佐々木ゆうきの日記〜平和とともに歩んで〜

浦安の今と昔その8-地名1

浦安市には、山があります。『浦安富士』とよんでいましたが、今はその呼び名は聞かれません。浦安中央公園の一角にこの山はあります。野球場やテニスコートもあり、私がまだ小さい頃は、近隣に商業施設もあり、多くの市民が利用していたと思います。

これからは地名の紹介です。
■堀江(ほりえ)
 鎌倉時代に小さな港をすでに作りもっていたことから、この地を堀江と名づけたといわれます。江戸川区にも堀江団地という地名もあります。
■猫実(ねこざね)
 昔、大津波に遭い、その後地域の人びとは、豊受神社付近に丈夫な堤防を築きその上に松の木を植え、津波の襲来に備え、この松の木を越さじとの意味から「根越さね」といい、いつの間にか猫実と呼ばれるようになったそうです。「ねこみ」ではありません。
■当代島(とうだいじま)
 鎌倉時代に田中十兵衛が初めてここを開墾してから人が住みつくようになりました。それから住民はこの土地を当代(現代の意味)にできた島であることから当代島と名づけられたといいます。
■富岡(とみおか)
 ここには「富岡」という人が経営する養魚場があって、町の者から「富岡の池」と呼ばれ親しまれていたので、この名がついたそうです。
■弁天(べんてん)
 漁業関係者の間では、「弁天湾処」と呼ばれていたところからこの名がつきました。
■今川(いまがわ)
 漁場から境川河口に通ずる水路は、正しくは「江間川澪」というが漁民はこの澪を「いまっか」あるいは「いまがわ」と呼んでいました。この地区は「いまがわ」に接続していることからこの名がつきました。

■入船(いりふね)
 この地区は、漁場から帰る漁船の水路の入口にあたるところからつけられました。
■美浜(みはま)
 この地区は、遠く房総の山々を望み干潮時になると美しい砂浜が一帯に連なり、文字どおり美しい浜であったことからつけられました。
■海楽(かいらく)
 貝がたくさん捕れたので「貝えらく(多く)得ん」にちなんで「海楽園」の名がつけられたといわれ、戦前には行楽地として都会の人々でにぎわったそうです。
■北栄(きたざかえ)
 北部土地改良区の「北」に位置しており市川市と隣りあっているので北境となっていたが、この地区に浦安駅があることから、将来発展することを望んで「北栄」と名づけられました。
■富士見(ふじみ)
 この地先の境川には、もと富士見橋が架かり橋の上から晴天のときには遠く富士山を望むことができたので、これを記念してつけられました。

続きは地名2で。

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