ここは数年前まで、春になるとたんぽぽやいぬのふぐりが咲きあたたかな陽射しにうっとりできるような土手となっていたある丘上のお宅の土地の一部でした。
いまはコンクリートの灰色。生命の温もりや土と草の優しさから閉ざされた壁、場になりました。
この上には、箱状のよくあるプレハブハウスが狭い緑の乏しい庭と呼べる場のない土地に建っています。
わたしの父がプレハブハウスメーカーの人事勤務だったものですから、よくよくプレハブハウスについては良さも悪さも両面わかってるつもりですし、つまりはうちもそうならざるを得なかったですけれどね。
たまたまうちは先代がこのまちがまだ山を切り崩しはじめた段階、人の本当に少なかった時代に、広い土地を買ったので、箱が建っても菜園や庭ができるスペースが出来たとも言えますが、それよりなにより、祖父のこころを受け継いで、そういう場を父が残したのです。
その前、祖父の代は平屋瓦屋根で縁側があったのですが、陽だまりの中、縁側で祖母と食べた果物の爽やかさや、日除けの藤棚、裏の祖父の畑と手造りの物置き小屋。庭の木々がみな家族のように愛おしかったこと。今でも夢に現れたりして、よく思い出します。
このまちもセンスを外してる場がこうして年を追うごと、センスのない経済優先さに押されて増えていった町ではあります。
だけど、まだまだ残っているし、光を持った次世代が息吹をあげているのも、最近目に見えてきたので、
それがわたしの希望です。
ここはコンクリートの壁になってしまった場所の近くに残された緑です。
全く場の波動がちがう。
土が感じられ、多様な種類の緑がこの場を分け合って生きている。豊かですよね。
春は陽射しをより暖かくし、夏は陽射しを和らげてくれる
秋も冬もそうしてお日様とともに地球の一部として呼応してくれる場、
そしてこれは切り崩されてきた中で残された、懐かしい山の名残りなのです。