聖書と共に

イエスとの出会い

マタイの福音書5章は有名な山上の垂訓です。

幸いなるかな、心の貧しき者、天国はその人のものなり。
幸いなるかな、悲しむ者、その人は慰められん。
幸いなるかな、柔和なる者、その人は地を嗣がん

なぜ、そうなのか。榎本保郎牧師は、次の様にいっています。
これは、イエス様が心の貧しい人の所を、選んで
行かれるから、その人たちは幸いなのである。
イエス様は、誰も相手にしてくれず、自分はだめだと絶望している人の所へ行って友達になってくださる。
罪を犯しているから、どうしようもない、と言うその罪を、イエスは、引き受けて下さる。
悲しんでいる人を探し求めて、その所へ行かれる
。だから、イエスに出会って、イエスからの慰めが与えられる。
不公平なようであるが、イエスは悲しんでいる人を求めて行かれるのである。(新約聖書一日一章)

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしの所に来なさい。私が、あなた方を休ませてあげます。
私は心優しく、へりくだっているから、あなた方も、私のくびきを負って、私から学びなさい。
そうすれば、魂に安らぎが来ます。
私のくびきは、負いやすく、私の荷は軽いからです。」(マタイ11ー28~30)

私は元、日本ギデオン協会の会員でした。
ホテルや学校に聖書を配布する超教派の団体です。
下校時、中学校の門前で聖書を配布すると、よく
受け取ってくれますが、高校生は、ほとんど受け取りません。純粋な心が失われ、打算的なのかな
と思います。

自殺しようとしていた人が、ホテルで聖書を読んで、自殺の思いから救われたとの事がありました。
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