大河ドラマ「軍師官兵衛」を毎週楽しみに見ています。
先週と先々週の大河はまさに宇都宮氏の忙殺にまつわるシーンが登場しました。
3度目になりますが、官兵衛が最初に九州の地に居を構えた中津城に行ってきました。
大河を見た後の中津城に対する想いは次元の違うものになりました。
中津城は、大分県ですが福岡県との境界にあり、北九州から車で2時間くらいのところにあります。
中津城
中津城は、九州征伐の恩賞として豊臣秀吉より豊前6郡を拝領した黒田官兵衛が
山国川河口に築城したのが始まりです。
城郭の形が扇の形をしていたことから「扇城」とも呼ばれていました。
姫路から移封された当初は、現在の行橋市にある馬ヶ岳城に入城していましたが、
山奥であり、発展を考えて中津に移したらしいです。
黒田官兵衛が普請した中津城の石垣は、近世城郭の石垣としては九州最古のものです。
黒田氏の石垣に細川氏が石垣を継いだ境が見られます。
古い黒田氏の積んだ石垣の方が立派に見えますね(笑)。
稀代の軍師黒田官兵衛に唯一無念だったのは、宇都宮氏の滅ぼしたことでしょう。
ただ、これは官兵衛の英知で宇都宮氏を部下として迎えることで宇都宮家の存続を図りましたが、
秀吉の宇都宮氏の滅亡か、黒田の滅亡か迫られ、当然のことながら、黒田家の存続を選択したことに寄ります。
この頃からの秀吉は、好きではなくなりました、秀吉好きから筑前のネームにしているのですがねぇ(笑)。
宇都宮氏の忙殺を官兵衛が行ったと言うことで、官兵衛好きに陰りが出ましたが、
大河で真因は秀吉にあることがわかり、一層官兵衛が好きになりました(笑)。
黒田官兵衛(実際には長政)に滅ぼされた宇都宮鎮房(しげふさ)をまつった城井(きい)神社です。
宇都宮鎮房は、この地に埋葬され、後の中津藩主小笠原長円が宇都宮鎮房を「城井大権現」として、
城の守護神として祀るようになりました。
未だに、宇都宮氏を慕う地元の方達の気持ちが伝わってきました。
動画もお楽しみください。
中津城を様々なアングルでとらえました。
動画の下の画質ボタンで最高画質1080P、全画面にして見るときれいですよ。
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