筑前の国からこんにちは!

北九州市を中心に、福岡県とその周辺の情報を発信していきます。

黒田官兵衛築上の水城・中津城の春

2022年04月06日 12時13分39秒 | 史跡





中津城は、大分県中津市にあり桜の名所と同時に黒田官兵衛が中津川のそばに築城した三大水城しても名を残しています。

花見をしたコースと写真番号、本文で使用した名称を記入しています。
本文を読む参考にしてください。



① 桜の広場とトンネル
桜のトンネルの左側に花見客が賑わう場所は名前がついていないようなので
本ブログでは桜の広場とかってに命名して説明しています。
多くの花見客が花より団子を楽しんでいました。


② 桜の海に浮かぶ中津城天守閣
三度目の花見のときに見つけ感動したのですが、今回も感動しました。
素敵な光景はいつ見ても良いものですね。


③ 堀の外から見た中津城
城の大きさは大きすぎず小さすぎずちょうどよい大きさだと思います。
又、平日ということもありますが人出も程々です。


④ 場内から見た中津城
ちょうどよいところに桜がありました。


⑤ 庭園越しに見た中津城
手前の庭園には噴水がありますが、今回は噴水は見られませんでした。
噴水が加わると、桜で染まる中津城のベストビューと思います。


⑥ 中津城と桜の広場


今年も、桜は相変わらず儚くなるほどパッと開花して満開になってあっという間に散り始めます。

花見の良い期間は、賞味一週間くらいでしょうか、その中で天気も良い平日の日は2~3日しかありません。

その中の大事な一日を今年も中津市にある中津城に当てました。

桜もちょうど満開で良い天気と相まって素敵な一日を過ごせて大いに満足しました。

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別格本山・鎮国寺の春

2021年03月22日 10時36分36秒 | 史跡

前回、ブログアップした宗像大社を後にし、別格本山・鎮国寺(ちんこくじ)にお参りに行きました。


鎮国寺は、唐から日本に帰った空海(弘法大師)が、宗像大社に旅のお礼参りに行った時、
屏風山の上に彩雲(吉兆を示す雲)がたなびくのを見て行って岩窟を発見し、修行をしたそうです。

岩窟での修行中に「この地は鎮護国家を祈る霊地である」というお告げを受け、鎮護国家から字をとって「鎮国寺」を開創されました。

弘法大師が最初に建てた寺社ということになり、この後国内に真言宗を広めていったことになります。

鎮国寺は、別格本山という位置付けにあり特別な意味(弘法大師が日本で最初に創建した?)を持つ大本山に準ずる寺社だそうです。

今まで、鎮国寺には桜の花見に何度も来ていたのに驚くような歴史を持っていることを改めて知りました。


宗像大社方向の光景
深い森の先の田園の広がったところの左に宗像大社があります。


位置的にはこんな感じです。


境内入口
阿吽形像の吽形像と満開の桜があり、その下に霊水を汲むところがあります。
結構、水を汲みに来ている人を見ました。


本堂
残念ながら手前の桜の開花はまだでした。


大師堂
本堂の奥に弘法大師を祀られていました。


心字池と三猿
大師堂の横にあり、静かな佇まいは気持ちが落ち着きます。


ぼけ封じいきいき観音
歳を取るとぼけが本当に心配になります。
心を込めてボケないよう拝みました。


桜と水子地蔵尊と水子地蔵
悲しみと慈しみの雰囲気が宿る場所です。
春の桜の咲くこの時期だけは色鮮やかな賑わいで癒やされます。



年にとると、ぼけ封じ観音様に縋りたくなります、お願いすると何故かホッとしていまいます。

近くではこの鎮国寺だけしかぼけ封じ防止をお願いするところはありません。

振り返ってみると、記憶力はもともとあまりなかったような気がします、それで、若いうちからメモ魔になってしまいました。

メモ魔になることは、記憶することを止めることでもあり、さらに記憶力の低下を招きます。

現在は、スマホが代わりをしてくれていよいよ記憶をすることがなくなり、便利で少し不安なことでもあります。

コメント (8)
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松蔭神社の春

2015年04月10日 00時01分50秒 | 史跡


松下村塾は明治維新の起点といっても過言ではないでしょう。


吉田松陰を祀る松蔭神社に行ってきました。

ここには、幼いころ一度来た記憶があります、その時の記憶は、

松下村塾の小さな家の松下村塾の記憶しかありませんでした。 



今回お参りしてあまりにも立派な神社だったので夫婦で驚きました。

筑前ママも松下村塾の記憶しか残っていませんでした。


訪問後に立派になったのかと調べると、生まれる前の昭和2-3年に出来上がっていたそうです。

人の記憶とはいい加減なものですねぇ(笑)。


松蔭神社大鳥居
記憶になかったです(笑)。



吉田松陰歌碑
安政の大獄による処刑前に記した別れの書見の中の
両親へ先立つ不孝の詫びの部分を拡大したものだそうです。




内容は、「親思う心にまさる親心 きょうの音づれ何ときくらん」
両親より先立つ不孝を詫びている


松下村塾
この家だけが強烈に幼い記憶として残っていました。
夫婦揃って同じでした。


小さな家でしたが、門もあるのですね。



ここで回天の始動を起こした面々に講義をしたそうです。



松下村塾の裏に回ると見事な桜が咲いていました。




松下村塾の奥に松蔭神社がありました。

 


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軍師官兵衛の造った在りし日の福岡城、そして今はなき黒崎城、若松城

2014年10月02日 12時16分33秒 | 史跡


官兵衛が縄張りをした福岡城の在りし日の姿は、雄大でした。

そして、筑前の国の備えとして造った六端城の黒崎城、若松城の復刻模型を見ることが出来ました。



場所は、新しく福岡県黒崎に出来たイオンタウンのオープン記念行事でみた城の模型は精緻で 

実際の城跡を見るのと違い、歴史に対する見方が変わります。


城のある現地では残存する部分(ほとんど移築したものや石垣)しかわかりませんが、

城模型では、当時の城だけでなく周辺の様子まで3D的に見ることが出来ます。


あまりの出来に製作者に写真を撮る許可を戴きました。

その模型は鳥瞰図を見る想いです。

それにしても、城の模型と良いながら、端々に城に対する熱い思いが伝わってきました。





福岡城


製作者に福岡城の天守閣は、未だにあったとかなかったとか議論になっているはずだがと聞くと、

天守閣があったという資料が最近出てきたらしいと話していただきました。

ロマンですねぇ。


昨年ですが、福岡市が福岡城の整備を計画していると耳にしたので、天守閣を造るよう提案したところ、

天守閣はあったらしい話はあるが復元に値する資料がないので天守閣の再現はしないとのことだった。


福岡城(別名:舞鶴城) 



福岡城古地図





筑前国を守るために、六つの出城を建てたそうです。

当時の豊前国の細川忠興と不仲が原因で豊前国との国境に建てたそうです。


そのひとつが、北九州市の八幡西区黒崎にある黒崎城で、黒崎城址には登ったことがありますが、

ただの野原があるだけで、なにも言われなければわからないはずです(笑)。



数年前から黒崎城の一夜城(絵に描いた城が暗闇に浮かび上がるのです)が見られるようになりました。

実はバリボテで毎年、筑前宿場まつりの一環として、毎年市内の大学や高校が作成し期間限定のお城だったのです。

 

在りし日の黒崎





若松城(別名:中島城)

若松城は今回初めて聞きましたが、立派な筑前の国の六端城だったのですね。

洞海湾にかかる若戸大橋の横くらいに中島という島があってそこにあったそうです。

いまは、洞海湾の開拓の時にその島を削り取って消滅したらしく、全く痕跡がありません、

なんとももったいないことをしたものです。

そうした判断をした事業の責任者を恨みたいものです。


若松城(別名:中島城)




六端城とは、黒崎、若松以外に以下の出城があったそうです。
 

鷹取山城(直方)
益富城(嘉麻市)
松尾城(小石原)
麻庭良城(うきは市)

 

 
 筑前の国はバンドルネームと同じなので何とも書きづらいです(笑)。


動画もお楽しみください。

福岡城、黒崎城、若松城を全方位で撮影しましたので楽しめると思います。 

動画の下の画質ボタンで最高画質1080P、全画面にして見るときれいですよ。







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軍師官兵衛の創りし町、中津の寺町

2014年09月28日 00時27分46秒 | 史跡


官兵衛は、城と町はシステムとして考えていたようです。


豊前に入ってきた当初は行橋の山奥の山城馬ヶ岳城に入りますが、

ここでは山に囲まれた場所で城の周りに町が出来ないと


中津に移りました。


特に、力を入れた寺町の様子を見ていきます。



中津カトリック教会です。

明治20年(1887年)に創建されました、

官兵衛の頃は秀吉がキリスト教を禁教としたためこの協会は当然ありません。

秀吉は、布教は禁止し、個人の信教は許したそうです、

どこまで本当か知りませんが、大河の中では、官兵衛がキリシタンだったので

官兵衛を処罰の対象にしないよう、許したとあります。


それにして、この教会が中津城の直ぐ近くにあることは、

官兵衛がキリシタンであったことを思い起こさせます。



 


寺町の通りです。



寺町の通りには、所々道脇に小さな花壇があって楽しませてくれました。



合元寺です。

実は今回寺町にはじめてきましたが、その理由はこの合元寺を見に来たと行って過言ではありません。

3度も来たのはこの合元寺を見たかったからです。

壁の色が赤色に塗ってある珍しい寺です。

宇都宮氏の家来衆をこの合元寺で討ち取り

そのときの血が壁から浸みだし拭いても拭いても染み出すので

とうとうこの赤壁にしてしまったらしいのです。


未だにその怨念が残る寺として大事にされています。


中津は、黒田氏も宇都宮氏も愛されていたのでこのような形で残ったのでしょう。

それにしても、豊前では幟と言えば宇都宮氏のものが多く、

今もなお、宇都宮氏の人気が偲ばれます。



大法寺
福沢諭吉のお姉さんが眠っているそうです。




円応寺
官兵衛が開祖です。


円応寺内にある河童の墓 




寺町の通りにあったマンホールです、なかなかの傑作で、カラーでした。



福沢諭吉の生家です。
福沢諭吉については、これから知りたいと思います。




動画もお楽しみください。

動画の下の画質ボタンで最高画質1080P、全画面にして見るときれいですよ。








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