筑前の国からこんにちは!

北九州市を中心に、福岡県とその周辺の情報を発信していきます。

軍師官兵衛を訪ねて・・・中津城

2014年09月24日 12時08分31秒 | 史跡


大河ドラマ「軍師官兵衛」を毎週楽しみに見ています。


先週と先々週の大河はまさに宇都宮氏の忙殺にまつわるシーンが登場しました。


3度目になりますが、官兵衛が最初に九州の地に居を構えた中津城に行ってきました。

大河を見た後の中津城に対する想いは次元の違うものになりました。 



中津城は、大分県ですが福岡県との境界にあり、北九州から車で2時間くらいのところにあります。



中津城

中津城は、九州征伐の恩賞として豊臣秀吉より豊前6郡を拝領した黒田官兵衛が

山国川河口に築城したのが始まりです。

城郭の形が扇の形をしていたことから「扇城」とも呼ばれていました。








姫路から移封された当初は、現在の行橋市にある馬ヶ岳城に入城していましたが、

山奥であり、発展を考えて中津に移したらしいです。

 

 

黒田官兵衛が普請した中津城の石垣は、近世城郭の石垣としては九州最古のものです。

黒田氏の石垣に細川氏が石垣を継いだ境が見られます。

古い黒田氏の積んだ石垣の方が立派に見えますね(笑)。

 

  

稀代の軍師黒田官兵衛に唯一無念だったのは、宇都宮氏の滅ぼしたことでしょう。

ただ、これは官兵衛の英知で宇都宮氏を部下として迎えることで宇都宮家の存続を図りましたが、

秀吉の宇都宮氏の滅亡か、黒田の滅亡か迫られ、当然のことながら、黒田家の存続を選択したことに寄ります。

この頃からの秀吉は、好きではなくなりました、秀吉好きから筑前のネームにしているのですがねぇ(笑)。


宇都宮氏の忙殺を官兵衛が行ったと言うことで、官兵衛好きに陰りが出ましたが、

大河で真因は秀吉にあることがわかり、一層官兵衛が好きになりました(笑)。
 

黒田官兵衛(実際には長政)に滅ぼされた宇都宮鎮房(しげふさ)をまつった城井(きい)神社です。

宇都宮鎮房は、この地に埋葬され、後の中津藩主小笠原長円が宇都宮鎮房を「城井大権現」として、

城の守護神として祀るようになりました。

未だに、宇都宮氏を慕う地元の方達の気持ちが伝わってきました。





動画もお楽しみください。


中津城を様々なアングルでとらえました。

動画の下の画質ボタンで最高画質1080P、全画面にして見るときれいですよ。






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世界遺産宮島(2)・・・海に浮かぶ世界遺産・・・厳島神社

2014年08月24日 00時01分23秒 | 史跡



世界遺産宮島のもっとも素敵な光景は、海に浮かぶ朱色の厳島神社でしょう。



厳島神社について、少し調べました。

宮島は古代より島そのものが神として信仰の対象とされています。
厳島神社と神域とされ手つかずの自然が現存する弥山(みせん)原始林は
1996年(平成8年)に世界遺産に登録されました。

 

祭神は、宗像大社と同じ宗像三女神で驚きました。
市杵島姫命 (いちきしまひめのみこと)
田心姫命 (たごりひめのみこと)
湍津姫命 (たぎつひめのみこと)

沖の島が世界遺産に名乗りを上げています。
実現すると良いですね。 




ところで、世界遺産の範囲とはどうなっているのか調べて見ると、
下図のように宮島の14%の部分が該当するそうです。

 




厳島神社の守り神、野生の鹿です。
人にずいぶん懐いていて、ドンドン筑前にも寄ってきました、可愛い目が印象的でした。



厳島神社に行く途中、外から撮影しました。満潮時の厳島神社です。
あたかも海に浮かんでいるように錯覚しますね。


神社の中から撮影。
色々神社巡りはしていますが、こんなに神秘的な雰囲気を持つ神社は初めてです。






遠くに五重塔が入るとベストビューです。たくさんの観光客がここで撮影していましたね。


五重塔の近くに行って撮影しました。






未完成の国重要文化財 豊国神社(千畳閣)
豊臣秀吉が九州征伐の際、戦没した人を祀るために創建。
完成前に秀吉が没したので、天井と入り口は未完成のまま中止となり、現在に至るそうです。 


動画もお楽しみください。

動画の下の画質ボタンで最高画質1080P、全画面にして見るときれいですよ。

満潮・干潮時の海水の有無でとてもイメージが変わりますよ、満潮時に見ることがお勧めですね。






 
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冬の小倉城

2013年12月19日 16時43分54秒 | 史跡


小倉城
は北九州市小倉北区にあり
、筑前の自宅から車で20分で行けるのですが、

小倉には用事もあまりなくなかなか行くことがありません。



今回、小倉の街に用事ができて、良い機会でしたのでひさしぶりに小倉城を見て来ました。

すっかり、紅葉は落葉に変わり、寂しい姿・冬の小倉城に変わっていました。

南の北九州では、北国の銀世界はなくこれが冬景色なんです(笑)。


小倉城の歴史はなんとなく知っているのですが、正確に知っていません。

小倉城に来ると、いつも、細川藩、小笠原藩の名前が出てきて頭の中で混乱します。


そこで、今回、小倉および小倉城の歴史を調べてみました。

古いところで、鎌倉時代に関東武士が北九州に派遣され、麻生・門司氏としていまに伝わります。

元麻生首相は、その末裔になるのですね。

戦国時代になると、大内氏・毛利氏が支配しました。

江戸時代になって、関が原の戦いの功で、細川忠興公が豊前、豊後を与えられ入城し、

はじめて、今の小倉城を築城したそうです。

その後、細川氏は肥後(熊本)に移り、代わりに小笠原忠真(ただざね)に入城し、

それ以降、小笠原氏が変わることなく明治時代を迎えました。

小倉の藩主として細川藩が有名ですが、実際には、江戸時代のほとんどを小笠原藩だったのです。



小倉城の配置図です。

写真の左下に、配置図に赤丸と矢印で撮影地点と撮影方向を示しましたので、見るときの参考にしてください。

周囲を容易に一周見ながら回ることの出来る小倉城は、全国的に珍しいですね。

 


小笠原藩下屋敷庭園より撮影しました。
僅かに紅葉が残っていました。
 

北九州市庁舎に映り込む小倉城です。
かっての役所(小倉城)が時代を超えて現在の役所に移ったのですね(笑)。



裏手からみた小倉城です。
ここにも少し紅葉が残っていました。




八坂神社の鳥居の間に小倉城を入れて撮影しました。





動画もお楽しみください。
小倉城をぐるりと一緒に回っていただけると嬉しいですね。






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平家終焉の地・・・耳なし芳一

2012年01月17日 07時18分18秒 | 史跡


平家終焉とともに入水された安徳天皇を祭る赤間神宮には、

小泉八雲の小説『怪談』で知られている耳なし芳一(みみなしほういち)が
本殿の横に祭られている。



赤間神宮本殿、耳なし芳一と平家の関係をよく知らなかったので
少し調べました。


まず、小泉八雲の小説『怪談』をまだ読んでいなかったので、そのあらすじを書きます。

芳一は突然表れた一人の武士に請われて「高貴なお方」の屋敷に琵琶を弾きに行ったのです。

そこには多くの貴人が集っており、壇ノ浦の戦いのくだりをと語って欲しいと・・・。

芳一が演奏を始めると皆熱心に聴き入り、
語りが佳境になるにしたがって皆声を上げてすすり泣き、
激しく思いがこみ上げてくるようだったそうです。

芳一は七日七晩の演奏を頼まれ、夜ごと出かけていました。


世話をしている和尚が目の悪い芳一が夜になると、出かけていく事に気付き、
寺男たちに後を付けさせると、安徳天皇の墓前で無数の鬼火に
囲まれて琵琶を弾き語っていたのでした。

寺の者たちは慌てて芳一を連れ帰り、
このままでは芳一が平家の怨霊に殺されてしまう。

そして、芳一の全身に般若心経を写し、
今夜は武士が迎えに来ても絶対返事をするなと堅く言い含めた。

その夜、芳一が一人で座っていると、
いつものように武士(平家の怨霊)が芳一を迎えに来た。

しかし経文の書かれた芳一の体は怨霊である武士には見えないのです。

芳一が呼ばれても返事をしないでいると、
呼びに来た武士が「声も聞こえない、姿も見えない、
さて芳一はどこへ行ったのか・・・」という声が聞こえる。

そして武士は、耳だけが闇に浮いているのを見つけ、
「芳一がいないなら仕方がないと、
証拠に耳だけでも持って帰ろう」と芳一の耳をもぎ取って去った。

朝になって芳一の身体に異変があり
般若心経を写経した際、
小僧が耳にだけ書き漏らしてしまった事が
原因で耳だけ無くなっていたのです。

長~くなりましたが、耳なし芳一の儚くも哀れな話でした。


平家一門の墓を見守るような場所にある「耳なし芳一」堂
いかにも平家一門を今でも護っているようでした。


確かに耳がありません。



平家一門の墓
凄い雰囲気があって、夏でも涼しく感じます(笑)。






安徳天皇を供養する水天供養塔
天皇の位のまま入水されたことから水天王と云われるそうです。


水天供養塔の奥に「天神社」があります。


華やかな影に儚さを感じましたねぇ。

 

 

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壇之浦と赤間神宮

2012年01月16日 09時20分25秒 | 史跡


NHKで平清盛が始まりました。


そこで、平家が源義経に滅ぼされ,
平家の西国・海の時代から、源氏の東国・陸の時代への歴史を
見に赤間神宮(地図)へ訪れました。

赤間神宮は壇ノ浦をもっともよく見えるように造られているように思えてなりません。


赤間神宮は、1185年、源平壇浦合戦に敗れて、入水された8才の安徳天皇を
祭って造られ、赤間関の場所だったので赤間神宮とされました。

安徳天皇を抱いて入水した建礼門院は大河ドラマでは深田恭子さんが演じています。



赤間神宮から、壇之浦を望みます。

水天門を通して、壇之浦を望みます。
この図がとても好きなのです、源平合戦の様子が想像できるように気がします。








赤間神宮全景





水天門を通して大安殿を望む。


大安殿


壇之浦の様子




 

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