7月11日(月曜日)
「鶴喜そば」を出て、お店の窓を見ると ”大津絵(おおつえ)展を2階で開催しています。期間:7月○○~○○ 無料”
の張り紙が目に入りました。
6年前までは、”大津絵 ”なんて聞いたことも見たことも有りません。
6年前に大石神社の境内で、「山科絵(やましなえ)」なるものに出会い、このとき初めて「大津絵」も有ることを知りました。女房は大津絵のことは知っていました。しかしながら「大津絵」は、お互い見たことが有りません。
これは良い機会です。再度お店に入って、 「大津絵展を見たいのですが」と言えば「どうぞ!」の返事が返って来ました。
履物を脱ぎトントントンと2階へ。畳の部屋は、ぐるりと大津絵が並べてあり、番号と絵の値段を書いた紙が、畳の上に置いてあります。値段は、5,000円~15、000円と大きさによって異なります。
順番に見て回ります。どことなくユーモラスな絵が、何点か目につきました。
この絵を描いた方は、大津市在住 ”大津松楓会(おおつしょうふうかい)佐藤 実真”さん 。名刺が置いて有りました。
「大津絵」は、仏画から始まった伝統民画で、江戸時代の初期の頃から今の滋賀県大津市のあたりで、東海道を旅する人たちに土産物として売られていたそうです。
またまた賢くなってしまいました。どうしましょ。 「好きにすれば~(^^♪」の外野の声が聞こえて来ました。
【参 考】
1.「山科絵」復活の経緯
江戸-京都の往来が賑わいを見せたていた江戸・元禄時代には、東海道(旧三条街道)沿いに「山科絵」というのが描かれて、旅行く人たちに売られていました。描いたのは、専門の絵描きではなくて、街道周辺の地元の農家の人たちだと言われています。
近くには「大津絵」というのがあり、これは全国的に有名で、少し東の髭茶屋(ひげちゃや)町というあたりに奈良街道と東海道とが分かれる「追分(おいわけ)」という所があり、江戸時代のはじめ、そこで生まれました。はじめは仏さまに関する絵だったのですが、やがていろいろな絵も描かれるようになります。「十三仏」「鬼の寒念仏」「藤娘」など、いろいろ有名です。これをお土産として売っていて、安い値段でしたので旅の人たちは、これを買って家に持って帰り、おがんだりしたと言います。
そして、「山科絵」は、その50年ほどあとに描かれて、大津絵と良く似ていました。大津絵が売られていた追分の山科側で販売されたため「山科絵」と呼ばれたそうです。「東海道沿いに売られていた」という記録が残っていますので、東海道沿い(旧三条通り)の四ノ宮地域ではないかと推測されています。半紙に神さまや仏さまなどの絵を描いて東海道を行き交う旅人に売られていたものです。その後、「山科絵」はすたれてしまって、今では「大津絵」だけが残っています。
これを知った山科区椥辻(なぎつじ)在住の山本義雄さん(画家・椥辻在住)が、1999年からその復興に取り組まれ「山科絵」として再興された。
2.山坐(さんざ)画廊(山本義雄さんのギャラリー)
・住所:京都市山科区椥辻東浦町61-3
・電話:075-501-7285