教皇ヨハネ・パウロ1世(アルビーノ・ルチアーニ)の列福に必要な奇跡が認定されています。
列福(れっぷく)は、キリスト教、カトリック教会において徳と聖性が認められ、聖人に次ぐ福者の地位に上げられることをいいます。
教皇は、ヨハネ・パウロ1世(在位:1978年8月26日~1978年9月28日)の列福に必要とされる奇跡を認めたそうです。
奇跡の内容は、2011年、アルゼンチン・ブエノスアイレスで医学的に非常に重篤な状態にあり、死が迫っていると診断された11歳の少女の回復を、地元の小教区の主任司祭が、少女の母親や集中治療室担当の医療スタッフと共に、尊者・神のしもべヨハネ・パウロ1世に取りつぎを祈ったところ、少女は回復し、これがこのたび奇跡として認定された内容です。
皆様方が暮らされているのは偶然の世界です。
科学で解明できないことが起こると「何で」「不思議やな~」「どな~になったん」・・・「奇跡が起こった」などとなります。
人体については特にその傾向が強く出ます。根本が間違っている医療科学のみが信じられているために、そのようになってしますのです。
大勢集まると、波長の合う者同士が同席し病状が良くなる場合があります。宗教などで一同にお経を唱えることでも同様のことが起こります。原理原則が解らないため、稀にしか起こりません。
医療科学が全く違った方向で進んできたために、これ等のことが解明できないのです。全て「奇跡」で片づけられてしまいます。
入信されても、先ず病気が治ることはありません。
上記の内容(ブエノスアイレスの事例)なら日常茶飯事に日本各地で起こしています。
昨晩も指定難病39:中毒性表皮壊死症の治療に成功しています。世界初でしょうね。
末期ガンは、ここ以外では治すことが出来ません。
医療科学は、病気となる原因を解っていません。
まったくお門違いな治療法を考え出されて実践されています。患者は辛く・しんどい思いをし亡くなっていきます。
医療現場の治療と小生の方法では決定的に違っていることがあります。それは、
・先ず助かること
・副作用がないこと
・日常生活を続けながらできること
・不快な症状が短期間でなくなること
・飯がうまいこと
・再発がないこと
・効果がないことが考えられないこと
などです。
未だに、苦い経験があるにもかかわらず、ガン・難病などでお困りの方を見かけては、お越しになるように連絡しています。
返事はありません。
「ここ」にさえ、くれば助かるのに、自ら命の灯を消そうとしているようにしか思えません。
残念です。
病院で助からないその命、救えるのは「ここ」しかありません。
その「命」救っても、小生からすれば「奇跡」ではありません。
当たり前のことなのです。
地球上では唯一選ばれた人間です。
どうぞ、小生が存在するうちにお越しください。
その「命」救って見せます。
「神山町診療所」兼「ライフクリエイト匠」代表 三奈三奈央人