この本は蔦田二雄先生(1906~1971年)が、
牧師を養育する神学校で話された本です。
山を下りて早速に行った出来事は、悪霊につか
れた子を取り巻く記事であった(マタイ17-1~21)
「その子をお弟子たちの所に連れて来たのですが、直す事ができませんでした。」そして、
「イエスが、その子をお叱りになると、悪霊は
彼から出て行き、その子はその時から直った」
この差異は何であろう。主の解答は、ただ一言
「あなたがたの信仰が薄いからです。まことに
あなたがたに告げます。もし、からし種ほどの
信仰があったら、この山に『ここから、あそこ
へ移れ』と言えば移るのです。どんな事でも、
あなたがたに出来ない事はありません」
弟子たちの失敗の原因は、これに自分で携わ
ろうとした所にある。
主は、常にご自分でなさらずに、神を信じ、
御霊によってなさったのである。
信仰は信念ではない。主に持って行く行動であ
り、これには委託が伴う。
信念には委託がない。神に持って行く時に、
神の力が導入される。神に働いて頂くから
不可能がないのである。
人生には神の恵みを要する問題が間断なく起
きている。私達は語る学者であってはならない
。問題を神に持って行く牧者でなければならな
い。
まず、身辺の事から始めて、問題を主に回送、
転送する秘訣を学びとる様に。
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似た様な記事が聖書にあります。(ルカ17-5)
使徒たち主に言う。『私達の信仰を増して下さい。』
主は言われた「もし、からし種一粒ほどの信仰
があれば、この桑の木に『抜けて、海に移れ』
と言うなら、あなたがたに従います。」
信仰の大小ではなく、神様への委託が大切との
事ですね。
委託できる様な親密な間柄である事も。
幼児は自分では出来ない事が多いので、何でも
親に依頼します。神様にしか出来ない事を人間
が自分の力する事は、どだい無理な話ですね。