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大人、特に学校の先生は「目標を決めなさい」とか「将来のビジョンを考えなさい」とか言うんだけど、
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精神病で施設に預けてる娘に対して「目標を」とか「将来のビジョンを」とか言われてもねえ。
そもそも学校でのいじめと教師のパワハラが発端で、「私なんて消えてしまった方がいいの。存在そのものが迷惑みたいだから。」と、死ぬことばかり考えていたんだから今生きてること自体が奇跡なんだよね。
世の中なんでもかんでも誰かが決めた「基準」に振り回されて、「学業成績」とか「偏差値」とか「学歴」とかで人物を評価したがる。
そうじゃあないだろう。
頑張って勉強してそれなりの道を歩み、それなりの学歴があれば幸せになれるのなら今、自分は幸せなはずだ。
でも、
人間てちっぽけな存在でくだらない噂に振り回されたり、人と違うことをすると白い目でみたり。
相手のことを妬んだり、蔑んだりなどなど。
世の中のデフォは大卒で、
世の中のデフォは時が来れば結婚し、
世の中のデフォは結婚したらこどもが生まれ、
世の中のデフォはこどもはすくすくと成長し、あたたかい家庭、優しいおかあさん、たのもしいおとうさん。
やがて何月が流れると、こどもたちが結婚し、孫ができ、おじいちゃんおばあちゃんとして孫の成長に目を細めるのがデフォとされている。
どこにも「病気」の文字はないし、「事故」の文字はないし、「災難」の文字もない。
でも、
医学が発達したせいで生まれながらにして重い障害を持つことがあることも事実で、
医学が発達したせいで長生きし過ぎて苦しむ人もたくさんいて、
親の介護で人生狂う人もいて、
ストレスのはけ口になる優しい人々がいて
良かれと思って面倒事を引き受け、無茶振りの連発の挙げ句に暴言をあびせられたり
「平凡な幸せ」が欲しかったんだけど、なぜこうなっちゃったんだろう。あの時にああしておけば、とか、あの時にこうしなければとか、
後悔先に立たず。
後悔後をたたず。
こどもたちを守るために精一杯闘ってみたけれど、
自分の母親に「あんたがちゃんとやらないからこんなことになるのよ。」と言われ、中学校の校長先生に事情を説明してもらったっけ。
他人より怖いのは自分の身内。
葬式の時に親類が集まるんだけど、ワケワカラナイ展開になるって珍しくないんだよね。
兄弟姉妹だって親子だって親類だって相性がいいとは限らない。
「おかあさん」ってはじめから「おかあさん」だったわけじゃないし、こどものことも旦那のことも把握しきれるわけないのに、
こどもが熱出せばおかあさんの責任。
こどもが悪さをすればおかあさんの責任。
いじめを訴えても「おかあさんが甘やかし過ぎるから」とか、「おかあさんがしっかりしないから」とか。
いじめた側は個人情報保護法で母親の呼び出しはなく、たとえ呼び出してもらえたとしても立証は難しい。なぜならば身体には傷ひとつないのだから。
「言葉」。
言葉は人を励ますことができるけれど、時として刃物よりも殺傷力があったりする。
怒号とか怒鳴り声とかよりも恐ろしいものそれは、「目標」とか「将来のビジョン」という名の強迫。
年金をもらえる歳になったら悠々自適の生活ができると信じていたのに、働かなければ生活が成り立たない老後。
特殊な資格とか技能があればいつまでも仕事できると思っていたら大間違い。身体は着実に衰えていて、老化現象には逆らえない。
就職は「コネ」「金」「実力」と昔から言われていたけど、今は「学歴」と「部活歴」と「バイト歴」が重要視される。
コンビニとかドラッグストアとかの店員さんはコンビニとかドラッグストア大好きな人を雇ってあげたらいいのにと思うけれど、
高校のレベルで判断されてしまうこと多々あり。
で、試験シーズンにお休みし、受験シーズンに突入すると辞めちゃうんだよね。
マジでお金欲しい人は文句言わないしコツコツ働く。
マジで働きたい人は長く働いてくれる。
でも、
就活ではどんなにアピールしても働きたい気持ちは届かない。だって色眼鏡で見てるから。
昔は知り合いのおじさんおばさんとかご近所さんが仕事をみつけてくれたり雇ってくれたりして可愛がってくれた。
「お見合い」。
昔は近所のおばちゃんとか親の知り合いとかがお見合い写真持参で縁談を持ってきてくれたりしたっけ。めんどくさくて断っちゃったけどね。
なんだかせちがない世の中になっちゃたな。
世話を焼いて欲しがる人はわんさかいるけれど、世話を焼く人は明らかに足りない。介護する人とか看護する人とかもだけど、
共稼ぎの時代なんだから何らかのサポートが必要なんじゃないのかな。
夫婦で働いて家のことは夫婦で分担するというけれど、
今の世の中そんなに甘くはない。
最低限の人材で最大限の仕事をこなさないといけないところがほとんどだ。
こどもが熱を出すと保育園から連絡が来るのはおかあさんのところで、
「明日は元気になるかしら?」と仕事を休むのか休まないのかとかも含めて頭の中はゴチャゴチャで不安で心が張り裂けそうだ。
お給料もらえないPTAのお仕事でもそうやって悩んだことが数えきれない。
やるからにはちゃんとやらないと、と思うんだ。
でも、
「私、名前だけってことなので絶対に電話連絡しないでください。」と不機嫌に言われた時はかなりの衝撃だった。(←20年以上前なのでLINEとか携帯とかなかった時代)
いろんな人がいることを知り、
味方もいるけれど、明らかに敵の方が多いことを知り、
その仕事に携わらないのにいろいろ口出しをしたり、ケチつけたりとか。
なんなんやか。
人は資格を取得したり高級マンションや高いところに住んだりすると特別な存在と勘違いするのだろうか。なんていうか波長が違いすぎてビックリ。
先日テニススクールに行ったらやたら都会の話をするマダムたちがいて、
そういえば高級マンションが次々できてるみたいだよと誰かが言ってたっけ。
いつものテニススクールが別の雰囲気になり、お洒落なお店が増えてきたけど、
この歳になって今さら見栄を張るのも馬鹿馬鹿しいし、話を合わせるのって疲れるから、
「居場所」を見つけよう。
そう思ったけれどコーチが良ければ苦手なメンバーがいて、どちらも大丈夫だと曜日と時間が合わなくて…。
「テニススクールに来る人って目的がそれぞれ違うからベストなところを選ぶのって難しいわよね。」と友人。
初めはテニスができればそれで充分だと思っていたのに人間て欲張りだ。
「おかん、テニススクールってテニス習いに行っとるんやろ。上達を目指すのならコーチで選べばええやんか。お金払っとるんやけ他人に遠慮せずテニスしてきたらエエんやない?」と息子。
テニススクールはテニスを学ぶために行くところがデフォなんだけど、
「人それぞれ目的が異なるのは当たり前で、できないから学びに来てるのであってミスしていちいち気にしたりする必要はあらへんで。上のクラスならミスせえへんかもしれへんけど、おかんのクラスで目くじら立てる方がおかしいんやない?」と続ける。
「あと何年できるのかわからんのやから楽しまにゃ損やで。まあ、そう言いながら俺も趣味仲間との関係に悩んどるんやけどな。」
たかが趣味、されど趣味。
仕事のストレスを発散するために趣味に没頭する人もいれば、
趣味のために働く人もいる。
働く目的も人それぞれ。
でも、真剣にお金が欲しい時は真剣に働いて文句言ってる余裕はない。
人が決めたデフォに縛られていてはもったいない。
よし、カスタマイズだ❗
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え?そっち?
黒いガットに白いステンシルだったんだけど、
黄色いガットに赤いステンシル入れてもらった結果、想像以上にド派手になりました。(写真ではそれほどでもないけど、テニスコートがブルーなのでめっちゃ目立ちます。)
目標はテニス部らしくプレイできるようになる。なんちゃって。
↑体育苦手なの。いつも5段階評価で2。テニス部だったと胸を張って言えるほどではなく…。
まあ、そんなもんでしょ。
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