旅の思い出

記憶遺産を作っていきたいです。

南アフリカ その12(2020/2)感動の喜望峰 (終わり)

2021-01-24 18:48:00 | 日記
6日目

「喜望峰」
喜望峰はケープタウンから50km南へ延びたケープ半島の突端にあります。アフリカ大陸の最南西端です。 

日本から遥か遠いところにある喜望峰 そこは誰にでも知られている地です。



(無料画像より)

喜望峰へと
ケープタウンから車幅の広い道路を南に走ります。

よく自転車(原付きもあるそう)で走っているグループを見かけました。

ここではケープ半島を一周する「ケープタウン・サイクルツアー」があるそうそうです。



前を走っているトラックは荷物も人も落ちそうな様子です。
日本では決して見られない光景です。



ケープ植物区保護地域という緑の美しい景色の中を走ります。
(お天気がもうひとつ)



喜望峰

世界遺産にも登録された半島を通ると突端の喜望峰に到着。

 そこは観光施設などなくシンプルな「CAPE OF GOOD HOPE」の看板が迎えてくれます。


観光客の撮影スポットとなっています。




約520年前 日本でいえば室町(戦国)時代に命がけの冒険が行われていた偉大な歴史を持つ海です。

1488年にポルトガル人のパルトロメウ・ディアスがヨーロッパ人として初めてこの地に到着します。

その10年後に有名な冒険家ヴァスコ・ダ・ガマ達がインドにたどり着く際の重要な経由地となったのがこの喜望峰です。 

これにより、ポルトガルはインドのゴアや中国のマカオを拠点に香辛料などの貿易を行い大きな利益をあげました。



海岸にたつと冷たい大西洋(右側)と暖かいインド洋(左側)の海流がぶつかっている海原がひろがつています。



喜望峰が一望できるケープポイントへ向かいます




喜望峰から車で約5分で駐車場に着きました。
駐車場からケーブルカーで頂上へ向かう途中に、だんだんと雲いきが怪しくなってきていました。


満員のケーブルカーで出発です。






途中 徒歩で登る人も見かけました。



ケープポイント
すぐにケーブルカーは終点駅に着きます。
高台には旧灯台かみえます。
そこに向かって登っているとついに雨がポツポツと降り始めました。




旧灯台まで登りながら振り返ると喜望峰の姿がぼんやりと見えました。

お天気が良ければ鮮やか風景が見えたはずですが、これも良い思い出です。


旧灯台



世界中からの観光客が訪れるのでしょう。
旧灯台の敷地にはロンドンやシドニーなどの都市までの方向と距離を示すポールがあります。
以前には「TOKYO」もあったそうです。


子どもの頃学んだ「喜望峰」まさかそこを訪れるなんて、、、時間って素晴らしい事をプレゼントしてくれるんですね。
感動と感謝でいっぱいでした。


南アフリカ その11(2020/2)テーブル•マウンテン

2021-01-16 11:41:00 | 日記
5日目午後

「テーブル • マウンテン」(テーブルマウンテン国立公園として世界遺産に登録)

ケープ半島北部にある山で標高1086メートル、頂上部はテーブルのような平坦な部分が約3kmあります。 

ケープタウンの街をツワーのバスで走っていると、どこからでも「テーブルマウンテン」が見えました。 

その独特で美しい姿も思い出です。



テーブル • マウンテンはケープタウンの象徴です。
まるで日本の富士山の様です。


ロープウェイに乗って頂上へ向かいます。
ゴンドラは内部が360度回転し、あらゆる方向の絶景を見る事ができます。

歩いて登る事もできるそうです。



頂上に近づいて行くと、その平らさがよく分かります。


頂上からはケープタウンの街、その先には大西洋が美しく見渡せます。

左手にかすかにロベン島が見えます。



地平線を遠くに青い海と青い海がとても美しく輝いています。(逆光のため残念ながら暗い)



お洒落なレストランやお土産屋もあります。
ここでお土産のTシャツを買いました。



可愛い小動物も出現






これはトカゲ

 
獲物を見つけたのかな


赤い目のハトかな


素敵な笑顔にここでもあえました
(Webに載せる許可を得てます)




 

不法移民の人々が住んでいる地域です。
彼らは安い労働力としての存在です。


不法移民の人々にために、綺麗な住宅が建築されつつありました。




南アフリカ その10(2020/2) ロベン島 - ネルソン•マンデラ氏が収監されていた収容所の見学

2021-01-08 21:39:00 | 日記
「ロベン島(世界遺産)」
ロベン島はケープタウンから約12kmの沖合のテーブル湾にあります。
別名 監獄島 と言われています。 

ネルソン•マンデラ氏
(1918 - 2013)

共和国時代の1948年にアパルトヘイト(人種隔離と差別の制度)が法制化されると、抵抗する多くの黒人活動家が政治犯として捕えられ収監された強制収容所があります。

アフリカ共和国初の黒人大統領となったネルソン・マンデラ氏も政治犯として18年間にわたり 収監されていました。

他の強制収容所の収監も合わせると27年間になります。

マンデラ氏の統合が長期化すると、南アフリカだけでなく世界中の人々が彼の釈放を求めるようになります。

国の内外の圧力に押されて、南アフリカ国民党政府はアパルトヘイトの撤廃を決断し、1990年ついにマンデラ氏は釈放されました。翌年の1991年には法律は廃止されます。

1994年に全人種による総選挙が行われ、マンデラ氏が第8代大統領に就任し、全人種の融和を推し進めます。

アパルトヘイトと闘い自由を叫び続けたマンデラ氏の言葉からは、多様な民族が存在する南アフリカという国で、国民全員(白人も非白人も)の自由を実現するための強い意志があります。



南アフリカ共和国の国旗

1994年の大統領就任演説で「異なる色が重なり輝く虹のように、多数の人種が融和する国造りを」という願いを込めて、レインボーネーション(虹の国)と言い表しました。

1994年にデザインされた南アフリカ共和国の国旗はマンデラ氏の言葉からレインボーフラッグと呼ばれています。



出発




美しい景色のなかを進みます






出発して30分程で到着です
(web公開の許可を得ています)



到着してのすぐの建物
お土産店も入っています


当時 囚人を運んだ船が展示されています


強制収容所は政府の管理下、博物館として一般公開されています



金網がはられた敷地へと


中から
外へ出るのは厳しい金網の柵があります


当時の様子の掲示板
「FREEDOM」と書かれています



強制収容所の建物



説明を受けた後
中の様子を見学


個室
この様な部屋で自由と民主主義への希望を失なわず戦ったきたという事実が信じられないくらいでした。
( 個室をもらえるのはまだ良い方との事)



中庭の様な広いスペース



ここでも説明が


当時の石割りの重労働の様子



青い空と紺碧の海に囲まれたロベン島
その歴史は厳しいものがありました


参考:wikipedia, nikkei.no, ide.go.jp





南アフリカ その9(2020/2) 南アフリカのワインの聖地「ステレンボッシュ」

2021-01-01 21:04:00 | 日記
4日目午後〜1泊

南アフリカのワイン聖地「ステレンボッシュ」


ケープタウンから東に50kmに位置しています。


この地方は気候と渓谷がヨーロッパに似ており、また肥沃な土地に恵まれていることから葡萄が栽培されていて、南アフリカの美味しいワインが堪能できる町です。


優秀なワイン.エステートの多くがここにあり、国内でも人気の高いレストランも沢山あります。


この地域はサイモンスバーグ山脈とパペガーイバーグ (「オウムの山」) の間に位置しており、オークの並木道があり、白塗りのケープ・ダッチ建築の脇を学生が自転車で走り抜ける、美しい学生の町でもあります。

参考:yahooより



美しい空と山々そして広い道路を進みます





前方にはフルーツを運ぶトラックでしょうか


美しい自然の中にある南アフリカ•ワインの
ワイナリー「Spier Wine Estate」にて試飲
ワイナリーに入ります

店内はお客さんで混み合っていました

試飲です
ワイン通でなくて^^;

ワイナリーの美しい庭です



昼食はレストラン「De Volkskombuis」、
木々に囲まれた美しい中庭で。

もちろんワインもありました。









この日の宿泊「プロテア•ホテル•ステレンボッシュ」

ぶどうの木に囲まれた歴史を感じるホテル。



ホテルで出会った素敵な笑顔の人たち
(Webに載せる許可をいただいています)