そこでユダヤ人たちは、そのいやされた人に言った。「きょうは安息日だ。床を取り上げてはいけない。」(ヨハネ5:10)
その言葉は先祖代々伝えられて来た神の掟であり、癒しを受けた男も良く知っていた。しかし彼は人の言葉に脅されて、受けた癒しを捨てて再び伏せるようなことはしなかった。
その人は彼らに答えた。「私を直してくださった方が、『床を取り上げて歩け』と言われたのです。」(ヨハネ5:11)
彼が、訴える言葉に聞き従わなかったのは、イエスさまとは知らなくても癒しの事実の中に居たからである。だからイエスさまの言葉を返すことができたのだ。
御わざの責任は行われた主にあり、赦すことも癒すことも、イエスさまの権威に拠ることである。
証する言葉は、イエスさまに聞いたままをオウム返しに話すだけである。男の正しさは一つだけ、主から聞いた言葉に留まりその通りに伝えたことである。
まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。(ヨハネ5:24)
イエスさまのみことばを聴き神さまを信じた者は、その瞬間から永遠のいのちをたまわる。それは死後のことではなく、今の世でも約束のいのちの中で生きており、世の評価や境遇によって望みを失う事などないのである。
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