聖書と共に

死んだ人のよみがえり

今日はヨハネ11章の抜粋からです。
イエス様は、10章で、ご自身が神と等しいと
言われたために、ユダヤ人から石で殺されそう
になり、ユダヤを去り、ヨルダン川を渡って
ベタニアにおられました。
そこへ、「あなたが愛しておられる方(ラザロ)
が病気です」との知らせが来ます。イエス様は
すぐには出発されず、そこに2日留まれます。

その後、主はエルサレムに近いベタニヤへ向か
われます。(ヨルダン川のベタニアとエルサレ
近傍のベタニアは30kmくらい離れている)

マルタはイエスを出迎え、ラザロは死んでもう
4日経過した事を伝えます。イエスは彼女に
「私はよみがえりで、生命です。私を信じる者
は死んでも生きます」と言われた。

その後、マリヤも来て足元に伏してイエス様に
言います。「主よ、もし、ここにおられたならば、私の兄弟は死なずにすんだものを」

彼らは墓に行きます。イエス様は言われます。
「墓の石を除けなさい」。人々は除けます。
「もし信じるならば神の栄光を見ます」と言い
更にイエス様は父なる神様に感謝を捧げて後
「ラザロよ、出てきなさい」と言われ
すると、布で手、足を巻かれたまま、ラザロ
が出てきます。

ここから「ヨハネ福音書講義」(バックストン)です
 主は、4度ベタニアへ行かれました。そのた
び毎に、私達の学ぶべき貴い事があります。
①マリヤは主の足元に座って主の言葉を聞きま
  した(ルカ10-39)
②マリヤは主に、その心の愛を捧げて、香油を
  流して完全な愛の心を捧げました
③主は、ラザロをよみがえらせました。
④それは主の昇天の時でした。

ベタニアは、主が愛された場所でした。ラザロ
の家は、主が愛された家でした。今、この世に
も、主の愛される場所があります。喜んで主を
迎える心は、今日のベタニアです。

「神の子がそれによって栄光を受ける為です」
父なる神も、子なる神も、ラザロを通して栄光
をお受けになります。
 死は悪魔の働きです。人間の目から見ますと
ラザロの死は、悪魔の勝利だと思われます。
しかし、終わりまで待ち望めば、神は必ず、
その事を通して、更に大きな勝利を得られます
主は、サタンの働きを統御する権威を持ってお
られます。

 主は、2日留まれました。ですから信仰の試
練の時も信仰を保って主の働きを待ち望もう。

「もう臭くなっておりましょう。4日になりま
すから」とマルタは言い、主の権威の大きさを
限定してしまいました。不信仰によって、その
事を限定しないように気を付けてたいものです

私達は罪人であった時に、主によって命を得ま
した。「生きていて、私を信じる者は、決して
死ぬ事がありません」

「霊の憤りを覚え、心の動揺を感じて」主は、
なぜ、この時に霊の憤りを覚え、動揺し、涙を
流されたのでしょうか。
「霊の憤りを覚え、心の動揺を感じて」これは
言語では、極めて強い意味の言葉です。いくら
怒りの感情が含まれています。すなわち、主は、
サタンの業を見て、お怒りになったのです。

主は、ユダヤ人の不信仰を見ても耐え忍ぶ事が
できました。しかし、ご自分の愛する者の不信
仰を耐え忍ぶ事ができませんでした。
主の奥義を悟った者の不信仰を耐え忍べません
ラザロの死よりも、マリヤの不信仰の涙は、嘆
くべき事だたのです。


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