百合子の日記

鍵かけた? 記憶の扉 開かない 

岸田劉生展…大阪市立美術館とジャンジャン横丁

2011-09-23 | 日記

大阪市の高齢者は無料ですって。吹田は何かないのかな?

岸田劉生は教科書にもでてきて有名な人ですが、詳しくは知らなかった。

38歳で夭逝。肺結核を患っていた。

回復したのに、京都時代、山口時代に飲み食い遊んだのが、早死にの原因と説明書きがあった。

死んだあと評価される人も多いのに、この人は生きているうちに評価されていたようです。

 

あとジャンジャン横町の串カツの”だるま”へ行った。

12時少し前に行ったがすごい行列で、1時間15分待った。

テレビでも紹介されていて、八重勝とも行列が長かった。

 

 


堀 文子さん NHKの対談を偶然観て驚いた…9月19日

2011-09-20 | 日記

この年まで生きてきて知らないことの多いこと!

堀文子さん…母と同じ年で93歳。画家。

この方は、年をとってるのにこんな事ができるという次元でない。

話されていることは一般の若い教養のある人と同じ。

この驚きをうまく説明ができないのが残念。みんな聞いてみてよという感じです。

さっそくネットで調べてみた。

私なんかこの方から比べるとかなり若い。

でも言語が出てこなくて、おたおたすることが多い。

 

「群れない・慣れない・頼らない」という言葉が残っている。

 


芦屋 ”食楽 板垣” …9月18日

2011-09-20 | 日記

田舎より姉が来る。

姪夫婦の豪華マンション(本人いわく値段が高いだけ)に行く。

雑誌で調べて、芦屋に食事に連れて行ってくれた。

松花堂会席弁当 2800円也

あまり大きくない店だけど、器もこだわっていて、みんな違ったもので出てくる。

少しづつ、種類がたくさんあって、お味も上品で完食した。

姉はホントに食べない人だけど、この人も完食でした。

お料理も写真にとって帰ったのですが、帰ってびっくり。

SDカードを、パソコンに差し込んだままになっていて、また残念!

赤ちゃんの写真もあったのに~

いただいたお店案内よりスキャン。本物とはちょっと違う気がする。

 


ブルーベリーを植えた…9月12日

2011-09-14 | 日記

そろそろ秋に何か植えようとコーナンに行った。

植木を見ているとブルーベリーがある。

いつかテレビのドラマで実をちぎって食べてたのが浮かんできて買いました。

レジのところで木を1本だけ買おうとすると、2本でないと実がならないという。

土についても聞くと、専用の土があるということで、3袋買った。

その時揃えはしたが、難しいとすぐに思ったが、変更するのも面倒で買ってしまった。

さあ!どうなるやら。

オリーブも4年たっても実をつけさせられないのに~


コンビニ大発見! また来たいと思うコンビニ

2011-09-11 | 日記

今日は予約したチケットの交換日なので、A型人間としては、やはり少し早めに行っちゃった。

近くにあったローソンがなくなったので、少し先に車で行く。

いつものことだが、チケットの機械は難しい。

中年といってはすこし若めの女性が気にかけてくれる。

10時からなのに少し早めに行って買い方を確かめていると、声をかけてくれる。

ふつうコンビニって決められた口上を無表情な顔で言うだけなのに

笑顔とともに心配してくれている。もちろん他のお客さんにも気を配っている。

時間が来て交換ができて、レジに並ぶと他の作業をしていたその人は

「大丈夫でした?」と聞いてくれて、閉まっていたレジへ連れて行ってくれた。

ポイントカードをすすめられ、また来たいという気持ちで申し込んだ。

これから高齢者社会、こういったスタッフがいると助かる。

意外にお客さんにお歳のかたも多かった。

「こんなスタッフの方を年齢に関係なく大事にしてあげて!!」

 

 

 


落合恵子さんの「積極的その日暮らし」より

2011-09-04 | 日記

     丑三つどきの

 「いかに自分で自分を楽しませるかが、人生の基本よ」

 そんな風におっしゃったのは、いまは亡き映画評論家小森和子さん、「小森のおばちゃま」たった。

 自分で自分を楽しませる……。特に年齢を重ねたものにとって、これほど豊かな自分へのごばうびはない。

 「わたしを、知らない読者もいるでしょうね。そんなものよ。いつかは、誰もが忘れられていく。
だから、ひとの目に映る自分ばかり気にして、自分を鳥かごに閉じ込めてはだめよ」
 小森のおばちゃまなら、そう言うかもしれない。
 この「人生の基本」を彼女に伝えたのは、かのシヤーリー・マックレーン、ハリウッドの大スターだ。
「How to entertain yourself」だったと思う。
 確かに、自分で自分を楽しませる方法を幾つか持っているひとは、つよい。持参可能、持続可能な能力であるのだから。その上、スマートフォンよりはるかに軽量。

 さて、わかしにはどれくらいあるだろうか、と考えてみる。
 わたしの場合は、持続は可能でも、持参可能ではない。楽しむ場所も時間帯も限定されている。
わが家で、午前二時頃、丑三つどきの、楽しみである。
 次の季節のための種蒔きも、あるいは幾種類かのカレー作りもまた。
 時間に急かされない丑三つどき、いつもよりスパイスに凝ったカレーを作る。
たいていは二種類・同時進行。シーフードとビーンズというように。あるいは、チキンと秋野菜というように。
作ったそれらを冷まして小分けにし、冷凍庫に収める頃には、夜が明けている。
眠りの波に乗り損なって、下手な俳句をひねるのも、丑三つどき。
 一年草の場合は花をつけ、やがていのちを終える。カレーも食べてしまえば、消える。
句をメモった紙切れも、朝にはなぜだか行方不明になっている。
 ……といった按配で、楽しんだものたちは跡形なし、というのも、わりと気に入っている理
由であるのだが。                            (2010・10・2)


                                             読取革命