石ころ

使徒の働き⑫ (8章)

 

主の使いがピリポに向かってこう言った。「立って南へ行き、エルサレムからガザに下る道に出なさい。」(26)

 

キリストの弟子は示されたことを行う。留まっていなければ用いられない。御声を聞いて居なければ従えない。弟子はみことばと祈り、霊のお交わりの中に待機している者。

 

ただ、昨日までと同じことを繰り返しているのでもなく、計画に走り回っているのでもない。大切なことは聖霊にある交わりによって、導かれて的を射る信仰である。
ピリポは命じられたらすぐに出て行った。それは常に備えあってのことである。

 

そこで、彼は立って出かけた。すると、そこに、エチオピヤ人の女王カンダケの高官で、女王の財産全部を管理していた宦官のエチオピヤ人がいた。彼は礼拝のためエルサレムに上り、
いま帰る途中であった。彼は馬車に乗って、預言者イザヤの書を読んでいた。
御霊がピリポに「近寄って、あの馬車といっしょに行きなさい」と言われた。(27~29)

 

ピリポは馬車に走る!全力で走らなければならない時がある。

 

そこでピリポが走って行くと、預言者イザヤの書を読んでいるのが聞こえたので、「あなたは、読んでいることが、わかりますか」と言った。
すると、その人は、「導く人がなければ、どうしてわかりましょう」と言った。そして、馬車に乗っていっしょにすわるように、ピリポに頼んだ。(30~31)

 

聖霊の導きは、決して遅れてはならないこのタイミングである。

 

ピリポは口を開き、この聖句から始めて、イエスのことを彼に宣べ伝えた。
道を進んで行くうちに、水のある所に来たので、宦官は言った。「ご覧なさい。水があります。私がバプテスマを受けるのに、何かさしつかえがあるでしょうか。」
そして馬車を止めさせ、ピリポも宦官も水の中へ降りて行き、ピリポは宦官にバプテスマを授けた。(35~38)

 

その時水のある所に着くのだ。主はすべてを綿密に備えておられる。だから時を移してはならない。

 

水から上がって来たとき、主の霊がピリポを連れ去られたので、宦官はそれから後彼を見なかったが、喜びながら帰って行った。(39)

 

ピリポは移された。まるで携挙のようである。神にはどんなことでもできる!
彼には導くピリポが必要な時があり、不要になる時がある。主のご計画のままにすべてが進むとき、人は祝福の真ん中に居るのである。

 

それからピリポはアゾトに現れ、すべての町々を通って福音を宣べ伝え、カイザリヤに行った。(40)

 

此処で、ピリポは語る言葉を間違えなかった。何事もなかったかのように、移された所で昨日までと同じ福音を語っていた。

神が示されないことは語らなかった。ただ、委ねられていることばを語り続けた。
ピリポが素晴らしい経験をしたのは、聖霊の導きに息を合わせて、ぴたりと的を射る成熟したこの信仰に拠るのだった。


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