これはノアの歴史である。ノアは正しい人で、彼の世代の中にあって全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。
ノアは三人の息子、セム、ハム、ヤフェテを生んだ。(9~10)
ノアは神に正しいと認められた。その完全な正しさとは、創造主なる神とともに歩んだことである。人にとってそれ以上の正しさは存在しない。
すべてが新しくされた時、生き残ったノアの歴史が人類の歴史となる。
地は神の前に堕落し、地は暴虐で満ちていた。
神が地をご覧になると、見よ、それは堕落していた。すべての肉なるものが、地上で自分の道を乱していたからである。
神はノアに仰せられた。「すべての肉なるものの終わりが、わたしの前に来ようとしている。地は、彼らのゆえに、暴虐で満ちているからだ。見よ、わたしは彼らを地とともに滅ぼし去る。
あなたは自分のために、ゴフェルの木で箱舟を造りなさい。箱舟に部屋を作り、内と外にタールを塗りなさい。(11~14)
「あなたは自分のために」とある。神のことばに聴き従うのは自分のためである。そこから神の良きご計画が広がて行くのだ。
それを次のようにして造りなさい。箱舟の長さは三百キュビト。幅は五十キュビト。高さは三十キュビト。
箱舟に天窓を作り、上部から一キュビト以内に天窓を仕上げなさい。また、箱舟の戸口をその側面に設け、箱舟を一階と二階と三階に分けなさい。(15~16)
神はノアに計画を細かく指示される。そのことによってノアに造船の知識がなくても、完璧な仕事ができるのである。それが神の知恵によるものだから完全なのである。
神のご計画を成すのに、明日のことさえ知らない人の知恵によるなら、状況の変化などの行き詰まりや、もろもろの問題が生じて恥を曝すことになる。よし完成しても神のご計画には程遠い不完全なものが現れる。
神は私たちに命じられるときは、その日その日の成すべきことを仔細に命じられ、必要をすべて備え力を満たしてくださる。その日々の中で一切の救いを完成してくださるのだ。
それゆえ、神のご計画の大きさを聴いても、自分を見て恐れることはないのである。
ただ信頼して日々をみことばに聴く中で、命じられたことに従順であれば良い。
私たちは自分を過大に評価したり、過少評価したり、その基準が絶えず揺れ動いて定かではないが、神は私たちがどのような者であるかを知り尽くしておられ、必要な能力も助けも幾らでも与えることができるお方だからである。
「人類のために」でもなく、「家族のために」でもなく、まして「神のために」でもない。この遠大な計画は、ノアが「自分の救いのため」に働いたことであった。
ノアは命じられた神の言葉に、ただ素直であった。
神のご計画を成すために必要なものは、力でも知識でもなく、生まれつきの賢さでもない。それは、みことばへの謙遜である。
愛する者たち、あなたがたがいつも従順であったように、私がともにいるときだけでなく、私がいない今はなおさら従順になり、恐れおののいて自分の救いを達成するよう努めなさい。(ピリピ2:12)