主婦&薬剤師ゆうこの ワガママにっき

主婦&薬剤師のふたつの顔を持つ
変なおばちゃんの日常を気の向くままに綴ります。 

親離れ子離れ~自立への一歩

2013年09月24日 01時02分07秒 | 子育て・介護・家庭
「おかん、子離れできそう?オレ?もちろん…。」

「できなーい!」

できないんかーい。(←髭男爵風に)

「はたちだからさ、親離れの時期だろ?でもさ、オレおかんがいないと寝癖上手に直せないし、朝起きられないし…。おかんの顔見ないと落ち着かないんだ。」(←外泊することがたまにある。)

そういいながら家では甘えるけど、外では立派(?)にやってるらしい。高校の時も専門学校でも先生の評価は高かったりする。なんせ仕切りや夫婦の子だから…。仕事きっちり。それがわが家のポリシー。

子離れか。難関だな。苦労した分、幸せになって欲しいという気持ちとともに離れていく寂しさが…。

今日は娘の専門学校の願書に貼る証明写真を撮りに行った。せっかくだから写真屋さんに行ったんだけど、リクルートスーツに身を包み凛とした姿に涙があふれそうになる。そういえばスーツを買いに行って試着したとき、旦那君は珍しく目頭を熱くしていた。一生懸命生きてるのにこころない人々の言葉に傷つきそれでも自分の道を切り開き、切り開いてはまわりのバカタレどもに邪魔され…。

高校生活は親子二人三脚で乗り越えてきた。本当ならサポート校で同じ悩みを持つ友人が出来、それなりに充実した高校生活を送るはずだった。
でも…。学校のパンフレットを鵜呑みにして信じた私がバカだった
不登校児は学校に通えない子が多く、学校にいるのはやらかして高校退学になったりサボって出席日数足りなくなった奴らばかり。中学校では普通に青春を謳歌し、やりたいように生きてきた人種。そんな奴らに囲まれて健気に生きてきた。ケバイ化粧、高校生とは思えない服装や髪型。退廃したムード。騒々しい教室。「おまえ、こんな問題も解けねえのかよー。ばかじゃねえの?」浴びせられる罵倒の言葉の数々。無法地帯とはこのことか。

担任の先生は誠意を見せてくれて様々な配慮をしてくれたが、娘が欲しかったのは個別での学習環境ではなく、教室で落ち着いて授業を受けられる環境整備。これは中学校でも同じだった。

校則を守らない生徒は先生の言うことをきかないから自ずと放置になる。そいつらの親はエリートだったりモンスターペアレントだったりするから学校として文句は言えないらしい。校則違反の件は棚上げされ、叱られるのが怖いから校則を守って、それが原因で「スカート短くできないのかよっ!」って因縁付けられたんだ。その件に関する学年主任の回答は「君が心を強く持ち何を言われてもはねのけないと。強く生きないと社会は渡れない。」
で、1回目の自殺騒動になったわけ。正しい物を否定しまちがってるものを擁護する。納得がいかない。正義感が強く生真面目なゆうこの性格を受け継いでしまってるから、自分を責め、迷惑をかけるならこの世から去りますと。この世に自分の居場所はないから居場所をさがしに行くと言って…。

あなたがもし我が子に自殺されたらどうしますか?

うろたえない親なんていないと思う。
でも、今の時代の親は子供が邪魔だと思ってる人もいるんだ。
中学生の親は「あんたみたいな子いらない。」とか「そんな子に生んだ覚えはない。」とか平気で口にする。売り言葉に買い言葉だったりするときもあるが、仕事に油がのって昇進できそうだったりすると子供なんて生まなければよかったとか邪魔だわって思ったりする。
熱があるのに保育園に預けていったり、迎えの依頼を無視したり…。

「病めるときも健やかなるときもともに手をとり支え合って生きていくことを誓いますか?」ふたりでハイと答え、三三九度の契りをかわしたはず。なのにいつしか愛情は風化し、憎しみを感じたりする。相手の顔にそっくりな我が子の顔が気に入らないからかわいくないなんて言う人もいる。

長い人生の中には山あり谷あり。ゆうこだって若い頃いろいろ思ったり、結婚なんてしなきゃよかったと思ったりした。若気の至りも数えきれず…。あ、ブスでペチャパイで変人でもてないから男性遍歴はないよ。

でも長い間辛い思いをして長い長いトンネルから出られずにもがいてくると大事な物が何か見えてきたりする。
「仕事はひとつじゃないけど家庭はひとつだから大事にするんだぞ。でも、辛かったらいつでも帰ってこい。おとうさんがおまえを守ってやるから。自殺したりしちゃだめだ。どうしてもだめなら別れればいいだけだから。人生はやり直しがきかないようだけど時とばあいによってはやり直したっていいんだ。」父が言ってた。

人間は誰かに支えられてるから生きてるんだと思う。
小さい頃は親で、幼稚園の時からは親と先生で、小学校に上がると低学年のうちは担任の先生、学年が上がって行くにつれて同級生や友人、知人。中学校では先輩や後輩も加わる。
良好な人間関係は努力しないとあり得ない。生まれも育ちも考え方も違う他人同士が仲良くなるには仲介者が必要。学校の先生の重要な仕事のひとつに学級運営がある。中学生まではさまざまないさかいがあり、クラスをまとめるには担任の先生の配慮が必要だ。しかし娘の中1の時の担任は高校から中学に転任したばかり。3つの小学校から来た生徒が仲良く生活するには担任のリードがいるはずなのに、校外学習でさえ生徒任せ。クラスを良くしたいと願い、お兄ちゃんの分も中学校生活をエンジョイしたいと副会長に立候補したが故に、本来なら担任がすべき仕事をぜんぶ抱え込み…。だって男の子ってテキトーでしょ?その年頃って。会長ももうひとりの副会長も無責任。同級生は無関心。先生は見てるだけ。そんな状況でもめげずに前進し続け…。で、「おまえが強く生きようとしないのがいけない。」ときたもんだ。

何度中学校に足を運んだかわからない。担任と話してもらちがあかず、学年主任(←主任なりたて1年目)に話しても「強く生きないと社会でおいてけぼりくらう。」の一点張り。
教頭と話し、校長と話し、教育委員会の先生と話し…。

でもゆうこの思いと娘の言い分は校長以外の心には届かなかった。
校長は謝罪したが娘の人生は180度変わってしまった。
6年もの間自問自答を続け自分を責め、何度も死にに行こうと玄関を出ようとしてはゆうこに引き戻され…。痩せてしまって体重が40㎏しかないんだ。身長は親に似てデカく163㎝。デカイが故にいじめられたらしい。

人を傷つけるような言葉を発し、平気で相手を威嚇して泣かせたりして反応をみて快感を覚える。やがてそれはエスカレートし…。身体には触れない。傷は証拠になるから。親や先生の前ではおとなしいいい子。おとながいなくなったとたんに牙をむく。

でもそれは人間の本性だったりする。台風や地震のニュースを見て、「かわいそう。」とか「気の毒に。」と言いながら心のどこかで「うちじゃなくて良かった。」とか事故や事件の報道で死体の映像をみて目が釘付けになったりする。
理性があるからいい人ぶるが、実は誰の心にも「悪」が潜んでる。
ゆうこの脳内メーカーは愛とか友が詰まってるが悪が3個ある。
旦那君は「食」一色。食べるの大好きだから。息子は「友」が8割。娘はどうだったかなあ。普通で印象に残ってない。旦那君の兄なんて「遊」一色。兄弟揃って単純なのか…。

長い長い月日が流れたが娘にはまだ平和が訪れていない。でも前進するしかない。親がへこたれては子供は立つ瀬がない。
夫婦で協力し合い難局を乗り切らねば。

娘のスーツ姿への感慨はとても深く、卒業式はまだなのにすでに涙があふれてしまいそうになる。

写真屋さんから帰宅し、娘のスーツ姿を見て息子が一言。「社会人おめでとう。」
娘が「まだ社会人じゃないよ。」と言うと「専門学校はな、社会人教育の場なんだ。もう学生じゃない。学生だけどチャラチャラした大学生とは違うんだ。社会に出るために学ぶ場所なんだ。」どうした頭打ったか?らしくないぞ!

「って担任が言ってた。過去は忘れてガンバレってことさ。さてオレも鉄道会社めざしてがんばらないと。」
兄妹仲良くしないと叱った。ゆうこはひとりっこだから親が死んだら旦那以外頼る人がいない。兄妹はいざというとき助け合う。いがみあうより助け合った方が絶対いいのだ。そのためには日々の生活の中でお互いへの気持ちを育んでいかないと。母親をめぐってライバルとして対立した時期もあった。でもお互いにお互いを心配し、ピンチの時はアドバイスしたり手をさしのべたり…。そうできたら素敵だと思うんだ。あくまでも理想論だけどね。

家族のありがたみって誰かがいなくなって初めてわかるんだ。ぽっかり穴があいたみたいで、寂しいっていうよりもなんていうかこころの中に空洞がdきて冷たい風が吹き抜けるって感じ?もう何もしてあげられないし笑顔をみることはできない。

でも、住職がいいことをおっしゃってた。
「現世と来世はつながってる。現世から来世に先に旅だってしまっただけ。いつか必ず来世で再会できる。それまでの間しばしの時間を離ればなれで過ごさなければいけない。しかし悲しい顔をみせるよりも笑顔をみせたほうがいい。なぜならば来世からあなたの姿が常にみえるから悲しい顔ばかりしていては成仏できない。さあ笑って暮らしなさい。笑顔を仏様にみせましょう。」

一期一会。年を重ねると会いたい人が出てくる。
最近会いたいと思うとばったり会ったりする。父が会わせてくれてる気がする。さあ、元気出しなさいと。

患者様がご自分の身体が大変なことになっているのに「風邪引いたの?早く治るといいね。」とかこちらの身体を心配してくださる。心の交流は人の心を癒す。言葉は人に勇気を与え生きる意欲をわかせることもできる。

使い方を誤ると人を殺めてしまうが、正しく使えば人を助けることもできるのだ。

教育が大事かもしれないけどそれよりも大事なのは心の教育じゃないのかなあ。愛情をそそがないと愛を知らない子になるんだって。親が教えるから他人に迷惑をかけない子になるんだけど今の親は子供が何をしでかかしても他人事。今日だって夢庵に行ってごはん食べてたら隣の席の子供達がいすから飛び降りてはのぼるを繰り返し、音と振動で食べる気が失せてしまった。
非常識きわまりない行為に対して親が放ったことばが「となりの人がにらんでるからやめたほうがいいみたいだぞ。」

ここでもゆうこたちは変人扱いか。どこにいったらゆっくりできるんだろ?
やっぱ東京かな。ってか。

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4 コメント

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ゆうこさんご一家は真っ当です (KAYAU=同郷です)
2013-09-26 00:12:37
こんばんは。

御自身の気持ちをきちんと言葉に出来る坊ちゃん。
とても「イケメン」だと思いました。ホントに。イマドキ、なかなか居ませんよ。

ご主人様だって、煮詰まりそうになるゆうこさんを、さりげなくフォローされてるな、と、思いますよ、毎回。


お嬢さんは、すごく頭が良いのでは?
不幸にも勉強に取り組む環境が出来なかっただけで。お嬢さんに合った環境でお勉強を始めたら、何か、ものすごい才能が開花しそうな気がします。


紆余曲折の中で、頑張って頑張って頑張っていらした、ゆうこさん。
お母さんの頑張りを、お子さん達がちゃんと観て育ったのだな…と、思います。

羨ましいです。


どうか、ゆうこさん、御自身の体調に気をつけてくださいね。
ゆうこさんからお薬を渡してもらいたい、という患者さんだって、いらっしゃるから。


お聞きになったことがあると思いますが「喪の作業」=「グリーフワーク」。
セルフは、やっぱりかなりきついです。
しかし、日常生活を投げ出すわけにはいかないので…。
淡々と過ごすことにして、何か感情が出てきたら素直に出します。
そういう時期みたいです。

おうちの件。
これからは、うまくいきますように、お祈りしています。
返信する
同郷さんへ (ゆうこ)
2013-09-29 10:34:39
コメントありがとうございます。
家の件は結論が先送りになっています。大工さんからはなんの連絡もないので。
外野がうるさいです。ご近所さんはいいようでよくない面があり、よくないようで助けていただく場面があり。
人間関係は難しいですね。
返信する
こんにちわ (ぽみー)
2017-09-13 14:33:08
ココヤクでお会いしてから、長いですね。

初めて読ませて頂きました。私も親が学校に行かんでもいいと言って休まてくれました。小学校の時に私は、自分というものを持てなかったので、みんなの顔色を見て育っていました。今でもその気がないわけではないです。

でも、自分の子がどう生きていくのがいいのか…これは、親がよっぽど子供に対して誠心誠意向き合っていないとわかり得ないことであると思うと同時に、それだけの思いをしてまで、今まで育ててくれた親に対して感謝しかないですね。

医療従事者の親を持つ自分は、両親の背中を見て育ってきましたが、親が残してくれるものは、あまりにも大きすぎたと感じています。
返信する
ぽみーさんへ (ゆうこ)
2017-09-14 07:21:00
昨日はとても忙しく、うたた寝をしたまま朝まで爆睡。返事が遅れてごめんなさい。
温かいコメントをありがとうございます。
子供が学校に通えなくなったときにたまたま見つけた不登校をテーマにした本に、乗り越えたあとは親子の絆が深まって今では仲良く暮らしていますという手記をみつけ、それを支えに生きてきた気がします。
自分のことではないだけにやきもきしたりハラハラしたりドキドキしたり 。気をもんでも解決しないものはしないのにね。
あなたの両親もさぞかし心配し、学校に通わせたいという親心と娘を目の届くところに置いて守りたいという本音の間で葛藤を繰り返したことと思います。
親も苦しいけど何よりも本人の苦悩ははかり知れず永遠に深く深く傷ついた心は癒されることはないのですから。でも人の優しさに触れたとき、心にポッカリとあいた穴は少しずつ少しずつ埋められていくわけで。
自分自身も子どもの頃根性なしで泣き虫でおどおどしていました。そんな私に自信を持たせてくれたのは小学校高学年のときに2年間担任としてお世話になった先生。苦手だった体育も先生のおかげで跳び箱も飛べたし、マット運動も人並みにできるようになったし、児童会の会長選挙に立候補してみんなに応援してもらえて惜しくも落選したけど貴重な体験をしたし。
人の笑顔がみたくて誰かのために何かをするのが好きです。この歳になって今さらって感じですが自分が何をしたいか、どんな薬剤師になりらたいかが見えた気がします。
厳しい世間体第一主義の母親に育てられ、父親は威厳に満ちていたけど、今思えばたくさんの愛を注がれていたんだなと思います。
子育てをして苦労してはじめて子育ての本当の大変さを知り、子供が病気になったり悩んだりしに時に必死になってなんとかしようともがいて親のありがたみを知りました。
空気のようで気がつかないけれど家族っていざというときに助けてくれる、そんな存在であってほしいと思うのです。いなくなってはじめてその存在の大きさに気がつくのですが…。
大好きな父は仏壇の上の写真のなかでしか微笑みません。日本赤十字社の従軍看護婦だった気丈な母は人の手を借られないと生活できないほど歳をとり、会話が成り立たないほど認知症が進みました。けれどもそれは自然の摂理で薬でどうこうという問題は越えてると思うのです。
病気や怪我は必ずしもやつけるものでも闘うものでもなく、現状を受けとめて痛みや苦しみを少しでも取り除きながら共存していくものなのかも、と日々思います。
服薬コンプライアンスをあげることにより治療効果を高めるのが薬剤師の仕事なのですが、患者や家族の気持ちを聞いて最善策を考えるのも大切ではないかと思う今日この頃。
あなたはきっと素敵な薬剤師になることでしょう。苦労したからこそ人の気持ちを理解し訴えに耳を傾けるだろうし、困ってる人を見つけたら手をさしのべるだろうし。
それが本来のかかりつけ薬剤師だと思うのですが…。現実は私たちの思惑通りにはいかないようで。足の引っ張りあいとかばかみたい。でもそれが人間というもののようで、自分自身もジェラシーに心ざわつくことしばしば。
いくつになってもお子ちゃまだなー。大人になりきれないこんな私が薬剤師であり母親であり妻な訳だけどありのままになすがままにでもいいのかもしれませんね。
自分のことを理解してくれる人がいればがんばれる。なぐさめてくれる人がいれば生きられる。支えてくれる人が必要。それは順送り。助けてもらったから助けてあげるの繰り返し。
昨日はあなたのコメントのおかげで元気がでました。薬剤師の仕事って時として苛酷だから。肉体的にも精神的にも。様々な人が訪れそう様々な悩みを打ち明けていく。そしてかけてあげる言葉がみつからないことも…。
変わり果てて行く姿を見るのは辛いものです。患者様は他人かもしれないけどいつも来てくださる方は情もわくし元気がないと心配になる。
距離をおきなさいと叱られるけど、憔悴して行く姿を見るとせつないし、天に召されると悲しくなる。
感受性が高いからこそ世の中を憂い、様々なことで心を痛め、ドロップアウトしてしまったりする。生き方ってひとつじゃないはずなのに、人と違うと顰蹙(ひんしゅく)を買う。
気にしていたらきりがないと思うんだけど真面目だからひとつひとつの言葉が胸にささる。
親子って変なところが似るから。娘の気持ちが痛いほどわかる時もあれば半分は旦那さんの遺伝子なのでわからない部分もある。
生きてるうちに、元気なうちに親とたくさん話しておきましょう。いろいろな発見ができるかもしれません。
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