今日は4月8日、岡田有希子さんが亡くなられたという命日です(1986年4月8日)
あれからもう36年になります。
そこで今日は亡くなる2日前に実家へ戻った時のエピソードを書いた6年前のブログを再掲します。
『岡田有希子さんは4月6日に名古屋で里帰りコンサートを開いています。
それも実家から歩いていける距離にある会場でした。
その日の夜に久しぶりに実家へ寄ったそうです。
岡田有希子さんは名古屋で仕事があっても必ずしも実家によらなかったそうです。
きっと、帰ると家族に甘えてしまう自分がいたから本心では帰りたい気持ちがあってもそうしなかったそうです。
実家に帰り、最近の写真ということで姉の成人式の写真などを見ていたそうですが
ある1枚の写真を見た時、妙に黙りこんでいたと母親が語っています。
それは父母姉の三人で写っている写真だったという。
そして、帰り際にこんな一言をつぶやいたと言っています。
「お父さんかお母さん、どちらかひとりでも東京に来たほうがいいみたい。そのほうがお金がもらえるみたいだよ。ま、私は好きにやってるからいいんだけど……」
母親の手記によると「いままで決してそんなことをいう娘ではなかった」というように
岡田有希子さんは人に弱みを見せずつらいことがあって自分1人で背負ってしまう性格だったそうです。
母親は後になって妙にその言葉が気になったということです。
これが岡田有希子さんが家族に漏らした最後の弱音でもあったようで
それがメッセージのようでもあり母親は悔やんだそうです
現在、岡田有希子さんのファンだった人は子供を持っている方も多く気持ちは痛いほどわかるのではないでしょうか・・・
そして、名古屋駅発午後8時53分の新幹線で彼女は東京へ向かい
母親が見た岡田有希子こと娘「佳代(本名)」の最後の姿だったそうです・・・・・』
あれからもう36年になります。
そこで今日は亡くなる2日前に実家へ戻った時のエピソードを書いた6年前のブログを再掲します。
『岡田有希子さんは4月6日に名古屋で里帰りコンサートを開いています。
それも実家から歩いていける距離にある会場でした。
その日の夜に久しぶりに実家へ寄ったそうです。
岡田有希子さんは名古屋で仕事があっても必ずしも実家によらなかったそうです。
きっと、帰ると家族に甘えてしまう自分がいたから本心では帰りたい気持ちがあってもそうしなかったそうです。
実家に帰り、最近の写真ということで姉の成人式の写真などを見ていたそうですが
ある1枚の写真を見た時、妙に黙りこんでいたと母親が語っています。
それは父母姉の三人で写っている写真だったという。
そして、帰り際にこんな一言をつぶやいたと言っています。
「お父さんかお母さん、どちらかひとりでも東京に来たほうがいいみたい。そのほうがお金がもらえるみたいだよ。ま、私は好きにやってるからいいんだけど……」
母親の手記によると「いままで決してそんなことをいう娘ではなかった」というように
岡田有希子さんは人に弱みを見せずつらいことがあって自分1人で背負ってしまう性格だったそうです。
母親は後になって妙にその言葉が気になったということです。
これが岡田有希子さんが家族に漏らした最後の弱音でもあったようで
それがメッセージのようでもあり母親は悔やんだそうです
現在、岡田有希子さんのファンだった人は子供を持っている方も多く気持ちは痛いほどわかるのではないでしょうか・・・
そして、名古屋駅発午後8時53分の新幹線で彼女は東京へ向かい
母親が見た岡田有希子こと娘「佳代(本名)」の最後の姿だったそうです・・・・・』
有希子さんのお父様は現在老人ホームで暮らしていて
ときでき姉夫婦と家族がお父様の様子を伺っているみたいです。