◎昨日までは目立たなかったのですが、今日の朝の雨の中
毎年投稿している桜の老木が花をつけていました。
◎気温の変化が激しいため満開には少し時間がかかりそうですね。
◎「河津桜まつり」では咲いていなかった桜が
やっと満開になりました。
◎桜のトンネルでは卒園なのか園児が長い時間をかけて
記念撮影をしていました。
◎毎年思うことですが、桜咲く公園の周りは住宅街なので
◎マンションを含めてベランダで桜が見られて最高ですね。
◎帰り道、ハクモクレンを見つけたのでパチリです。
暖かい日の散歩はいいですね。
◎Z世代を中心に2000年代から2010年代の古いコンデジが
安く買えてレトロな雰囲気が懐かしいと人気があるそうです。
良く分からねけどいわゆる画質がエモいってことですね
古いカメラは大半処分したのですが、防湿庫の奥に
なぜかこのカメラが入っていました。
RICHOのGX100ちょうど2,007年発売でオールドコンデジに
該当しますね。
◎電源を入れるとレンズが飛び出しフードがパッカと開き
その他各種設定も容易にできるマニアックな操作性が
魅力です。
またメモリーの入れ忘れ(あまりないけど)ても内部メモリーで
撮影出来たりバッテリー切れでも市販の乾電池が使用でき
「至れり尽くせり」のカメラです。
◎解像度的にはチープなVF(ビューファインダー)も
付いているので機能的には良いカメラだと思うのですが、
あまりにもAF(オートフォーカス)が遅すぎるので使わず
保管庫に収まっていたみたいです。
ヨボヨボのじいじとしてはAFが遅くても軽量なので
散歩写真にいいかもね!
◎例年2月下旬には満開となっていた近所の河津桜を
散歩がてら見に来ましたが、今年は全然咲いていないよ
◎年々開花時期が早まっていたので、河津桜まつりを
3月1日、2日に予定したみたいですが、完全に
外しましたね。
◎天気が良く散歩日和のためチョコちゃんも一緒ですが
なぜか公園には入れません。
◎公園内はペットの入場が禁止なのです。ガックゥ
◎ここまで長い距離を一生懸命歩いてきたのに残念ですね。
帰りも小さい体で元気にしゃかしゃかと歩くので、
じいじは付いて行くのが大変です。
◎散歩コースになっているので毎日遊びに来るチョコちゃん
(ハハのおやつが目当てです。犬も孫も食べ物には弱い)
今日は家にあがってくつろいでいますが、ここはチチの場所だぞ
◎このとぼけた顔を見ていると、いたずらをされても許せますね
ちなみにチョコちゃんの後ろに見える足はネオンちゃんです。
ネオンちゃんも大きくなったものだ・・・
◎寒暖差に体調が左右されるので、ぽかぽか陽気を狙って
プチ散歩です。この時期はイチョウが最高
以前はカメラを持って外出していましたが、重いので
今では苦手なスマホでパチリしています。
◎この前までは葉が緑だったのにいつの間にか黄色に・・・
たまの散歩なので季節の変わり様が急です。
◎見た目はきれいですが、落ち葉の掃除は大変そうですね。
簡易なファイル共有サーバーを立ち上げているので、スマホで
撮った写真がタブレットやPCでもどこでも見る事が出来ます。
なんちゃってクラウドですよ。
今までは画像をPC内に保存していたため、ブログの記事を
フェイスブックへ連携投稿していたのですが、今後は共有サーバー
を利用して別々に投稿していきます。
◎5~6年前に友人からもらった枇杷がとっても美味しかったので
自分でも育てられないかと、食べた後の種を発芽させて鉢に植えて
ほっといたのですが、なぜか6鉢ほどそれなりに育っています。
◎葉の中心部につぼみみたいなものが出来たので、これって実が
生ったのかも・・・
枇杷は6月に実がなるので真夏に出来るわけないよね。
っと言うわけで実ではなく葉がどんどん伸びてきました。
◎ほったらかしの枇杷ですが、異常に暑い夏なので時々水を
撒いてあげると、葉だけが立派に育ってくれました。
種から育てると実がなるまで8~10年かかるそうなので、
あと数年の我慢です。老人にはちょっとつらいかも・・・
◎ベランダの棚にスポンジのようなふわふわの物体が出現!
キノコではないのですが放射能汚染で肥大化した
マタンゴでは・・・
◎そうだダ〇ソーで購入したMDF材を棚に数枚置いていたぞ、
MDF材は繊維板(ファイバーボード)で湿気に弱く、カビや
腐食が発生するおそれがありそうです。
◎棚から取り出してみると、雨に当たっている場所と当たらない
場所では厚さが極端に違っていますね。
結論として放射能汚染ではなく水分の影響だったのですね。
また、チチもレントゲンを浴びすぎているので、手足が細い
割にお腹だけが以上に膨れている原因も放射線の影響かと
思っていましたが、これはただの栄養失調かもね・・・
◎MDF材は水分を含むと紙のように柔らかくなり、簡単に
折り曲げられ上と下で同じ材質とは思えないです。
今までスピーカーのエンクロージャ(箱)をMDF材で多数
作っていますが、湿気の多い部屋などで水分を含んでしまうと
箱が紙のようにふわふわになってしまいスピーカーユニット
だけが残っているって事あるのかな~
マタンゴのように怖い話ですね。
◎お友達のタンクがとれるかも
・大量出血後、2年間も肝臓でできた胆汁を管を通して外のタンクに
溜めているのですが、外科の主治医の話ではこれ以上治療の方法が
無いとのことで、これじゃ~胆汁が永遠に身体の中に戻らないよォ。
(結局、面倒を見ると言っていた外科の主治医(執刀医)も病院を
辞めて、他の病院へ移ってしまいました。)
・3年目突入の頃、手術後の様子を超音波内視鏡で見てくれていた
内科の先生から胆汁を身体に戻す方法があると提案されたので、早速
お願いしました。
(とにかく外付けタンクは不便なので早く解放されたいです。)
・内科による手術は胃カメラの様に口から装置を入れてERCPと言う
方法で胃と肝臓をプラスチックの管(ステント)で結び胆汁を胃へ
流すのです。
(管を通す前に胃と肝臓に針を刺すと思うのですが、外から見えない
のになぜこの様な事が出来るのか不思議です。)
・この胆汁を身体に戻す方法も良いことばかりじゃなく、管が4か月程で
詰まってしまい、その都度入院にて交換しなくてはならないのです。
・手術は麻酔により寝たまま終わってしまうので、外科で行っていた
ドレーンの管の取り換えに伴う痛みからは解放されて助かりました。
・その後、管が折れたり適正な太さの管を見つけるため、何度か交換
手術を行い現在は管を二重にして胆汁が流れそうな感じ。
◎ドレーンの管が変わり痛みからの解放
・胆汁が順調に流れても体内で管が詰まった場合はドレーンで外に
出さなくてはならないため、ドレーンは重要ですが今までの外科の
先生がメンテしていた細い管ではすぐ詰まるので頼りないですね。
・っと言うことで、内科の先生が新たにドレーンの管を適切な場所に
入れてくれました。外科では複数の先生立ち合いのもとで行いまし
たが、内科では先生が一人で出来ちゃうのです。凄い!
・今度のドレーンの管はお腹の出口を糸で縫わなくても抜けなく、順調に
胆汁が流れます。これまでの糸の縫い付けの痛みは何だったのだろう。
(元々このドレーンの管交換は内科が専門なかも?初めから内科にしてよ)
・ドレーンのお腹の出口には膿が溜まり、管を留める糸が皮膚を引っ張る
ため常に前かがみで生活していたのですが、夜寝るため横になるとき
グググっと引っ張られるので毎晩唸っていました。
(一回伸びるとその後はOKになるのですが・・)
でもでも内科のドレーンになってから、この痛みから解放されてとっても
楽になり幸せ。
◎自由に動き回れる喜び
・すべて準備が整ったのでドレーンの管を止めて、胆汁が2年半ぶりに肝臓
から胃へ流れました。
今まで長い間お世話になっていたお友達のドレーンのボトルともお別れが
出来て自由に動けるようになり最高で~す。
・その後、少しでも管の詰まる期間が長くなればと材質の異なる管に変える
手術をしたのですが、管(チューブ)が直ぐに抜けてしまうので、元に
戻しています。(これは長くても4か月で詰まってしまうみたい)
◎気付いてしまった治療の恐怖
・超音波内視鏡で行う肝臓と胃を結ぶ手術は、麻酔をかけて行うため口に
マウスピースを付けた後は何をしているのか分からなかったのですが、
初めの管を通すときは少し暴れたと看護師さんから言われました。
・その後の管の交換も何も分からず平和でしたが、何回ケ後麻酔の効く前に
薄いマットレスみたいな物で身体を縛られる事を知ってしまったのです。
(まるで時代劇の「す巻き」状態です。)
その後は寝てしまって分からないのですが、これがトラウマになって・・・
・チチは閉所恐怖症で暗い所と身体が自由にならないことが耐えられない
体質なのです。それが「す巻き」とは恐怖で考えられない事です。
(麻酔をしても暴れるので身体を縛っているのでしょう。)
・「す巻き」を知ってしまってからその後の手術はドキドキ状態ですが、
麻酔が効いてから縛って貰うよう事前に看護師さんにお願いをしています。
・病院ではこの「す巻き」同様MRI検査も動けない時間が長いため恐怖です。
せいぜいCT検査までが許容範囲ですね。
◎これからも終わりのない治療
・次から次へと新たな病気とともに入院を繰り返していますが、これからも
管の入れ替えは入院が伴うためブログタイトルの21回も近いうちに越え
そうです。早く投稿を完了しないといけないね・・・
・4年目に突入しても今まで同様病院通いは続き苦悩の連続ですが、でも
時々小さな幸せを感じる事があるため、ヨレヨレでも生きていた方が
いいですね。「人間万事塞翁が馬」って感じ、
・複数回の手術失敗、10リットル輸血の大量出血、繰り返す新たな病気等
精神的に参ってしまうような状況ですが、意外と平静を保っていられるのは
68歳で亡くなってしまった「友人」と深くは理解できない「歎異抄」の
影響が大きいと思います。(友人は空海さんがイイっと言っていましたが、
無宗教ですがチチ的には親鸞さんが合っているみたい・・・)
おおっと忘れていた、一番はハハの介護が無くてはこれまで生き延びられて
いないですね。
・これから先、いつまで続くか分からない入退院(手術)ですが、旅行も
出来ず、好きな物を食べられない生活でも生きていれば良いことは必ず
あるはず、とにかく「死ぬまで生きる」
・最後は駆け足になってしまいましたが、直に22回目の入院が控えているので、
ブログタイトルの「あれから3年 21回もの入退院」を守るため、この辺で良く
分からない病気の途中経過を終了します。
「おわり」 「その1へ」