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天変地異とか、
異常気象とか、
いろいろ起きてるけど、
世界の終わりはまだであって欲しい。
片付けをしていたら、衝動買いしたCDが出てきた。
「SEKAI NO OWARI」
世界の終わりみたいに退廃的なロックを想像していたんだけど、
優しいの。歌詞も曲も。
菅田将暉さんも出ていた話題の映画「キャラクター」。
映画情報をテレビで見て、Fukaseさんにめちゃくちゃ興味を持ち、
SEKAINOOWARI 2010-2019のCD買っちゃいました。
「キャラクター」での演技は素晴らしく、菅田将暉よりも小栗旬よりも中村獅童よりも高畑充希よりも印象に残りました。
半世紀以上生きてきた今までの人生の中で「もうダメだ。」と、何度も何度も思ったけれど、
もっと辛いことや、もっと恐ろしいことが起きると、なぜか「たいしたことないじゃん。」と感じてしまう時もありまして。
「感情って相対的なものなのかしら?」なんて思ってみたり。
でも、残念ながら起きてしまったことは消すことはできないのよね。
覆水盆に返らず。ってか。
「世界が終わってしまえ❗」
そう叫んでみたこともあったけど、
ここのところの出来事はまさに世界は終焉を迎えるのかが如く。
「世界がいつ終わってもいいもんね。どうせ不幸だし辛いから。」と思う反面、
「まだやり残したこととかやりたい事があるのに。」と未練がましい自分もいる。
「生きたくても生きられない人がいるのに死ぬなんて考えるな。」と言われるけど、
生きるのって大変なんだ。
苦難を乗り越えるのって大変なんだ。
悲しみや苦しみを乗り越えることって大変なんだ。
なのに、
忘れてゆく自分もいる。
老いるということは一言では言い表せられない。
記憶が消えてゆくこともある。
辛いことや苦しいことや悲しいことは忘れちゃえばいいんだけど、
好きなこととか大切な人の事とか大事なことは忘れたくない。
気持ちはいつまでも年老いていかないが、身体と記憶は着実に年老いていく。
年老いていかなくても、衝撃的な出来事があると、記憶はかき乱されて自分を失う。
ま、元々毒母に支配されていたわけだから「自分」なんてなかったのかもしれないけどね。
投げやりになっていた頃ふとしたきっかけでブログを始めたわけだけど、
スマホのおかげで世界が広がり、
好きな仕事もみつかって、
この年になって友達もできて。
解決できていないことも多々あるけれど、それなりに幸せなのではないかと。
幸せも相対的なもの。
もう、人と比べるのはやめよう。
そう思うのに、ジェラシーを感じる自分もいる。
世界が終わるのはいつかはわからないけど、
命はいつかは終わるのだ。
もしかしたら辛いことや苦しいことや悲しいこともいつかは終わるのかな。なんてね。
哲学的なことばかり考えてないで掃除と片付けの続きをしなきゃ。
本業は「主婦」ですから。
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