信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。
そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していた。
そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。(使徒2:44~47)
今、分かち合うべきは霊のたまもの。皆が同じ器官ではないのだから、互いに経験したみことばを分かち合って力を得るなら、キリストの体は健やかに成長して、主を知る深みをも共有するようになるだろう。それこそ頭なるキリストを愛することであり、聖霊によって一つであるお互いの器官を養う愛である。
人の言葉を丸呑みして沈黙することなく、聖霊に拠ってみことばを分かち合うことは、一緒にキリストを知る深みに進むこと、それは喜びであり、力となり、主をほめたたえる賛美となるだろう。
みことばによって生きているものは成長する。イエスさまはことばなる方である。
キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。
そしてあなたがたは、キリストにあって、満ち満ちているのです。キリストはすべての支配と権威のかしらです。(コロサイ2:9~10)
このかしらがもとになり、からだ全体は、関節と筋によって養われ、結び合わされて、神によって成長させられるのです。(コロサイ2:19)
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