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ばぁばのスマホ

2020-05-07 16:07:51 | 日記
特攻おじさんの特訓の甲斐もなく、何せ時流に乗れず、一生懸命スマホをいじればいじるほど、低酸素脳症になりかけます。先程も急いでチーズを1口食べて、砂糖たっぷりのコーヒーを飲んで、終わりました。

私はやっぱり「イムジン河」を聴きながら、立派になった精神科医の「きたやまおさむ」氏の近況(講演)とかを見て、とても楽しかったです。

良~く自己分析してみたら、自分もあの時代がとても幸せだったのでしょうね。

戦後の核家族のはしりの、中流家庭でアメリカからの受け売りの民主教育を学び、子供がとにかく多かったから、あの時代の子供がそれぞれ自分に合った道かどうかは、分かりませんが、ある時は金の玉子と云われ、都会へ都会へと働きに来て、高度成長を支えたのでしょう。

大学の先輩、友人なんて、厚木か所沢とかで、ベトナムで死んだ米兵の遺体をプールに沈めるアルバイトをしてました。
革マル系のアジトとやらも、見に行った事があります。

普通のアパートの一室でした。アジ演説もよく聴きましたが「自己批判」とやら
、やたら云ってました。

そんな中ですね、浅間山荘事件や一杯殺された赤軍派の人達。今生きていたらきっとモーレツ社員して、定年して、いいおじいさんになっていたでしょうね。

今どきの人は国を憂うる学生なんて、ほとんどいませんよね。

お医者さん達も医青連とやらで、旗を振った人達も、今は立派な開業医や医学博士になっているのでしょうね。

俗に「転向」と云うやつですね。
小林多喜二の世界の物語で知るだけです。
多喜二の蟹工船で思い出しました。
私の父は北海道庁職員で、労政畑をずうっと歩み、若い時の母の言葉でしたが、小樽の遠洋漁業(さけ・ます)の会社が
女工さんに酒一本ずつがボーナスだったと云うので、行政側なのに憤慨して女工さんに付こうとした時、母が明日から食べて行けないと、心の中で叫んだそうです。父は辞めませんでしたけど、そんな労働争議の手腕を買われて、日本一の製缶会社に引き抜かれました。

さぁ、一休みしたらスマホに慣れなきぁあ。

ちなみに、孫は2歳にして会食会とかでグズりだしたら、スマホで漫画を見て遊んでます。

子守りもスマホなのですね。

フォーククルセイダースを聴く

2020-05-06 05:24:09 | 日記
スマホを持たせて貰って、思わず嬉しかった事は、誰かと繋がっているとか、世間を知るとかではなく、50年以上前のフォーククルセイダースの「イムジン河」をお腹一杯聴けた事です。

あの当時はただの1曲だったけど、深く歌詞を聴くと、とても意味のある、放送禁止になった様な、歌だったのですものね。

あの時代のピリピリ感が感じられます。そして、あの当時はグループ全員が皆1つの顔に見えましたが、いまだに唱っている人も、九大医学部の教授になった人、自死した人と、今だから見える、自分たちと同じ様な年齢と時代を、駆け抜けて来た様子が重なり、心に何か分からないけど、不思議な気持ちになります。

スマホはまだまだ分からない事だらけで、目指すは孫の画面の顔を見ながら、話す事ですけど。

スマホの思わぬ第一歩で、懐かしい様な、悲しい様な、寂しい様な、不思議な自分だけの、昔の部屋に迷いこんだ様な想いです…。

あぁ、そうでした。世間はコロナ・コロナで大変!

小児結核も膠原病も、いろいろ病気した私には、いつでも取り付かれそうなウイルスですが、家におこもりして、静かに老人らしく過ごし、病気して皆々に迷惑を掛けない様に、したいです。

上手ではないスマホを眺めながら過ごします。

あぁ、そうでした。ベトナム戦争でベ平連とか、学生運動とかいろいろありましたね。
若者のフォークソングもその根底には、
戦争と平和への想いが有ったのでしょうね。

本当に懐かしく年齢(とし)を取ったなぁと、昭和は遠くなりにけりでしょうか。

今はピンピンコロリの歳になりました。

皆様、お健やかに。

本当の事を云うと、私は「きたやまおさむ」のファンです。
九大を退職したであろう「きたやまおさむ」の現在が知りたいものですね。

あの様に稼ぎまくっている人気の時にも、彼等は一年と云う活動期限を設け、それぞれの道に戻ったのでしょうね。

若くてお金と名声を手にすると、その後がどうなったのかとも、何の取り柄もない、平凡な人生の私は思いますが、ひがみでしょうかね。アハハハハツ!

ちなみに私も大学4年間でたった一度、巣鴨から池袋、原宿まで、届け出デモをした事があります。
静かなもので、大学の先生も一緒に歩いていましたもの。

ただ遠かったなぁと云うか、思い出です。

さぁ、ではスマホ練習しょうっと!