確かに顔色は良くなかったようですが、朝食も食べ、話も出来ていたのに、救急隊員の方もびっくりするほどの状態。いつこと切れてもおかしくない状態だったようです。幸い、すぐに手当てをしていただいて持ち直し、いろいろ検査をした結果、心臓弁膜症が見つかりました。足の浮腫みも、認知症のような症状も、床ずれも、すぐに寝てしまうのも、みんな心臓病のせいで酸素が体中に行きわたっていないことが原因だったようです。
体力も落ちているし、床ずれのような傷があると手術ができないとのことで、傷を治し、体力の回復を待って手術の検討をすることになり、酸素治療が始まりました。その治療だけでは長く病院にお世話になるわけにも行かず、退院して在宅で酸素治療をすることになり、機械を入れて万全の準備をして退院。これから本格的な介護の始まりと思った矢先、様子を見に行った私たちのいるところで眠ったまま、旅立ってしまいました。
朝からおなかが痛くて食事ができず、チョコレート一粒を食べて、「コーヒーが飲みたい」と言ったのが最後にした会話。昼過ぎに娘と私が顔を出した時には、声が出ず、視点も定まらず、若干の震えもあり、医師に連絡をとりました。様子を見るようにと言われ、少し落ち着いたころ、水分を補給したら眠り始めたので、少し休んでから食事にしようかと安心していました。
寝息と軽いいびきはいつもの寝姿。落ち着いてよかったと思っていましたが、2時間ほどして様子を見に行った母が、「何かおかしい」と父を起こし始めました。せっかく気持ちよさそうに休んでいるのに、という私に、でも何かおかしいと言い出した母は昨春に自分の母親を介護していて最期を看取っていました。その時の様子を思い出したらしく、おかしいを連発、不安になった娘と私も脈をとったり息をしているかと鼻に手を当てたり。
脈はないし、息もしていないみたい、というのであわてて医師に連絡を取り、救急車を呼びました。情けないことにこの時点で人工呼吸をするということに頭が回らないほど3人とも動転していました。救急車から電話が入り、心臓マッサージをするように言われ、折れそうな父の胸を押した時の空気の押し出される音は苦しんでいる声のように聞こえました。ほどなくして救急隊員が到着し、そのあとはテレビドラマで見るように処置がてきぱきと進み、心臓マッサージ、AEDなどが繰り返されました。
4~5人の救急隊員が様々な手を施してくれ、心臓病を見つけてくれた医師の病院へ搬送されましたが、残念ながら無言の帰宅となってしまいました。
最初の入院の時に心臓病が見つかっていたら・・・
もっと早くに胸が苦しいなどと言ってくれていたら・・・
様々な検査をしたのに、なぜ見つからなかったの?
足の浮腫みは明らかに心臓病の症状だったそうなのに、他の先生はわからなかったの?
こんなに急変するなんて、本当に退院してよかったの?
様々な疑問が浮かんできます。
もう76歳だから、苦しまずに、迷惑もかけずにいけてよかったのだと母は言います。確かにそうです。見事な最後と叔母たちも言います。本当に奥さん孝行、子供にも手間をかけず、見事な幕引きです。
でも私の周りには「まだ76歳」という方がたくさんいらっしゃるので、残念でなりません。
いつまでもそんなことを言っては、父に申し訳ないと思うのですが、気持ちの整理にはもう少し時間が必要かなと思います・・・。
体力も落ちているし、床ずれのような傷があると手術ができないとのことで、傷を治し、体力の回復を待って手術の検討をすることになり、酸素治療が始まりました。その治療だけでは長く病院にお世話になるわけにも行かず、退院して在宅で酸素治療をすることになり、機械を入れて万全の準備をして退院。これから本格的な介護の始まりと思った矢先、様子を見に行った私たちのいるところで眠ったまま、旅立ってしまいました。
朝からおなかが痛くて食事ができず、チョコレート一粒を食べて、「コーヒーが飲みたい」と言ったのが最後にした会話。昼過ぎに娘と私が顔を出した時には、声が出ず、視点も定まらず、若干の震えもあり、医師に連絡をとりました。様子を見るようにと言われ、少し落ち着いたころ、水分を補給したら眠り始めたので、少し休んでから食事にしようかと安心していました。
寝息と軽いいびきはいつもの寝姿。落ち着いてよかったと思っていましたが、2時間ほどして様子を見に行った母が、「何かおかしい」と父を起こし始めました。せっかく気持ちよさそうに休んでいるのに、という私に、でも何かおかしいと言い出した母は昨春に自分の母親を介護していて最期を看取っていました。その時の様子を思い出したらしく、おかしいを連発、不安になった娘と私も脈をとったり息をしているかと鼻に手を当てたり。
脈はないし、息もしていないみたい、というのであわてて医師に連絡を取り、救急車を呼びました。情けないことにこの時点で人工呼吸をするということに頭が回らないほど3人とも動転していました。救急車から電話が入り、心臓マッサージをするように言われ、折れそうな父の胸を押した時の空気の押し出される音は苦しんでいる声のように聞こえました。ほどなくして救急隊員が到着し、そのあとはテレビドラマで見るように処置がてきぱきと進み、心臓マッサージ、AEDなどが繰り返されました。
4~5人の救急隊員が様々な手を施してくれ、心臓病を見つけてくれた医師の病院へ搬送されましたが、残念ながら無言の帰宅となってしまいました。
最初の入院の時に心臓病が見つかっていたら・・・
もっと早くに胸が苦しいなどと言ってくれていたら・・・
様々な検査をしたのに、なぜ見つからなかったの?
足の浮腫みは明らかに心臓病の症状だったそうなのに、他の先生はわからなかったの?
こんなに急変するなんて、本当に退院してよかったの?
様々な疑問が浮かんできます。
もう76歳だから、苦しまずに、迷惑もかけずにいけてよかったのだと母は言います。確かにそうです。見事な最後と叔母たちも言います。本当に奥さん孝行、子供にも手間をかけず、見事な幕引きです。
でも私の周りには「まだ76歳」という方がたくさんいらっしゃるので、残念でなりません。
いつまでもそんなことを言っては、父に申し訳ないと思うのですが、気持ちの整理にはもう少し時間が必要かなと思います・・・。
納骨がすむまでは矢のような速さで毎日が進み、ゆっくり振り返る暇もなかったのですが、落ち着いてきたら、じわじわといろいろなことが思い出されていくのでしょうね。
暖かいお言葉が胸に染み入りました。ありがとうございます。
永遠の別れが辛く淋しいと思います。
もっともっとお元気でいらして欲しかったと
思います。思い出は尽きないでしょう。いつまでも。。お父上様は ご家族のこころに生きておられます。。今も安らかに天のみくにで憩われておられると思います。お祈り申し上げます。