yuzuの記

優しい風に誘われて

季節外れの線香花火 

2014-10-06 09:42:54 | つれづれ

 

   

     去年、母の箪笥を整理していたら 5本の線香花火が出てきて ベランダでそっと火をつけてみました。

     長く置いてあったのか はじめの2本はすぐ消えてしまい、3本目からチッチッチと散ってくれました。

     当時、わだかまりを抱えて辛かったこともあり、妙に切なく眺めたものでした。

     何気に売れ残りの線香花火があったので買って帰り、つけてみると その後1通の手紙で

     彷徨っていた気持ちが静まり慰められることに、ああ 時間が助けてくれるんだなと思ったことが蘇りました。

 

 

    母の一周忌を前に 私はN総合病院の院長あてに 1通の手紙を書きました。

    何も病院に対する非難や説明を求めたものではありません。

    ただ 家族の切なる思いとお願いをしたためたのです。

    私も長く医療の現場で どうしようもないこと、対処が難しいことがある事も理解しています。

    それをふまえても自分の中で 母の最後の時を受け入れるには 落としどころが無かったのですね。

 

    「どうしました? 元気がないですね。どこかうつろな感じが気になりますよ」と

    私自身が受診している他科の女医さんに言われ じっくりと聞きますよという態度に自分の思っている事を

    淡々と話したつもりが涙になって それでも傍観者のような感覚がどこか彷徨っている様子に見えたのでしょう。

    「病院は基本に 愛がないといけないと私は思います。その気持ちを病院に告げられたらどうですか?」

    「私は母の死は受け入れます。前から悪いところばかりでしたから・・・でも 良く考えてみます」 と

    それから半年くらい経ってから 気持を整理して手紙を書いてみました。

    看護師の説明では 3時の見回りで心停止しており 家に連絡があったのは4時前です。

    何故こんなに遅かったのでしょう。更に妹と20分で駆けつけたのに 会わせてもらったのは5時前だったのです。

    回復の兆しが見えて喜んでいた矢先の急変です。それだけでも受け入れがたいのにこの現実は・・・

    高齢者が治療を受け、入院中に急変するその時 患者自身や家族の思い、希望は叶えられているのか

    また 高齢者であるからこそ いざというときの対処にお互いの確認はなされているのか そのことを考えました。

    死が訪れてもそれは致し方ないけれど その瞬間に駆けつけて 間に合っている家族を別室で待たせて

    可能性0の処置を施すことに どれだけの意味があるのでしょう。

    それも強く強く詰め寄ってやっと病室に入れてもらったのです。その時には母の体はもう冷たくて・・・

    マニュアルに従って希望のない処置を決められた時間ただ行う事に 患者や家族に愛があると言えるのでしょうか。

    それよりも 逝こうとしている人をせめて家族に見守らせて欲しい ひとりで旅立たせることは

    あまりにも切ないです。母を無事見送ってあげられるよう田舎に帰り、住まいも病院の近くにしたのです。

    自分では万全を期して介護生活を送り ちょうど妹も来ていたのです。

    せめて助からないなら 私たちで手を握ってあげたかった。寂しい旅立ちはさせたくなかった。

    どうしてもっと早く会わせてもらえなかったのか どうして見送らせてもらえなかったのか・・・

    無念さが自責の念になり 葬式後も腑抜けのように心がどこかへ飛んでしまっていました。

    どうか、いろんな家庭があるでしょうが いざという時 患者本人と家族はどう望んでいるのか

    人の厳粛な瞬間です。二度と取り返せません。病院は確認しておくことも大事な事ではないでしょうか。

    そのような事を書いた様に思います。

 

    1か月位たってから 病院の方からお時間を下さいと言われ部屋に入ると

    主治医と母の入院していた病棟の師長、総師長、総務の人が4人で待っていました。

    私の手紙を病棟全員で回し読み、当日の看護日誌や担当者の話など調査して日数がかかったことを まず詫びられ

    連絡が遅かった件は、3時の見回りで心停止という説明は 3時45分のことで それを3時と言ってしまったこと

    ここに大きな誤解の原因があったとの事です。見過ごされていたのかと切なく思った事も納得がいきました。

    こんな言葉の違いが 遺族に与える苦しみを大きくも小さくもするのですね。

    主治医からも 臨終の際に措置をとるのか家族に会わせるのか 前もってそれぞれの意思を確認するよう

    病院としても話し合い統一していくよう図りたいと言われ、私がとつとつと心情を語る間

    病棟の師長は 時折涙ぐみハンカチを出していました。私のわだかまっていたことが伝わったのだと

    もう これで忘れよう・・・と 気持にす~と風が通っていくような気がしました。

 

    長く気持ちが彷徨していて どこかまっすぐに歩けないような心もとなさが 私を次へと進ませないでいたのが

    ようやくけじめがついたような気がしたものです。

    あれから数か月・・・また元気に山にも向かっています。歩き出していますよ。

    自分のための道程があるはずです。迷いも戸惑いも少なからずあるけれど でも勇気をもって進んでみよう。

    今は そう思っています。全く違う世界に踏み込むのかも知れないけれど 夢も希望もなくしたりしません。

 

    季節外れの線香花火は もう去年ほど切なくはありませんよ。 お母さん・・・

               

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6 コメント

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辛かったんですね・・ (mako)
2014-10-08 20:56:33
こんばんは。

最愛の人の最期を看取る事ができなかった哀しさは
経験したことのない人にはわからないでしょうね・・
かく言う自分は、親父の時、目の前で旅立つ瞬間を
体験しました。
何が起きているのか、理解できないままその瞬間は
目の前で淡々と過ぎていきました。
そんな自分でさえその現実を受け入れることに
時間がかかった事を思い出します・・・
まして、貴女のように最期のときに傍にいられなかった
としたら、受け入れるのにもっともっと時間がかかることと・・・
理解できますよ。

病院の方もあなたの思いを真摯に受け止めてくれたの
だと思います。

『人は独りでは生きて行けない』 これは言い換えると
『人は誰かのために生きている』 こうとらえることが
できるかも知れません・・
その『誰か』(母上) をなくして、前に進めなくなってしまって
いたんでしょうね・・・

季節はずれの線香花火は、はかなく・・しかし
美しいですね・・・
少しづつでも 前に進まれることを祈っていますね^^
返信する
よく分かりますね~ (なにわいばら)
2014-10-08 23:43:29
yuzuさんゆっくり読ませてもらいました。
ほんとうに辛かったですね。
身内でないと分からない悔しい悲しい思い。
病院側のみんなにも思いが分かってもらえて
少しでも心が軽くなられたこと。
前向きになろうと思えたことはよかったです。

今日姉の入院している病院に食事時間にあわせて
行き
意識がもうろうとする姉を大きな声で呼びながら
口を開けさせ食事をとっている時主治医が入って
来てもう退院してもいいのでは・・・・
「エッ・・・」その言葉を疑いました。こんな状態で・・・
まだ2週間も経っていないのに・・・
今週末には孫の結婚式があり家族全員不在になることを必死で訴えました。
突然の血尿で入院して腎臓に癌がみつかり家族全員
奈落の底に落ちている
にもかかわらず体力的にも手術は無理。
どこかの介護施設に行けと・・・・
もうどこも満杯で受け入れぐちがありません。
姉の夫も88歳という高齢。
こんな非常なことがあるのでしょうか。

泣きたい思いで帰ってきました。

高齢者にはとても冷たい世の中です。







返信する
makoさんへ (yuzu)
2014-10-08 23:57:04
こんばんは~ ^-^

ありがとうございます。
暫くは停滞していましたが もう元気ですよ。
今だから話せる そんな感じです。
身内の事はやはり重くて辛いものですね。
でも 妹がいたから越えてこれたのだと思っています。
makoさんのおとう様の時のことは よく覚えています。
昭和の男がひとり旅立った・・・・としみじみ語っておられましたね。
時間はかかったけれど 自分の中で整理がついたので
これからは屈託の殻から抜け出して
元気に楽しく過ごすようにしますね。

病院は話を真摯に受け止めて 心情を分かってくれましたので
改善してくれると思います。母も分かってくれるかと・・・

前に進みますね。忙しかったころのように  ^-^
ありがとうございました。
返信する
なにわいばらさんへ (yuzu)
2014-10-09 00:29:51
こんばんは~ ^-^

ほんとはね 鬱になるのではと思うほど苦しみました。
でも女医さんからのアドバイスで病院と対峙することが出来
家族の思いも届いたのかなと それにまだ妹がいたので
自分を律することが出来たように思います。

高齢者には冷たい世の中・・・ほんとにそうですね。
大病院ななればなる程その傾向は システム的にあるのですね。
日本は高齢化社会です。医療の現場で受け入れが十分でなかったり
介護施設も何年も待たなくてはいけなかったり
政策が後手後手なので泥縄のような措置しかなされていません。
生前、母の手術後の腹膜が破れて 内臓が皮膚の下にさらされた時も
外科のDrは体質だし高齢なので手術は進めません。
こちらですることはもうありません。と
それは冷たい切り捨てぶりでした。
この現実には 頭から氷水を浴びせられたような思いでした。
無理は無理でも患者にとって 親身の言葉だけでも
拠り所になるものを
それは多くの患者さんを抱える病院にとっては
何百人の中の一人かも知れないけれど
家族にとっては唯一無二の存在なのに
医療や介護の現場を早く見直して 根元からシステムを変えない限り
弱者は苦しい立場に立たされてしまいますね。

なにわいばらさんの怒りとご心配はほんとによくわかります。
疾患が明らかにある以上 加療が必要なのですから
退院という話は腑に落ちませんね。
病院の中にそういった相談窓口があるはずですから
力になってくれるといいですね。
なにわいばらさんもお疲れの出ませんように・・・
返信する
お気持ちわかります (pikao)
2014-10-13 15:08:07
こんにちは^^
そうでしたか そんなことがあったんですか
yuzuさんの「せめてってお気持ち」・・・よくわかります
pikaoの時もいろいろありました・・・
病院側のやった腑に落ちないこと
pikaoの心の奥深く納めてる事があります
yuzuさんが 
また元気に山に向かって次に進むようになって嬉しいです


返信する
pikaoさんへ (yuzu)
2014-10-13 18:14:55
やっとね 書けるようになりましたよ。
ここに来るまでに いろんな気持ちの整理があって
ああ 私もずいぶん楽になったんだなって
今 そんな風に思います。
ご心配かけて・・・・皆さんには感謝しています。

私も医療サイドの人間でしたから 病院の事情も
良くわかるのです。
それでも 忘れてはいけないこともあると
いつも思っていました。
こうした悲しみをたくさんの人たちが 味わわないで欲しいと
切に思うことです。
返信する

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