石ころ

神の愛と忍耐(創世記8章)(詩篇121編)

 

そこでノアは、息子たち、彼の妻、息子たちの妻たちとともに外に出た。
すべての獣、すべての這うもの、すべての鳥、すべて地の上を動くものも、種類ごとに箱舟から出て来た。
ノアは主のために祭壇を築き、すべてのきよい家畜から、また、すべてのきよい鳥からいくつかを取って、祭壇の上で全焼のささげ物を献げた。(18~20)

 

ノアは箱舟の中で願っていたことを行うために、降り立った地に祭壇を築いた。置かれた所の安全を確認してではなく、明日の目途が立ってからでもなかった。
すべてを神に信頼して、水の上であっても、地の上であっても、神によるいのちとの信仰告白である。

 

主は、その芳ばしい香りをかがれた。そして、心の中で主はこう言われた。「わたしは、決して再び人のゆえに、大地にのろいをもたらしはしない。人の心が思い図ることは、幼いときから悪であるからだ。わたしは、再び、わたしがしたように、生き物すべてを打ち滅ぼすことは決してしない。(21)

 

人は習わなくも罪を知っている。子どもに罪を教える親はいなくても、成長とともに我儘も欲深さも怒りも現れて来る。

神さまの祝福はやらせのようであると思う。ノアに捧げる捧げものを準備してくださったのは神であり、捧げる地を準備してくださったのも神である。


また、ノアにその信仰を守ってくださっていたのも神であり、明日の心配ではなく、感謝と喜び、希望を与えてくださっているのも神である。そのようにして捧げる捧げものを、喜んで祝福してくださるから。

 

神は人を愛の対象として造られた。神によって心が満たされて完成するように造られ、交わり愛でて祝福しようと備えていてくださる。
それゆえ反抗して離れた今も、罪の代価としての御子の命を準備して、御許に帰ってくるのを待っていてくださるのである。

 

ノアが完全であるからではなく、ノアがもう罪を犯さないからでもなく、人のすべてをご存じの上での愛と忍耐によることである。

 

この地が続くかぎり、種蒔きと刈り入れ、寒さと暑さ、夏と冬、昼と夜がやむことはない。(22)

 

真夏の強い日差しにも、神の忍耐と愛があふれてあり、真冬の寒さの中にも神の温かい愛の眼差しが注がれているのだ。

 

私は山に向かって目を上げる。私の助けはどこから来るのか。
私の助けは主から来る。天地を造られたお方から。
主はあなたの足をよろけさせずあなたを守る方はまどろむこともない。
見よイスラエルを守る方はまどろむこともなく眠ることもない。
主はあなたを守る方。主はあなたの右手をおおう陰。
昼も日があなたを打つことはなく夜も月があなたを打つことはない。
主はすべてのわざわいからあなたを守りあなたのたましいを守られる。
主はあなたを行くにも帰るにも今よりとこしえまでも守られる。(詩篇121:1~8)


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