石ころ

立って朝に夕に祈りの香をたく祭司(出エジプト30章)

 

 また、香をたくための祭壇を作れ。 それをアカシヤ材で作る。
長さ一キュビト、幅一キュビトの正方形で、その高さは二キュビトとする。祭壇から角が出ているようにする。
祭壇の上面と、側面すべて、および角には純金をかぶせ、その周りには金の飾り縁を作る。(1~3)

 

香をたくための祭壇も詳細に示されてあり、祭司が立って香をたくための祭台は狭く、幅に対して高くあり、そこでの動作はすべて緊張を伴ったであろう。神はそのために最適なサイズを示された。

 

 私たちの置かれる所も、主が個々に最適に備えてくださっている。広大過ぎて手に負えない場所でなく、狭小で何も出来ない場所でもない、貧し過ぎず富か過ぎず、世に在る緊張と主に在る安息を備えて守ってくださる。

 

アロンはその上で香りの高い香をたく。朝ごとにともしびを整え、煙を立ち上らせる。
アロンは夕暮れにともしびをともすときにも、 煙を立ち上らせる。 これは、 あなたがたの代々にわたる、主の前の常供の香のささげ物である。(7~8)

 

 私たちの捧げものは神をほめたたえる賛美、主を愛して心からあふれ出る喜びの声である。

それは、霊のうちにずっと続く静かな聖霊の交わりの賛美があり、救いの恵みを噛みしめて歌う讃美歌もある。感謝に驚喜して叫ぶ賛美もあり、子羊のようにはしゃいで歌う賛美もある。

賛美は主との交わりの時であり、御前で主を喜ぶ幼子となって声を上げる。

 

 キリスト者は絶えず祈っている。言葉にできない異言の祈りもあり、知性では会ったこともない人々のために祈り、哀願する祈りもあり、喜びに震えてひれ伏す祈りもある、良い時も悪い時も、嬉しいことも悲しいことも祈りとなって、すべて主への捧げものとなる。

 

あなたがたはその上で、異なった香や全焼のささげ物や穀物のささげ物を献げてはならない。 また、 その上に、注ぎのぶどう酒を注いではならない。(9)

 

 捧げものは創造主なる神のみことばに従って捧げるものである。良いものであっても、それを捧げるには主の赦しが必要である。
捧げることは祝福であり、祝福を与える方に従順する時に聖となり良い実を結ぶものとなる

 

人は自分で納得出来るものを常に求め続けて、みことばに安息することが難しく、時々に「これが最上だ」と「これぞ完成」だと言うが、神から発していないものはみな廃れて行く。時に自分の経験や知識を殺して、主の示されたみことばにただ留まり続けることこそ聖さである。

 

アロンは年に一度、その角の上で宥めを行う。その祭壇のために、罪のきよめのささげ物の、宥めのための血によって、彼は代々にわたり、年に一度、宥めを行う。これは主にとって最も聖なるものである。」(10)

 

アロンはイスラエルを神にとりなす大祭司として、その働きが代々もっとも聖なるものといわれた。アロンの働きの聖さは、ただ神から発したことに在る。

 

 イエス・キリストは最も聖なる捧げものとして、ただ一度十字架を通してご自身を捧げられた。その十字架で流された血によって、キリスト者のあがないのための捧げものは完了している。

 

それゆえ、人はキリストを信じる信仰によって聖なる者とされ、何時でも「アバ 父」と呼ぶことを赦されている。まことに今は恵みの日である。


神は愛であり、神が義である。みことばをそのままに語る時に、聖霊の臨在を得てみことばが生きて働くことを見せてくださる。それは祭司の祝福である。

 

 たとえ人の感情に忖度して、裁きを語らず妥協して尽くしても、自分を神とする生まれながらの人には、創造主を受け入れることは出来ない。その人は一時キリスト者を利用しても主に従順することはない。

肉を砕いて御前にひれ伏すには、純粋なみことばを導く聖霊によらければならないのである。


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