結羽〜青い風にふかれて

ゆらめく心 きらめく心 うたかたの夢

リグレット ~後悔~

2020-08-30 16:41:49 | ショートストーリー

 

 ピッピッピッピッ…

 アラーム音が聞こえる。立木美奈は腕を伸ばしスマホを手に取ると、ちらりと見てそのまま枕元に伏せた。

 また一日が始まる… 憂鬱な気分で布団の中に潜り込んだ美奈に、追い打ちをかけるようにまたスマホが鳴りだした。

 もう、ふた月近くになる…こんな朝を迎えるようになってから…

 美奈はもそもそと起き上がると、テレビのリモコンを掴みスイッチを押した。画面には、爽やかな笑顔が映し出され、一日の始まりを告げていた。美奈とは正反対の笑顔。

 恭子の訃報を聞いたあの朝、他人には絶対言えないが、わずかな罪悪感を押しのけて喜びが湧き上がった。そんな自分に驚いたが、それが偽らざる気持ちだった。やっとなにもかも手に入れた…そう思うとひとりでに笑みがこぼれたのだ。

 嫌な女…。美奈は洗面台へ行き、バシャバシャと勢いよく顔を洗うと、濡れたまま鏡に映る自分を見て、ため息をついた。

 

 とても朝食を食べる気にはなれない。美奈は、グレーのチェスターコートを羽織ると足早に駅へと向かった。人混みに押されるように電車に乗り、ほぅと小さなため息をつく。開く回数の少ないほうのドア近くに立ち、目をつぶった。

「おはよう」と不意に声がかかった。びくっとして振り向くと、恭子と同期の森田薫だった。悲しげな表情をしている。薫はいつも隣の駅から乗ってくる。それを知っていたので、このところ顔を合わせないように定位置を変えていた。「おはようございます」美奈は向き直って軽く頭を下げた。

「びっくりしちゃった、立木さん、恭子にそっくりね。後ろ姿を見て恭子かと思ったわ。そんな訳、ないのにね」

 薫は目を伏せると悲しげに言った。美奈には言葉がなかった。ふたりは無言のまま電車に揺られていった。

 恭子と似ている。そう言われるのは今に始まったことじゃない。もともと恭子のまねをしていたんだし、以前は似ていると言われることが嬉しかった。でも今は…。

 

 入社し研修が終わると広報に配属され、そこで初めて恭子に会った。一目見て、なんて綺麗な人なんだろうと見とれてしまった。その恭子のアシストにつくようになり、美奈は舞い上がった。恭子と一緒に仕事が出来る! それだけでテンションが上がった。恭子は綺麗なだけではなく、仕事もよく出来た。他部署からの信頼も厚かった。そんな恭子に美奈は強い憧れを持った。

 

 恭子先輩のようになりたい。

 

 それからだ、恭子のまねをしだしたのは。最初は文房具など些細なものだった。単純に同じものを持つことが嬉しかった。しかし、同じものを持てば持つほど心はささくれ立っていく。それを抑えるように、また、まねをする。負の連鎖。自分でもおかしいとわかっていたが、止めることが出来なかった。そして、それはさらにエスカレートしていき、やがて恭子自身になりたいと思うまでになっていった。

 

 恭子先輩のようになりたい…恭子のようになりたい…恭子に、な・り・た・い。

 

 強い憧れは、いつしか激しい嫉妬と妬みに変わり、美奈の心をじわじわと蝕んでいった。

 

 そんなある朝、課長が恭子の死を告げた。

 あれは事故だったんだ。恭子は誤ってベランダから落ちた。悪いのは恭子だ、私は悪くない。

 頭痛に悩まされているという恭子に渡したのは、鎮痛剤ではなく合法ドラッグだった。

「これ、落ち込んだ時に飲むと気分が上がるよ」と友人がくれたクスリ。恭子にはよく効く鎮痛剤だと嘘をついた。それを飲んだのかどうかわからないが、おそらく飲んだのだろう。そして運悪くベランダから転落した。私のせいじゃない。偶然…そう偶然が重なっただけ。

 

 なんとか午前の仕事をこなし、昼休みにトイレに入ると、ボックスの外、洗面台あたりからあけすけなおしゃべりが聞こえてきた。

「ねぇ、ここんとこ、うちの社内報って全然面白くないわね」

「ああ、なんだか編集担当が変わったらしいよ。前の人、えーっと瀬名さん?だっけ、事故で亡くなったんだって」

「へー、そうなんだ、どおりで。コラムなんかつまらなくて読む気がしないわ。楽しみにしてたのよ、あれ」

「そうそう、そういう話よく聞く!それに社内の事情とかもよくわかったのに、今はちょっとね…担当が変わっただけで随分違っちゃうのね」

 美奈はぎゅっと拳を握り締め、唇を噛んだ。

 その日の午後、問題の社内報の校正刷りが印刷所からメールで送られて来た。美奈はチェックにかかり、赤色で訂正箇所を書き込んで返信した。しばらくすると、印刷所から了解の連絡が入ったが、担当者の余談の言葉がさらに美奈を滅入らせた。

「それはそうと、瀬名さんお気の毒でした。早いもので四十九日も過ぎましたね。わたくし、御社とは長いお付き合いになりますが、瀬名さんほど熱心で、完璧なお仕事をなさる方はこれまでいませんでした。うちとしても、本当に残念です」

 敵わない、何をやっても恭子には敵わない。所詮まねはまねでしかない。打ちのめされる思いがした。

 

 美奈は、重い気持ちを引きずりながら家に帰ると、真っ直ぐ洗面所に向かった。蛇口をひねって水を出し、何気なく鏡を見て息が止まりそうになった。映っているのは美奈じゃない。恭子先輩?…青白い顔をした恭子。いや違う、恭子そっくりの自分。美奈は、あわてて部屋に戻りハサミを掴むと洗面所に引き返した。肩まである髪を掴み、ざくりと切った。ざく、ざく、ざく…恭子と同じストレートの美しい髪が無残に切り落とされた。

 

 だらりと垂れた手にハサミを持ったまま、美奈はふらふらと部屋に戻り、気持ちを落ち着かせようとあのクスリを飲んだ。頭がぼんやりしてきた。立ったままゆっくり自分の部屋を眺める。部屋中、恭子の物で溢れている。アクセサリーも服も香水も…何もかも全部恭子の物! 自分の物なんてひとつもない。ここは私の部屋じゃない、恭子の部屋だ! 

 その時、あのピンクのバッグが目に飛び込んできた。恭子が持っているのを見て、一目で気に入ったバッグ。どうしても手に入れたいと思ったバッグ。いつものようにどこで買ったのかと尋ねた時、恭子の表情がくもったのを見逃さなかった。恭子も気に入っていたのだろう。美奈はそんな恭子を見て、なおさら欲しいと思った。そして、自分がバッグを手に入れたその夜に恭子は死んだ。美奈は急に怖くなり、バッグを掴むと床に叩きつけた。

 

 みな…美奈…。誰かがどこかで呼ぶ声がする。こわごわ部屋中を見回すと、姿見に女が映っている。美奈は目を見張った。

 それは紛れもなく恭子だった。

 恭子は悲しげな顔をしてじっと美奈を見つめている。美奈は、背筋を冷たい汗が流れるのを感じ、夢中でハサミを握ると恭子の胸めがけて突き出した。ガチッと跳ね返る感触と鏡に入ったひび。恭子が一瞬、嘲笑を浮かべたように見えた。

 激しい憎悪が湧き起こった。美奈は逆手に握りなおしたハサミを大きくかざすと、思いきり恭子の胸に振り下ろした。

 

 さよなら、恭子先輩! もう付きまとわないで! 今度は柔らかな感触が伝わった。

 

 

 数日後の朝、一見いつもと変わらない始業時の広報部フロア。課長がおもむろに席を立って話し始めた。

「みんな聞いてくれ、悲しい知らせがある…実は昨夜わかったことなんだが、立木美奈さんが…」

 

 

 

 

 

     ☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆

 

 

 

 ショートストーリー「リスペクト」に頂いたコメントをヒントに、美奈目線の「リグレット」を書きました。

 コメントを通じ、インスパイア(ひらめきや刺激)され次の創作に繋がったこと、とても幸せに思っています。

 みなさま、ありがとうございました。


リスペクト(改稿版)

2020-08-23 22:17:53 | ショートストーリー

 クンちゃんからご指摘をいただきました、改行及び改行時の頭一字開けを直しました。

 gooブログの書式の関係か、行を開けている訳ではないのに、改行すると妙に行間が空くのが気になります。文字を続けて書くときは、このように行間が詰まります。この辺りをもう少し改良してくれたらと思います。

 さて、以下のショートストーリー「リスペクト」は、昨日アップしたものと内容は全く同じです。すでに読まれた方はどうぞスルーしてください。

 

☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆

 

「せんぱーい!」後ろから呼ぶ声がした。会社はもう目の前だ。瀬名恭子は一瞬立ちどまるかどうか迷ったが、うんざりした表情を浮かべると振り返らず歩を進めた。

「先輩、待ってくださいよぅ」鼻にかかった甘ったるい声。秋晴れの朝だというのに、一気に気分は下降線をたどる。恭子は仕方なく立ち止まり、声の主へ顔を向けた。

 立木美奈、3期下の後輩だ。同じ広報部で机を並べている。別に美奈が嫌いなわけじゃない、ただちょっと苦手なだけ。あの鼻にかかった声と馴れ馴れしい態度、そして何より気に入らないのは、なんでも恭子のマネをすることだった。

「恭子せ・ん・ぱ・い! 聞こえなかったんですか? さっきからずっと呼んでたのに」

「あら、そう? 気がつかなかったわ」

「うっそっー! 本当は知っててわざと知らん顔したでしょう!」図星をつかれ、恭子は言葉に詰まった。こういう遠慮のない物言いも苦手だ。

「あれ? それ、素敵なバッグ! かわいい!」美奈が声を上げた。

 先日買ったばかりのバッグ。くすんだピンクが可愛いすぎず派手すぎず、一目で気に入った。衝動買いなどしない恭子が、見た瞬間買おうと決めたバッグだ。

「いいなぁ、上品なピンクのバッグ。私も欲しい! 先輩、それ、どこで買ったんですか?」

 ああ、また始まった。

 恭子はあきらめ顔で答えた。「三つ星デパート」

「三つ星デパート、ですね」確認するようにそう言うと、美奈はにっこりと笑った。

 この先はもうわかっている。今日、仕事帰りに三つ星デパートに行き、これと同じバッグを買うに違いない。恭子は深いため息をついた。

 

 美奈が入社した3年前、恭子は教育係としてペアを組むことになった。奇妙なマネの始まりは文房具やハンカチなど些細な物からだった。ふと気づくとなぜか美奈が自分と同じ物を持っている。最初は偶然だとさして気にも留めなかったが、それにしてもかぶりすぎている。さらに注意して見ていると、あれもこれも、なにもかも恭子と同じではないか。異常というより異様だ。

 堪りかねた恭子は、思い切って聞いてみた。

「あれ?気づいちゃったんですか。私、恭子先輩をリスペクトしているんです」

「リスペクト?」

「そう、私もいつか恭子先輩のように、仕事が出来て、綺麗で自立した女性になりたいと思って。だから先輩のマネをしてるの」

 あっけらかんと、なかば強引に言い切る美奈に唖然とした。

 それからというもの、美奈は執拗に、その服はどこで買ったのか、靴はどこ? 呆れたことに下着のブランドまで問うようになり、忘れたととぼけても、ネットで検索して数日後には同じものを手に入れていた。恭子は気にしないようにしていたが、化粧品から服、靴、バッグ、果ては髪型までと、度を超した美奈の様子に、だんだんと苛立ちと嫌悪を感じるようになった。周りからはお揃いのものを持つほど仲がよく、まるで姉妹のようにそっくりだと言われるのも嫌だった。実際、最近の美奈は恭子によく似てきた。気味が悪いくらいに…。

 リスペクトなんて言いながら、本当は嫌がらせをしているのではと思う一方、そんなふうに考える自分を今度は自己嫌悪した。

 

 その日、美奈は定時きっかりに退社していった。行先はわかっている、三つ星デパートだ。このバッグと同じ物を買って、明日持ってくるに違いない。これ気に入ってたのにな…恭子はデスクの上を片付け、パソコンの電源を落とすと、憂鬱な気持ちで家路についた。

 

 夜、なかなか寝付けず、浅い眠りに入ったと思ったら頭痛で目が覚めた。頭が割れるように痛い。頭から首、肩にかけても重い痛みがある。たしか美奈がくれた薬があったはず……恭子はベッドから起き上がると、バッグの中を探った。

 数日前、時々頭痛に悩まされると美奈に話した。すると彼女は「先輩、これすごくよく効く鎮痛剤! 私も愛用してるんです。何かあったら使ってみてください」と手渡してくれた。そういう可愛いところもあるから、無下にはできない。 

 冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出すと、あまりの痛さに、確かめもせず何錠かを飲み込んだ。しばらくじっとしていると、薬が効いてきたのか痛みは無くなったが、今度は身体が火照って熱い。

 熱、出てきたのかな…

 恭子はベッドから起きあがると、カーテンを開け、続けて窓も開けた。夜風が心地いい。もう少し風に当たっていたい。恭子はそう思いサンダルを履くとベランダへ出た。

 闇の中にふわりと浮かぶ自分。奇妙な夢……幻覚?と思ったその瞬間、意識が途絶えた。

 

 翌朝、いつもどおり出社し、パソコンを立ち上げようとしたとき、課長が急に沈んだ声で切り出した。「みんな聞いてくれ」いつも、ぼそっとしゃべる人だが、この朝はさらに聞き取りにくい。

「実は悲しい知らせがある。昨夜のことだが……、亡くなった。…ほとんど即死だったそうだ…みんなで彼女の冥福を祈ろう」

 えっ誰が亡くなったって? 恭子は驚いてあたりを見回した。しかしみな揃っている。課内に重苦しい空気が流れた。

 

 痛い、頭が…痛い! 

 

 突然、強烈な痛みが恭子を襲った。両手で頭を押さえたが、足元の床が抜け、宙に浮くような感覚に襲われた。椅子にきちんと座っていられず、身体を折り曲げると、あのピンクのバッグが美奈のデスクの上に置いてあるのが見えた。

 次の刹那、恭子は広報部全体を見渡せる高い位置に浮いていた。自分でも信じられないことに、文字どおり宙に浮いているのだ。

 課長が立ち上がるのが見えた。さっき見た光景だ。彼の話が今度はすんなりと耳に入ってきた。

「実は悲しい知らせがある。昨夜のことだが、瀬名恭子さんがご自宅のベランダから落ちて亡くなった。全身を強く打って、ほとんど即死状態だったそうだ…みんなで彼女の冥福を祈ろう。それから立木美奈くん、すまんが瀬名さんの仕事、君が引き継いでくれ。ずっとペアでやって来たんだから、段取りは誰よりもわかっているだろう。急なことで君も辛いだろうが、よろしく頼むよ」

 美奈は、両手で顔を覆い、肩を震わせて泣きじゃくっている。くっ、くっ、くっという押さえつけたような声が洩れる。姉のように慕っていた恭子の死が、あまりにもショックなのだろう…誰もがそう思っていた。しかし恭子はどこか違和感を感じ、すっと美奈に近づくと、両手で隠された顔を横から覗き込んだ。そして思わず声を上げそうになった。

 泣いているはずの美奈の口角が上がっている。次の瞬間、ゆっくりと彼女の唇が動いた。

 

さようなら、先輩。

リスペクトはもう、お・し・ま・い


リスペクト

2020-08-22 20:03:20 | ショートストーリー

 

「せんぱーい!」後ろから呼ぶ声がした。会社はもう目の前だ。

瀬名恭子は一瞬立ちどまるかどうか迷ったが、うんざりした表情を浮かべると振り返らず歩を進めた。

「先輩、待ってくださいよぅ」鼻にかかった甘ったるい声。秋晴れの朝だというのに、一気に気分は下降線をたどる。

恭子は仕方なく立ち止まり、声の主へ顔を向けた。

 立木美奈、3期下の後輩だ。同じ広報部で机を並べている。別に美奈が嫌いなわけじゃない、ただちょっと苦手なだけ。

あの鼻にかかった声と馴れ馴れしい態度、そして何より気に入らないのは、なんでも恭子のマネをすることだった。

「恭子せ・ん・ぱ・い! 聞こえなかったんですか? さっきからずっと呼んでたのに」

「あら、そう? 気がつかなかったわ」

「うっそっー! 本当は知っててわざと知らん顔したでしょう!」

図星をつかれ、恭子は言葉に詰まった。こういう遠慮のない物言いも苦手だ。

「あれ? それ、素敵なバッグ! かわいい!」美奈が声を上げた。

 先日買ったばかりのバッグ。くすんだピンクが可愛いすぎず派手すぎず、一目で気に入った。

衝動買いなどしない恭子が、見た瞬間買おうと決めたバッグだ。

「いいなぁ、上品なピンクのバッグ。私も欲しい! 先輩、それ、どこで買ったんですか?」

 

ああ、また始まった。

 

恭子はあきらめ顔で答えた。「三つ星デパート」

「三つ星デパート、ですね」確認するようにそう言うと、美奈はにっこりと笑った。

 この先はもうわかっている。今日、仕事帰りに三つ星デパートに行き、これと同じバッグを買うに違いない。

恭子は深いため息をついた。

 

 美奈が入社した3年前、恭子は教育係としてペアを組むことになった。

奇妙なマネの始まりは文房具やハンカチなど些細な物からだった。ふと気づくとなぜか美奈が自分と同じ物を持っている。

最初は偶然だとさして気にも留めなかったが、それにしてもかぶりすぎている。

さらに注意して見ていると、あれもこれも、なにもかも恭子と同じではないか。異常というより異様だ。

 

堪りかねた恭子は、思い切って聞いてみた。

「あれ?気づいちゃったんですか。私、恭子先輩をリスペクトしているんです」

「リスペクト?」

「そう、私もいつか恭子先輩のように、仕事が出来て、綺麗で自立した女性になりたいと思って。だから先輩のマネをしてるの」

 あっけらかんと、なかば強引に言い切る美奈に唖然とした。

 それからというもの、美奈は執拗に、その服はどこで買ったのか、靴はどこ? 呆れたことに下着のブランドまで問うよ

うになり、忘れたととぼけても、ネットで検索して数日後には同じものを手に入れていた。

恭子は気にしないようにしていたが、化粧品から服、靴、バッグ、果ては髪型までと、度を超した美奈の様子に、だんだんと苛立ちと嫌悪を感じるようになった。

周りからはお揃いのものを持つほど仲がよく、まるで姉妹のようにそっくりだと言われるのも嫌だった。

実際、最近の美奈は恭子によく似てきた。気味が悪いくらいに…。

リスペクトなんて言いながら、本当は嫌がらせをしているのではと思う一方、そんなふうに考える自分を今度は自己嫌悪した。

 

 その日、美奈は定時きっかりに退社していった。行先はわかっている、三つ星デパートだ。

このバッグと同じ物を買って、明日持ってくるに違いない。

これ気に入ってたのにな…

恭子はデスクの上を片付け、パソコンの電源を落とすと、憂鬱な気持ちで家路についた。

 

 夜、なかなか寝付けず、浅い眠りに入ったと思ったら頭痛で目が覚めた。頭が割れるように痛い。頭から首、肩にかけても重い痛みがある。

たしか美奈がくれた薬があったはず……

恭子はベッドから起き上がると、バッグの中を探った。数日前、時々頭痛に悩まされると美奈に話した。すると彼女は

「先輩、これすごくよく効く鎮痛剤! 私も愛用してるんです。何かあったら使ってみてください」と手渡してくれた。

そういう可愛いところもあるから、無下にはできない。

 冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出すと、あまりの痛さに、確かめもせず何錠かを飲み込んだ。

しばらくじっとしていると、薬が効いてきたのか痛みは無くなったが、今度は身体が火照って熱い。

熱、出てきたのかな…

恭子はベッドから起きあがると、カーテンを開け、続けて窓も開けた。夜風が心地いい。もう少し風に当たっていたい。

恭子はそう思いサンダルを履くとベランダへ出た。

 闇の中にふわりと浮かぶ自分。奇妙な夢……幻覚?と思ったその瞬間、意識が途絶えた。

 

 翌朝、いつもどおり出社し、パソコンを立ち上げようとしたとき、課長が急に沈んだ声で切り出した。

「みんな聞いてくれ」いつも、ぼそっとしゃべる人だが、この朝はさらに聞き取りにくい。

「実は悲しい知らせがある。昨夜のことだが……、亡くなった。…ほとんど即死だったそうだ…みんなで彼女の冥福を祈ろう」

 えっ誰が亡くなったって?

恭子は驚いてあたりを見回した。しかしみな揃っている。課内に重苦しい空気が流れた。

 

 痛い、頭が…痛い! 

 

突然、強烈な痛みが恭子を襲った。両手で頭を押さえたが、足元の床が抜け、宙に浮くような感覚に襲われた。

椅子にきちんと座っていられず、身体を折り曲げると、あのピンクのバッグが美奈のデスクの上に置いてあるのが見えた。

次の刹那、恭子は広報部全体を見渡せる高い位置に浮いていた。自分でも信じられないことに、文字どおり宙に浮いているのだ。

 

 課長が立ち上がるのが見えた。さっき見た光景だ。彼の話が今度はすんなりと耳に入ってきた。

「実は悲しい知らせがある。昨夜のことだが、瀬名恭子さんがご自宅のベランダから落ちて亡くなった。

全身を強く打って、ほとんど即死状態だったそうだ…みんなで彼女の冥福を祈ろう。

それから立木美奈くん、すまんが瀬名さんの仕事、君が引き継いでくれ。ずっとペアでやって来たんだから、段取りは誰

よりもわかっているだろう。急なことで君も辛いだろうが、よろしく頼むよ」

 美奈は、両手で顔を覆い、肩を震わせて泣きじゃくっている。くっ、くっ、くっという押さえつけたような声が洩れる。

姉のように慕っていた恭子の死が、あまりにもショックなのだろう…誰もがそう思っていた。

しかし恭子はどこか違和感を感じ、すっと美奈に近づくと、両手で隠された顔を横から覗き込んだ。そして思わず声を上げそうになった。

泣いているはずの美奈の口角が上がっている。次の瞬間、ゆっくりと彼女の唇が動いた。

 

さようなら、先輩。

リスペクトはもう、お・し・ま・い 

 

       


バレンタインデー

2020-02-15 01:25:00 | ショートストーリー
バレンタインデー終わっちゃう

あわてて走るバッグの中で、チョコレートが所在なさげにカタコト鳴った。

こんな日に限って、遠くへ出張なんてついてない。

甘いものは好きじゃないから、チョコレートはいらない。
なんて言うから、ここ何年かはチョコレート無しのバレンタインデー。
というか、そもそもバレンタインデーだからって特別に会う訳じゃなかった。

でも今年は…そう思って小さな小さなチョコレートを用意した。

約束はしていないし、出張で遅くなると伝えてある。
だから、待っているはずはない。

ビックリさせよう。いたずら心がわき上がる。

でも、彼の家に近づくにつれ、走る足がだんだん重くなった。
急に不安が押し寄せてきた。

こんな時間に、チョコレートを持って押し掛けたら迷惑なんじゃないか?
だいたい甘いものは嫌いなはずだ。
分かっていたのに、バカみたい。
そう思うと、さっきまでのいたずら心が急速にしぼんでしまう。

今さらバレンタインでもないだろう。

そんな言葉がぐるぐる頭を駆けめぐった。

今日、わざわざ出張を入れたのは私。
本当は、渡せない言い訳を作ってたんだ。

渡すはずだったハートのチョコレート。
今年も自分チョコになってしまった。



ラズベリーが甘酸っぱい。






『 夢 』

2019-11-12 22:00:00 | ショートストーリー

遅くなっちゃったな…。

彼のふくれっ面が目に浮かぶ。

私は、急ぎ足で家に向かって歩いていた。
深夜の住宅街は人通りもなく、街灯がぽつりぽつりと灯るだけ。

不意に右の暗闇から人影が現れ、思わず立ちすくむ。
よく見ると小柄な女性で、年齢は30代後半だろうか。
ほっと胸をなで下ろした。
そして、あまりにも驚いた自分を可笑しく思った。

だが奇妙なことに、その女はすっと私に寄り添ってきたのだ。
というよりも、張り付くようにして歩いたと言ったほうがいいかもしれない。
見知らぬ女の妙な振る舞いに、戸惑いながらその顔を見ると、彼女もすがるような目で私を見つめていた。

(この人、どこかで会ったことがある?)
ふっとそんな思いがよぎったが、次の瞬間、やはり知らない人だと思い直した。

女がポツリと言った。
「いったい…どうしたらいい…んでしょう」

突然の問いかけに意味がわからず、私は口ごもり、女の顔を見た。
(どうしたらって…私には、なんのことか見当もつかないんだけど…。)

少しの沈黙の後、女は震える声で続けた。
「彼を、彼を殺してしまったんです…たった今。
一緒に死のうって、一緒に死ぬつもりで…刺したんです。これで…」

女は私の目の前に右手をつき出した。
小刻みに震える手には、真っ赤に染まった大きな包丁がしっかりと握られている。
刺したときの衝撃なのか、女の手も傷ついて血が流れていた。

私は、目の前に突きつけられた包丁を見て、危うく叫び声をあげるところだった。

女は、人を殺した興奮のためか、呼吸は乱れ、額は上気したように汗ばんで見えた。赤い唇が生々しい。
私が眼中にあるのか、ないのか、焦点の定まらない目をしていた。
瞳の奥には、狂気の色がうかがえる。

「殺した…って?」
私はなんとか声を絞り出した。

「死んだほうがいい?
ねえ、私も死んだほうがいい?」
私の問いかけには答えず、うわごとのように何度も繰り返す女。

(ああ、この人は死にたくないんだ。助けてほしいんだ。だから私に声をかけたんだ。)
女の気持ちが、私の心のなかに流れ込んできた。

「自首したらいいと思いますよ。良ければ、私が警察に電話しましょうか?」

乱れた心を刺激しないよう平静を装ってそう言うと、女はほっとしたような表情を浮かべた。

「ほっとけ、ほっとけ!」

その時どこからか、男の怒鳴り声が響いてきた。
あわてて辺りを見回すと、すぐ近くの家の二階ベランダに赤い蛍火が見えた。

煙草を吸っていたのだろう、初老の男の声だった。

「そんなやつ、ほっておけばいいんだ!
死ぬなら勝手に死ねばいい!ここで面倒を起こすな!」

そう言い放つ男の、見えない顔を私は睨みつけた。

男の罵声に、女はすぐに反応した。

「やっぱり、死んだほうがいいんだ、私なんて!
そうよね、私だけ生き残って…一緒に死のうって約束したんだから!」

女の顔からは、夜目にも血の気が引いていくのがわかった。目は妖しい光を宿し始めた。

(ああ、なんて余計なことを!
せっかく自首するところだったのに。
もう、どうしたらいいんだろう…。)
焦りとともに絶望感が私を襲った。


ここで目が覚めた。

夢だった。
全部夢だったんだ…よかった。
ベッドから起き上がり、大きく息を吸う。

窓から空を見た。
東の空には、曙光を受けたやわらかな雲が流れていた。



ふと気がつくと、右手が痛む。
それに、しっかりと何かを握っている。

私はおもむろに手をあげ、目の前にかざした。
赤黒く乾いた包丁は、朝の光を反射することはなかった。

乱れる呼吸の中で、私はベッドの彼をそっとふりかえった。













夜気

2019-06-18 02:25:00 | ショートストーリー
吹き荒れる風
叩きつける雨
部屋に閉じ込められた週末。
することもなくリモコンに手を伸ばし、テレビをつけた。
とたんに響くけたたましい音。
画面の中で手を叩き大笑いする人たち。
なにがそんなに面白いのだろう。

ふと、外が静かになったことに気づき、窓を開けベランダに出た。
すると、いつの間にか雨はやみ風もおさまっていた。
流れる雲の隙間から月が見える。



私は、ふぅっと小さく息を洩らすと、ベランダの柵にもたれ、さっきまでいた自分の部屋を眺めた。

開けたままの窓から風が滑り込み、レースのカーテンをふわりと持ち上げる。

赤いクッション
小さなテーブル
空のグラス
テレビの音

見なれたはずの部屋なのに、まるで知らない場所のよう。
ぼんやり眺めていると、しだいに夜の闇に溶け、自分の存在そのものがなくなってしまうような不思議な感覚に陥る。

あわてて部屋から視線を落とし、ベランダの隅にある室外機に目をやった。
そこには、雨水を溜めた灰皿がぽつんと置かれていた。

忘れていったんだ。

喉の弱い私を気づかい、いつもベランダで煙草を吸っていたひと。

でもね…
煙草の煙を纏い部屋に戻ってくる、あなたが好きだったの。

煙と混ざり合う、あなたの香りが好きだったんだよ。

今だから言えるけど…。

あの日、突然別れを告げられ、物わかりのいい、大人の女の振りをして「さよなら」と言った。
強がっていなければ、崩れ落ちそうだった。
あれから涙もどこかへ置き忘れてしまったみたい。 

バカな女…。

私はくるりと向きを変え、ベランダの柵をつかむと、大きくひとつ屈伸をして夜の空気を吸い込んだ。

あっ、海! 海の香りがする。

もう一度海を感じたくて、今度は苦しくなるほど、深く…深く吸い込んだ。

湿気を含んだ夜気は、身体の隅々まで行き渡り、渇いた心にじわじわと染み込んでいく。
その時、なにかが頬を伝った。
やがてそれは唇に触れ、口の中にわずかなしょっぱさを残した。

なに? 泣いて…いるの?

恐る恐る頬に手をやると、少し濡れている。
驚いて、次に無性に可笑しくなって、私は声をたてて笑った。
ひとしきり笑うと、なんだか心が軽くなったような気がした。

くしゅん…。

思いのほか長く外にいたようで、すっかり身体は冷えてしまい、私は慌てて部屋の中へと戻った。

開けた窓からは、静かに夜気が忍び込み、部屋は海の香りで満ちていた。
























スーパームーン

2018-01-03 17:07:00 | ショートストーリー


『スーパームーン』

冬は日没が早い。
17時をまわると、もう暗くなってくる。

新年だからといって休みではなく、今日も通常勤務。まあ、サービス業だから仕方ないか。

お正月気分の街を横目に、足早に家路を急ぐ。別に誰かが待っている訳じゃないんだから、そんなに急ぐ必要もないんだけれど、何となく浮かれた幸せそうな街には居たくなかった。

寒いから…
そう、寒いから早く帰りたいだけなんだ。他に意味はない。

うそ、本当は寒いからじゃなく、心が苦しいから。

意地っ張りで、甘えベタ、かわいくない。分かってる、自分が誰よりも知っている。だから今更、人に言われたくない。

笑って受け流す術も知っているけれど、今日はとてもそんな気分じゃなかった。

あなたは彼に相応しくない。

仕事中の店にやって来た彼女は、ぶしつけにそう言うと挑戦的な瞳で私を見つめた。
どうしてあなたに、そんなこと言われなければならないの?
彼は私を愛してくれている。そう言い返したかった。なのに言葉にならず、ぎゅっと、強く強く唇を噛んだ。

あなたに彼の何がわかるっていうの!

だけど、そういう私は彼の何を知っているっていうんだろう。
何も知らない、彼のこと。
私のことを好きかどうかさえ曖昧に思えて、愛されている自信さえなくなってしまう。

私は、涙が零れそうになるのを必死にこらえた。

泣いたら、負け。
何故だかそう思った。別に勝ち負けじゃないはずなのに、バカな私…。


家に帰ろう。
早く家に帰りたい。

下を向き、人混みを抜け足早に歩く。

その時気がついた、何時もより夜が明るいと。
足を止め、空を見上げると、丸く大きな月が昇り始めていた。
私は、急に月の光を浴びたくなり、両手を空いっぱいに広げて立った。
他の人が振り返って見ているけれど、そんなことはどうでも良かった。

月の光は私をやさしく包み、身体中がキラキラと輝いて、溶けてしまいそう…。

スーパームーン
そうか、今夜は何時もより月が大きく明るくて見えるんだった。

何故だか心のもやもやが消えてゆく。
私は、月の光を浴びながら、大きく息を吸いゆっくり吐くと、また人混みに戻り歩き始めた。
今度は真っ直ぐ前を向いて…。
月に力をもらって。



つよがりの夜

2017-11-07 07:40:00 | ショートストーリー
今、猛烈に後悔している。
何をかって?
あなたに送ったメールのこと。

忙しくて、とても大変そうだったから、少し落ち着くまで、メールしてもいいよと言われるまで、しばらくメールはしないって送ったの。


  おやすみなさい good-bye

 
送信したら、急に寂しくなった。
これが最後のメールの様な気がして。
違うよね、少しの間だけ。
そう、またすぐに元に戻るはず。

今まで、メールしなかった日なんてなかったから、メールが来なかった日なんてなかったから、心にぽっかり穴があいたようで、明日からどうしたらいいんだろうって途方にくれる。

ぼんやり携帯を眺めていた私の頬に、何かがつたった。
あわてて、拭った手が濡れている。

あっ…私、泣いてるんだ。

少し驚いて、そして可笑しくなった。自分で言い出したことなのに、なんで泣いているんだろう。

変なの…。

いい子ぶって、物わかりのいいふりをして、強がっている。本当は違うのに…。
 
明日、目が腫れちゃうかな。
いいか、腫れたって。
そんな時だってあるよね。

今夜は…泣いていよう。
馬鹿な私を笑いながら。

明日、晴れるといいな。
暖かい日差しの差し込む朝だと、いいな。
そうしたら、きっと元気になれるから。










ある別れ

2017-09-30 12:06:00 | ショートストーリー


さようなら。

そう言うと私は彼に背を向けて歩き出した。
振り向いてはダメ…立ち止まっちゃ、ダメ…。

そんなことをしたら、また、彼の胸に飛び込みたくなってしまう。
やっと離れる決心がついたのに…。

そう、私は彼の側にいるべきじゃない。
分かってる、分かっているけど…。
どうしようもなく苦しくて、足元から崩れ落ちそうだ。

私は振り向かず、背筋を伸ばして歩いた。
彼の視界から完全に消えるまで。
そして彼から見えなくなると、口を押さえ震えるように小さく声を漏らした。
今まで押さえていた感情が溢れだし、堰を切ったように涙が流れ、立っていられなくてその場にうずくまると、嗚咽を漏らして泣いた。

こんなに愛しているのに、自分から離れていく…。
でもそれでいい、彼を縛っちゃいけない。
彼に相応しいのは、私なんかじゃない。
彼だけを見つめて、彼だけを愛してくれるひと…。
そんなひとを見つけるために、自分は側にいてはいけない。

さようなら

もう二度と会うことのないひと。

心から愛したのは、あなただけ。


小さなキジ猫のお話

2017-09-08 07:49:00 | ショートストーリー
猫になった夢を見た。
小さな小さなキジ猫。

子猫になった私は、あなたの部屋のベランダで、ニャー と小さな声で鳴いた。
しばらく待っても誰も来ない。
今度はもっと大きな声で ニャー と鳴き、ベランダの窓をカリカリと爪で掻いた。
人の気配がする…。
すまして座り、小首を傾げるようにして、あなたが窓を開けるのを待った。

静かに窓が開き、あなたが顔を出す。
そして子猫の私と目が合うと、驚いたような顔をした。
ニャー
もうひと声、なるだけかわいく鳴いて、あなたをじっと見つめた。

あなたは困ったような顔をして私を見ると、そっと窓を閉めた。

ひとりぼっちになった私は、急に心細くなり、
ニャー ニャー ニャー
とありったけの声であなたを呼んだ。

私はここにいるよ
お願い窓を開けて
顔をみせて。

鳴き疲れ、うずくまり、諦めかけたその時、ゆっくりと窓が開き、パンを入れたお皿を手にあなたが現れた。
そしてそっと私の前に置いた。

ニャー
私は弱々しくひと声鳴くと、お皿のパンを口に入れた。
あなたはじっと私を見つめ、それからやさしく頭を撫でた。

私は今あなたの膝の上。
うとうとと眠り、あなたの手はやさしく私の背中を撫でる。
大きくひとつ伸びをすると、あなたと目が合った。
その目は微笑みを浮かべ、じっと私を見つめていた。

穏やかで、やさしい午後のひととき。


小さな、小さな、キジ猫になったお話。
おしまい。