「千葉武生」絵川流:日本舞踊・新舞踊:つぶやき、川越市、鶴ヶ島市、坂戸市などで踊ります。見に来て頂きたいです。

私は男ですが舞踊をやっています。稽古は週一で20年以上続けています。埼玉県鶴ヶ島市です。会場で生の舞台を見て頂きたいです

千葉武生: 「長唄  操り三番叟」、 石和温泉芸妓

2013年06月27日 | Weblog
千葉武生:「長唄 操り三番叟」、石和温泉芸妓








糸あやつりの三番叟人形が踊るうちに糸がもつれたり、切れたり。

人形のコミカルな動きを人間が見せるところがミソ。

箱の中から取り出した、糸あやつり人形の三番叟が、後見の操作で快活におどり出す。

つまり、生身の役者がマリオネットのふりごとをする、

おはん(舞踊)、千葉武生・ 絵川流・ 川越西文化会館

2013年06月27日 | Weblog
おはん(舞踊)、千葉武生・ 絵川流・ 川越西文化会館





あらすじ

幸吉は町の芸者・おかよと知り合い、親しい関係となる。

妻のおはんはそのことを知り、実家へ身を退ける。

7年後、街で偶然おはんと出会い自分に子供が居ることを知った幸吉はおはんとやり直す事を決めたのだが・・・。

絵川流:入門の御案内

2013年06月22日 | Weblog
絵川流:入門の御案内


日本舞踊は気軽にできるお稽古事だと思います。

「やってみたいけどお金がかかるのでは」、「いろいろ面倒でないだろうか」

いいえ、絵川流はそんな事はありません。 男女だれでも始められる、とっても楽しい踊りなのです!

誰もがが一番よく似合う着物をきれいに着こなし、日本舞踊、新舞踊を踊ってみませんか!

絵川流の出演している時でも「入門したいのですが…。」とお声をかけて頂けますか。



   お稽古をはじめるにあたって用意するもの


1. お稽古着――男性女性それぞれ仕立て方が違います。上等な着物でなくても、自分の体に合った寸法  のも

のであればかまいません。夏は浴衣が適当でしょう。(着付けは出来なくても大丈夫です、何度か  練習をすれ

ば、いずれ覚えます。)

2. 帯(女性)一般的には手軽な半巾の帯を使用します。

   (男性)角帯(かくおび)。男性用帯です。

3. 襦袢(じゅばん)――男性女性それぞれ仕立て方が違います。着物の下に着るもの。長襦袢よりも身頃  の

部分が晒しになっている半襦袢がよいでしょう。汗をかいても後始末が楽です。

4. 肌襦袢(はだじゅばん)――男性女性それぞれ仕立て方が違います。一番下に着る、着物の肌着です。  浴


衣は肌襦袢の上に着ます。

5. 着物の下にはくもの(女性)裾よけ(すそよけ)。できれば踊り用のものがよいと思います。又は女性  用

ステテコ。(男性)男性用ステテコ。

6. 白足袋――男性女性共通です。

7. 扇子お扇子はお稽古をはじめたらいずれは使うものですが、最初のお稽古から絶対に必要というわけで  は

ありません。

千葉武生:  浅草ゆう子「いつでも今がいちばん」を読んで…

2013年06月12日 | Weblog
浅草ゆう子「いつでも今がいちばん」を読んで…

※ おしゃれをするのは生きがいの一つです。いい着物を着ると、気持ちがしゃんとして、
  若くいられると思います。自分なりに、きれいにしていたいとつとめています。
  人は見た目といいますが、“ナリ”はやはり大事ではないかしら。



 一、今日一日、腹を立てず、朗らかに過ごす。
 一、今日一日、偽りをいわず、信義を守る。
 一、今日一日、人に親切を尽くす。
 一、今日一日、身体を大切に。
 一、今日一日、足るを知って満足する事。
 一、今日一日、よく働き、よく眠る。


  生きる処世術ですね!

 芸事に打ち込む姿勢が感動的です、私も見習う事がいっぱいです。
 ( 野心は前輪、努力は後輪。 )



 平成25年8月3日(土)
 浅草「ほおずき会」に私:千葉武生が行ってきました。


絵川流:千葉武生:「瞼の母」のあらすじ

2013年06月01日 | Weblog
  「瞼の母」
 
子を捨てて出奔し、行方をくらませていた母。彼女は住み込みの女中から苦労して、今では江戸でも名のある料理屋の女主人になっている。一人娘はまもなく老舗の若旦那と祝言を上げる。着の身着のままで江戸に流れ着いた女にとって、まさに人生の頂点である。自分の過去に後ろぐらいところはないが、これからはなおさら世間に後ろ指さされるようなことはできないと考えている。

 忠太郎とその母親の双方の立場や思惑をきちんと描いているから、再会シーンの両者の反応のギャップが際立つ。子には子の事情があり、親には親の事情がある。母との再会の喜びに身を震わせ、「おっかさん!」と叫ぶ忠太郎の登場に、驚きうろたえる母親。最初はたちの悪いユスリだと思い、次にはよくできたカタリだろうと思う心が、やがて、やはりこれはわが子であると悟るにいたる心情の変化。それでも、彼女は自分が母親だと言い出せない。

 確かに自分には忠太郎という息子があった。でも、息子は9歳の時はやり病で死んだと聞いている。そもそも、親子の名乗りを上げてその後どうするつもりなのか。目的は金かと詰め寄る母に、忠太郎は懐から百両の金をつかみだして言う。再会した母が裕福に暮らしているならよし。もしそうでなかった時のことを考えて、博打場でこつこととためたこの百両には手を付けずにいたのだと。今までは両の瞼を閉じれば母親の面影が浮かんできたというのに、さんざ骨折りして面影の母を消してしまったと泣く忠太郎。彼は足早に去って行く。

 結局、娘の言葉もあって母は忠太郎を追うことになるのだが、忠太郎は渡世のしがらみから何人か人を斬っている。自分の名を呼ぶ母の声を聞きながら、今度は忠太郎が出るに出られない。握りこぶしを口に押し当てて、嗚咽を噛みしめる忠太郎。

絵川流:千葉武生:舞踊(新舞踊):「瞼の母」解説

2013年06月01日 | Weblog
番場の忠太郎は五歳の時に母親と生き別れになった。それから二十年、母恋いしさに旅から旅への渡り鳥。

風の便りに母が江戸にいるらしいと知ったが、親しい半次郎の身が気がかりで、武州金町へ向った。

忠太郎の身の上話を聞き、おはまは顔色をかえたが「私の忠太郎は九つのとき流行病で死んだ」、

と冷たく突き放した。娘を頼りの今の倖せな暮らしに、水をさして貰いたくないからだ。

忠太郎はカッとなって飛び出した。暗い気持の忠太郎を、金五郎一味が取り囲んだ。

「てめえら親はあるか。ねえんだったら容赦しねえぜ」と、忠太郎は一人残らず斬り伏せた。

一方、お登世と長二郎に諌められたおはまは、忠太郎の名を呼びながら探した。

忠太郎はおはまたちから身を隠し耳をふさいだ。離れていくその後姿を拝んで、

男泣きの忠太郎は風のように去っていった。