丹波のyosiyan !

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震災があった日。

2006-01-18 06:08:00 | 日記
おはようございます。
 昨日17日は、11年前阪神淡路大震災が起きた日でした。
 発生した時間が来るとなぜか変な気分、あの朝を思い出します。
 私は震災の被害はほとんど無かったんですが、友人2人は瓦礫の下敷きで亡くなっていたのを昨日のように今だ鮮明に覚えています。
 確かに記憶は11年も経つと、おぼろげになりつつありますが、あの時間に起こったことは今でも、はっきり憶えています。
 突き上げられような感覚で目を覚ますとまさに、横揺れの真っ最中、早く逃げないと危ないと思いましたが、暫くすると揺れが少し落ち着いてきたので、そのまま、家の中でいました。
 その時、一瞬電気は付いたんですが、直ぐ停電してしまい、布団の中で1時間少しじっとしていたのを思い出します。
 7時過ぎになって起き出し、停電も復旧していたので、TVをつけると神戸の町並みが映し出された映像は信じ難いものでした。
 あっちこっちから煙が上がっているは、建物は殆んど倒壊しいるはで、慌てて実家のある宝塚に向かいました。
 普段なら40分で行ける距離なのに、3時間かかったのを覚えています。
 家の電話で会社に連絡しようとしてもつながら無いので公衆電話を探しながら向かったんですが、何処も長蛇の列で会社にも連絡できないでいました。
 途中、いつも利用する有料道路は通行止め、仕方が無いので峠越えしていたらダンプカーは、壁に激突しているは、道路はあっちこっち陥没しているは、電信柱は倒れているはで、とてもまともに走れなかったですね。
 そうこうしているうちに実家に着くと住んでいる県住は無事だったのでホッとしながら階段を上がり部屋を見ると、もうすっごい状態、箪笥や家財道具が散乱していて、もう足の踏み場も無いほどでした。
 でも怪我も無く元気にしていたので避難所に行く様言ってから、家路に着きました、こんな酷い災害だから、休みか片付けに来てくれといわれるだろうとたかをくくっていたら大誤算、店に着くと長蛇の列で、直ぐレジに入り接客、皆身内に食料を届けようと買出しに来られていたんですね。
 前日発注したものはその日届きましたが全て売り切れ、2.3日の間に店の棚がものの見事にすっからかんになりました。
 店には一週間品物が入らなかったのも思い出します。確かこの1週間不休で働きました。
 発注した品物は1ヶ月間半分以下の入荷でした。
 その間、来られたお客様に品切れを伝えるのが凄く辛かったですね。
 
 11年も経ちましたが、今だ復興できない人がたくさん居られるのが、神戸の実情です。
 今年、災害復興住宅の家賃軽減措置もなくなり今後、被災者の生活はまだまだ苦しくなる事でしょう。
 復興に10兆円規模の予算が投入された事を聞きましたが、心の復興に程遠いのは、個人の為に殆んど使われなかった、住宅再建には義援金と税金の軽減だけだったと思います。
 後は低利の融資で凌いで下さいという冷たい政策しかしない国ですからね。個人の補償はしないのが原則の国ですから、致し方ないのが現状です。
 その後の各地で災害が多発しましたが、おなじような政策しかしないでしょう。
 この震災で培った教訓は、今は全く違う仕事をしておりますが、どんな仕事をしても、どんな時にでもすぐに皆さんの役にたつ仕事ができるよう、日々努力していけたらと思えた震災でした。