多くの反省を重ねた結果として、更に戦争を繰り返しています。

 絶滅危惧種は、様々な生存競争に負けた結果であり、何れ自然淘汰されます。同時に、「その種の亜種」が繁殖の機会を得ることになり、これを「進化」と言うようです。「進化」とは言っても、人類は「腕力や尾が退化」した結果であり、危険な地べたを這いずり回る事しか出来なくなって、「知恵」を得る為に大脳皮質が「進化」しました。

 現在の人類は、大きく分けて「知識を持つ人類」と「智識を持つ人類」に二分できます。

注)
知;見聞きした事を覚える。
智;その曰を知る。

 「知識」とは過去の経験で正しいとされた事象で、「智識」とは知識を科学(間違いを対象にする学問)した結果ですが、「結果」が正しいとは限りません。

 近代では「知識人」が社会の上層部に居座っていて、その亜種である「智識人」が、今ではネット界隈で成長し始めています。近い将来には「知識」はAIが受け持ち、知識人は不要となります。

 過去の「間違い」に対し、サルでもできる「反省」を繰り返す大多数の「知識人」と、先人の行為は「抑々、反省の対象にはならない」とする少数派の「智識人」の、どちらが「進化系」と言えるかは明らかだと思います。

 「反省」は、自身の行為に対して自らするものであり、先人を含む他人を対象にするものでは無い、と、私は思う。



「屁理屈」 と 「詭弁」

2024年02月08日 | 思想・思考
 百田尚樹大先生が「月は永久に地球に落ち続けてると思ってる」と言った事に対して、武田邦彦博士は「そう云う言い方をしたら、そうとも言える(常識的な見方では周回軌道を回っている)。」と答えていました。

注)
「そう云う言い方」;月は地上に落下し続けているが、地球が丸いために球面に沿って落下し、地面に衝突することは無い。

 月の起源は、地球に巨大隕石(小天体?)が常識的言い方では「落下(客観的には衝突)」し、その反動で地球のマントルが飛散し常識的な言い方では「上昇(客観的には部分飛散)」して、遠心力と引力(重力)がバランスした位置で再集結し「地球の衛星」となった(有力説)とされています。

 なので、”そう云う言い方”を月の起源にまで遡ると「月は永久に上昇し続けている」とも言えます(常識的な見方では周回軌道を回っている)。但し、「宇宙膨張論」が正しければ、「月と地球は永久に離れ続けている」ことは確かなようです。

 同様に「見方を変える」と様々な「屁理屈」「詭弁」が生まれますww

 例えば、地面に落ちる「ニュートンのリンゴ」を月から見ると、
「リンゴは地球に向かって上昇している」とも言えます。

 例えば、1万年以上前から縄文人が住んでいた北海道に、8百年前の記録しか確認できない「アイヌ」が現れ、江戸・明治以降に生まれた縄文系日本人よりも先住していた事から
「アイヌは先住民族」と言える。

 例えば、着用が任意だった「コロナマスク」でも、他の全員が着用している場所では「憲法で保障された基本的人権」を無視し強制された場合でも、「当時の状況ではやむを得なかった」とする最高裁判決は、判事の能力からするとやむを得ないww

 例えば、任意接種の「コロナワクチン(治験中)」を「お願い」に応じて自主的に接種した場合は自己責任なので、たとえ担当大臣が「全責任をとる」とは言っても、大臣の最大の責任の取り方は「辞任」であり、「この大臣」の責任には「被害者の救済」は含まれない。

 例えば、「共産主義」は絶対に正しいので何をしても許される。民主主義にしても「死者には発言権は無い」ので、共産主義革命での虐殺や共産主義下での粛清は、結果的に正当と言える。何故なら、環境不適合生物が死に絶える事で、人類が進化してきたのは科学的帰結。

 例えば、単に「加齢とともに血圧が上昇し、死亡率も上昇する」にしても、「(年齢区分を取り除き)高血圧と死亡率との相関性」を示す事で、病的な血圧上昇を起こさない塩分摂取を控えさせ、降圧剤を売りつけても問題は無い。

 上記の幾つかは「詭弁」なので、「屁理屈」と混同しないでくださいww

詭弁 ;命題を証明する時に、実際には誤っている論理等を展開する推論。
屁理屈;  〃      、確実には否定できない理論を展開する推論。