時代の寵児・高杉晋作が眠る場所が東行庵です。
紅葉の時期になるとかならず来るところですが、今年に限って頭をよぎることがあります。
東行庵に来ると東行の名を冠した楓「東行楓」はいつ来ても素晴らしい紅葉を見せてくれます。
あたかも、東行(高杉晋作)が魂が乗り移ったのではないかと思えるほど輝いているのです。
今までも、行く毎にそう感じていたのですが頭がおかしいに思われるのも嫌なので書きませんでした、
今回、東行楓をメインに見てきて改めて特別な楓だと感じ、意を決してこういう表現をしました。
今回は、そんな東行楓をメインに撮っています。
本当にとびっきり素晴らしい楓の紅葉です。
まずは定石通り、東行庵の主なところを散策していきます。
東行庵入口付近
東行庵周辺の紅葉はすでに落葉していて辛うじて東行池手前の広場の紅葉を見ることができました。
左手に山茶花が咲いていて、素敵なコラボになっていました。
東行庵
この建物が東行庵で高杉晋作を看取り、生涯晋作を弔った愛妾「おうの(後に得度して梅処)」がここで暮らした家です。
いつもなら、東行池の周囲の紅葉も見るのですが今年は落葉していたので撮りませんでした。
東行楓
東行庵の駐車場から撮影
ひときわ赤く輝く楓が東行楓です。
東行楓の向かう坂道です。
紅葉のトンネルを通り抜けます。
東行楓です。
逆光に光る東行楓
紅葉谷
東行楓を通り過ぎると奥まった広場に紅葉谷があります。
ここの紅葉は時期が早くいつ来ても落葉です。
一通り見終わり紅葉に送られて坂道を下ります。
東行庵は、清水山(しみずやま)の山肌に造られていて、奇兵隊の方たちが眠っています。
晋作が死ぬ間際に「奇兵隊の眠るところに」という遺言によりこの地に眠りについたそうです。
東行楓はどのような経緯で東行庵にある数ある楓からこの一本の楓を選び、東行楓と名付けたのでしょう?
気になりますが、いろいろ調べたのですが今の所わかりません。
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時計を見ることも忘れ、あ!、もうこんな時間かと忘れ物をした気持ちで帰りました。
ブログにまとめるとき、あそこも撮っておけばといつも後悔ばかりです(笑)。
トンネルも好いし東行楓も美しい。
紅葉谷は名前の通り紅葉がいっぱい。
写真を撮っていると時間を忘れそうです。
下関は見るところが多いですね。
北九州から近くてとても助かっています。
でも、こちらもネタが無くなります。
北国は軽視を真っ白にしますが、九州はブログネタが真っ白になってネタの消えてしまいます。
苦し紛れでもネタ探しをしないといけませんね(笑)。
こちらではもう落葉していて黄葉がところどころで
見られる程度です。
下関には良いネタがあって良いですね。
今はネタ不足の状態ですよ(笑)。
晋作だと隣国は厳しく対応するのでは?。
ここも素晴らしい紅葉ですね。
日韓関係も急悪化していますし、
晋作さんに聴いてみたいですね。
それにしても、幕末の功労者として長州から総理を始め何人も出ていますがこれほど後世に伝えられている人は少ないですね。
のちに総理になった人が晋作を心から尊敬したからかもしれないと思っています。
申し訳ない気もします。
でも、こちらでは決して見ることのできない風景が羨ましくもありますよ。
モミジが燃えていますね
まだ紅葉がピークとは、信州とは1か月違いますね。
楓には種類が多くて分からないですが・・・
晋作はこの楓を愛でて療養すればもう少し長生きできたかもしれません、悲しいかな、死後晋作の遺言によってここに眠りました。
最初に東行楓を見て他の楓の紅葉は見る気が起きませんので、見る順番が大事です(笑)。
紅葉は、順光と逆光では断然逆光のほうが美しいですね。
栄養となって、来年青々とした葉を付けるのですね。
その繰り返しが有って、こんなに立派なモミジに・・・
高杉晋作も、この紅葉軍を見ながら、療養したのかなぁ(^_^;)
幹が大きくひときわ目立ってるようですね。
逆光の紅葉がきれいです。