入院した日から退院までを1日ごとに日記の形で書いてみました。
2月12日(土)
家を出るときに娘が寂しそうにしていた姿に涙が出た。
入院前の財布を無くしてバタバタしてしまいました。
病室のベットと枕が身体に合わず夜2時間おきに目が覚めて完全に寝不足。
病室で無料WiFiが使えたため夜にテレビ電話で家族と話ができた。
2月13日(日)
妻に頼んで枕とタオルケットを差し入れしてもらう。
面会がダメだったが、看護師さんの好意で少しだったが妻の顔をみれたのが嬉しかった。
食事は13日の朝食まで、シャワーは15時まで、水は手術当日の14日の朝7時まで・・・との説明を受けた。
2月14日(月)
4時50分に目が覚める、6時30分に手術着と血栓防止用タイツに着替えた。
8時50分に点滴をぶら下げながら看護師さんと2人で手術へ移動、ドラマでしか見たことのなかった手術室に入って緊張がMAX。
全身麻酔がかかったかどうかの確認をした時点で意識を失った。
意識が戻る途中で妻の声が聞こえた・・・後から病室に戻った際に声をかけてくれたことがわかった。
意識が戻った途端に強い吐き気に襲われて血がまじった痰の塊を2度吐いた。
ナースコールで看護師にきてもらって麻酔の量を調節してもらう。
麻酔の影響で夕方ぐらいまで寝ていた。
夜になると全身麻酔が切れたようだった・・・痛みと全身の痒みで寝ようとしても10分おきに目が覚める・・・を朝まで繰り返した。
1時間おきにナースコールを押したと思う・・・左手しか動かすことができない・・・亡くなった祖父のことを思いだして傷口に手をあてながら朝まで過ごした。
2月15日(火)
朝の回診で先生から出血量が少なく傷の治りが順調そうだと説明を受けた。
両方の腕に点滴、尿管、お尻に管、背中に麻酔用の管、傷口にドレーン、そしてオムツをつけて左手しかまともに動かすことができない自分の姿に愕然とした。
尿管を外してもらうには、「トイレまで歩けること」が条件となっていたため気合だけで身体を起こしてリハビリに臨んだ。
数メール歩くのがこんなにキツいのかいうぐらいにキツい・・・痛みと全身のだるさで卒倒しそうになった。
この日は痛みよりも痒みのほうを辛く感じるようになった・・・頭のてっぺんから足のつま先まで痒い・・・こんな状態がいつまで続くのだろうかと考えるとストレスと苦痛の連鎖・・・。
とてもじゃないが娘に見せれる姿ではないのでテレビ電話は断った・・・
天井を見上げる時間がとてつもなく長く感じる・・・1日が1週間のようだ気分だった。
2月16日(水)
リハビリでナースステーションまで歩けたことが主治医にも伝わって尿管と肛門の管を外してもらえることになった。
肛門の栓が血だらけだった・・・
硬膜外麻酔の影響もあって尿意と便意を全く感じない。
看護師さんからの指示で2時間おきにトイレにいく。
看護師さんに何度も痒みについて訴えていたので保湿剤を出してもらえるようになった。
妻に連絡して身体拭きシートと市販の軟膏を届けてもらった。
同封されていた娘の手紙を見たら号泣してしまった。
2月17日(木)
お昼から食事が出た・・・5日振りの食事・・・食べられることが嬉しかったが・・・重湯とゼリーはほんとに不味かった・・・
リハビリの作業療法士さんが気を使ってくれて外の空気を吸わせてくれた・・・日常生活にちょっとだけ戻れたような気がした。
食事の開始と併せて一番重要なのが「術後合併症が起きるかどうか?」・・・
不安を感じながら自分の回復力を信じて過ごした。
2月18日(金)
お昼から食事が五分粥になった。
お腹から出ているドレーンと背中の痛み止め、点滴を外してもらえることになった。
6日ぶりのシャワー・・・立っていられなかったので床に座り込んだ形でなんとか身体を洗うことができた。
麻酔が抜けたが尿意と便意が全く感じないのが不安で仕方がなかった。
2月19日(土)
全ての管が抜けたことで1日リハビリを頑張った。
先生が希望を聞いてくれて20日に退院できることが決まった。
この日、こっそり売店でこっぺパンを買って病室で食べた・・・塩気と甘味が口の中に広がって感動すら覚えた・・・タレント並に食レポができそうな気がした。
2月20日(日)
11時30分に妻が迎えに来てくれて退院した・・・外の空気がほんと美味しかった。
ファミレスに入って子ども用のうどんとゼリーを食べた。
めんつゆの味が驚くほど美味しかった・・絶食が続いたせいで普通の味がとてつもなく美味しく感じた。
9日ぶりに娘と会った・・・最初よそよそしい感じだったが、久しぶりに見た笑顔に癒された。
「こうして3人で過ごせるのが幸せなんだよね~」という娘の言葉が嬉しかった。
ちょっと見ない間に成長したのかもしれない・・・。
<横山専務のコメント>
私は入院してから9日間、手術後1週間で退院することができました。看護師曰く、「横山さん多分最短記録ですよ!」と言ってくれたました。
平均2週間程度の入院が通常であるとのことでしたので・・・無理してでもリハビリに取り組んだこと、そして術後の合併症が何も起きずに経過が良好だったことが幸いだっと思っています。
退院して実家に向かい亡くなった祖父の仏壇に線香をあげて手を合わせました。
目に見えない何かに感謝をしなければならないと感じました。
コロナの影響で面会禁止となっていた中、主治医の先生や看護師さん、作業療法士さん達の言葉や気遣いには精神的にも支えられました。大変な仕事だと思いましたし、頭が上がらない、感謝では言い表すことのできない気持ちになりました。
例え仕事・・・だとしても自分にはとてもできない・・・と感じました。
食事ができること、お風呂に入って身体が洗えること、睡眠がとれること、家族と一緒に家で過ごすことができること、・・・などなど病気になってみて「日常当たり前にあるものを大切にしよう」と胸に刻んだ9日間だったように思います。