石ころ

哀願(創世記44章)

 

ヨセフは家を管理する者に命じた。「あの者たちの袋を、彼らが運べるかぎりの食糧で満たし、 一人ひとりの銀を彼らの袋の口に入れておけ。
それから、私の杯、あの銀の杯は、一番年下の者の袋の口に、穀物の代金と一緒に入れておけ。」彼はヨセフのことばどおりにした。

明け方、一行はろばとともに送り出された。(1~3)

 

ヨセフは彼らを受け入れる前に少し試している。兄たちが妬みの末に自分を奴隷に売ったように、父が溺愛する弟ベニヤミンに対しても、同じ思いを抱いていないかと危惧したのだ。彼らのどちらにも「夜明け前が一番暗い」という言葉を思い出す。

 

彼らが町を出て、まだ遠くへ行かないうちに、ヨセフは家を管理する者に言った。「さあ、あの者たちの後を追え。追いついたら、『なぜ、おまえたちは悪をもって善に報いるのか。(4)

 

盗みの嫌疑をかけられた彼らは、「見つかった者は殺してください」と言ったが、このような誓いをしてはならない。此処では、彼らを罠にかける意図は無かったので事なきを得たのである。


主に在って言わなくても良いことは言わず、関わらなくてもよい事には関わらないことである。人はどれほど言わなくても良いことを付け足して、わざわざ悪魔の罠に陥ることであろう。

 

あなたがたの言うことばは、「はい」は「はい」、「いいえ」は「いいえ」としなさい。それ以上のことは悪い者から出ているのです。(マタイ5:37)

 

「袋の口で見つけた銀でさえ、カナンの地からあなた様のもとへ返しに来たではありませんか。どうして、あなた様のご主人の家から銀や金を盗んだりするでしょう。
しもべどものうちで、それが見つかった者は殺してください。そして、私たちもまた、ご主人の奴隷になります。」
彼は言った。「今度も、おまえたちの言うことはもっともだが、それが見つかった者は私の奴隷とし、ほかの者は無罪としよう。」(8~10)

 

「ほかの者は無罪としよう」この言葉は兄弟の心が悪ければ罠である。
家の管理者がベニヤミンの袋にそれを見つけた時、

 

彼らは自分の衣を引き裂いた。そして、それぞれろばに荷を負わせ、町に引き返した。
ユダと兄弟たちがヨセフの家にやって来たとき、ヨセフはまだ、そこにいた。彼らはヨセフの前で顔を地に伏せた。(13~14)

 

彼らが誓ったことで、ベニヤミンの命に危険をもたらせたことを知って、自分の衣を引き裂いて神の前に頽れたのである。理不尽の背後に居られる神に気付いたのだ。

 

ユダが答えた。「あなた様に何を申し上げられるでしょう。何の申し開きができるでしょう。何と言って弁解することができるでしょう。神がしもべどもの咎を暴かれたのです。今このとおり、私たちも、そして、その手に杯が見つかった者も、あなた様の奴隷となります。」(16)

 

ユダは父のために真実な言葉を注ぎ出すようにして、ベニヤミンを守ろうとヨセフに哀願し続ける。  このユダの言葉は省くことが出来ない。

 

「あなた様は、以前しもべどもに、おまえたちに父や弟がいるかとお尋ねになりました。
それで私たちは、『私たちには、年老いた父と、年寄り子の末の弟がおります。彼の兄は死に、その母の子としては彼だけが残されましたので、父は彼を愛しています』と申し上げました。

するとあなた様は、『彼を私のところに連れて来い。私はこの目で彼を見たい』とおっしゃいました。
そのとき私たちは、『その子は父親と離れることはできません。離れたら父親は死ぬでしょう』とあなた様に申し上げました。

しかし、あなた様が、『末の弟が一緒に下って来なければ、二度と私の顔を見てはならない』とおっしゃったので、
私たちは、あなた様のしもべである私の父のもとに帰ったとき、父にあなた様のおことばを伝えました。

そして父が、『また行って、われわれのために少し食糧を買って来てくれ』と言ったので、
私たちは、『下って行くことはできません。もし末の弟が私たちと一緒なら、下って行きます。というのは、末の弟と一緒でなければ、あの方のお顔を見ることはできないからです』と答えました。

すると、あなた様のしもべ、私の父がこう申しました。『おまえたちもよく知っているように、私の妻は二人の子を産んだ。
一人は私のところから出て行ったきりで、きっと獣にかみ裂かれてしまったのだ、と私は言った。今に至るまで、私は彼を見ていない。
おまえたちがこの子まで私から奪って、この子にわざわいが降りかかるなら、おまえたちは白髪頭の私を、苦しみながらよみに下らせることになる。』

私が今、あなた様のしもべである私の父のもとへ帰ったとき、あの子が私たちと一緒にいなかったら、父のいのちはあの子のいのちに結ばれていますから、
あの子がいないのを見たら、父は死んでしまうでしょう。しもべどもは、あなた様のしもべである白髪頭の父を、悲しみながらよみに下らせることになります。」(19~31)

 

ユダの切々とした言葉は、ヨセフでなくても胸を打つ箇所である。ユダの言葉にヨセフの堅かった心は、愛おしさでいっぱいになって決壊し声をあげて泣いたのだろう。

 

ユダの父を思う心が彼を忍耐強くして、自分を差し出して折れない心を保っていたのだろう。父の愛が彼ではなくヨセフやベニヤミンにあっても、彼は父を愛していたことが分かる。彼の母もヤコブに愛されていなかったことと重なって切ない。

 

愛が伝わらないことほど悲しいことはない。その悲しみは、完全な人の心をもったイエス・キリストが、誰よりも痛みをもって経験していてくださることである。

罪なき身を十字架に捧げるほどに愛しても、その愛は伝わらず、勝手な道に生きて死の淵を彷徨う一人ひとりを、今もあらゆる方法で導きの御手を差し伸べ「わたしを迎え入れなさい」と御目をとめていてくださるのである。


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