聖書と共に

イエスを殺そうとの協議

今日も「ヨハネ福音書講義上」(バックストン)から
です。
 神が、この世の中に、ご自分の奇蹟をお示し
になるなら、二つの結果が生じます。
第一は、神を信じる者が起こるという事です。
第二は、頑固な心で神を追い出そうと考える者
    が起こる事です。

「もし、モーセと預言者との教えに耳を傾けな
いなら、たとい、誰かが死人の中から生き返
ても、彼らは聞き入れはしない」(ルカ16-31)

現在も、これを見ます。死から甦ったら者がい
ました。しかし、その為に人々は、さらに頑固
になります。
「我々は、何をしているのか。あの人が多くの
しるしを行っているというのに」
それなら、信じる以外にありません。

 これはパリサイ人の恐れるところです。
「全ての人が、あの人を信じる様になる。」
神の国が来ます。信じる事によって、病がいや
されました。目の見えない人は、その目を開か
れました。死んだ者は、よみがえりました。
ですから、「すべての人が、あの人を信じる様になる」のは当然の結果です。

けれども、パリサイ人は、これを妨げようとし
ます。人間の心は頑固で、神を追い出そうとす
るのです。
「そうなると、ローマ人がやって来て、我らの
土地も国民も奪い取る事になる。」
今日でも、この様な思いを抱く人が、たくさん
います。キリスト教は「国体」に反すると言い
ます。その為に、国が弱くなると言います。
悪魔は、初めから、そういう思いを起こさせま
す。

祭司長とパリサイ人たちは、キリスト教が広ま
るならば、ローマ人が侵害すると言いました。
その様な恐れは必要ありません。むしろ、主に
従うなら、ユダヤの国は栄光と権力を受けます
ユダヤ人は、最初から神に属していましたから
神に属する恵みを選ぶべきでした。けれども、
この時には、不幸な事に、この世に属する恵み
を選んでしまいました。私達も、たびたび、
同じ状況に置かれます。どちらを選びましょう
人間に軽んじられた主を選びましょうか。
あるいは、目に見える大きなローマの恵みを選
びましょうか。

大祭司カヤパはパリサイ人らに言います。
「あなたがたは、全然何も分かっていない。
一人の人が民の代わりに死んで、国民全体が
滅びない方が、あなたがたにとって、得策だ」

カヤパはこの言葉を発しました。けれども、
神は、その口の言葉も導かれました。これは
真実の預言でした。悪人でも自分の口の主人で
はありません。この人は怒りをもって主を死罪
に定めました。けれども悪人の怒りは、反って
神の栄光の為になります。

「祭司長、パリサイ人たちは、イエスを捕らえ
為に、イエスがどこにいるかを、知っている
は届けなければならない、という命令を出し

「イエスは、もはやユダヤ人の間を公然と歩く
事をしないで、荒野に近いエフライムという町
に入り、弟子たちと共にそこにおられた」
これは、ユダヤ国の滅亡の始まりでした。
国民が、この世に属するものを選んだので、
大きな恵み持って来られた主は、この国を去っ
て行かれました。

今、この世の中で、同じことを見ます。
人間が主を捨てたいと願うので、主は表立っ
働かれません。けれども、弟子と共に留まっ
下さいます。密かに集められた者と共に行か
ます。そして、この祭りにおいて、真実の
過ぎ越し子羊が、捧げられました。




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