石ころ

婚礼の喜びのために祈る(ヨハネ2章)



それから三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、そこにイエスの母がいた。イエスも、また弟子たちも、その婚礼に招かれた。
ぶどう酒がなくなったとき、母がイエスに向かって「ぶどう酒がありません」と言った。(ヨハネ2:1~3)

ぶどう酒は人の心を喜ばせるもの、喜びの足りない結婚式は悲しい。マリヤは結婚式でぶどう酒が切れかけていることに気づいて、イエスさまに知らせた。
このことは私たちの祈りを教える。キリストの花嫁である教会の喜びの不足に気づいて、「喜びを充満してください」と祈る執りなしの祈りである。

すると、イエスは母に言われた。「あなたはわたしと何の関係があるのでしょう。女の方。わたしの時はまだ来ていません。」
母は手伝いの人たちに言った。「あの方が言われることを、何でもしてあげてください。」(ヨハネ2:4~5)

主の時を動かすものは執り成しの祈りである。そうして、祈りが成就するためには、信仰の従順の備えをする。みことばへに聞き従うための備えである。
「あなたはわたしと何の関係があるでしょう」という言葉は、家族という関係に拠るのではないという意味である。

母は手伝いの人たちに言った。「あの方が言われることを、何でもしてあげてください。」
さて、そこには、ユダヤ人のきよめのしきたりによって、それぞれ八十リットルから百二十リットル入りの石の水がめが六つ置いてあった。
イエスは彼らに言われた。「水がめに水を満たしなさい。」彼らは水がめを縁までいっぱいにした。(ヨハネ2:5~7)


喜びを得るためには、祝福される器をいっぱいに満たしておく必要がある。教会の内に絶えざる主との御交わり、みことばの満たしである。
ご真実な主は、喜びを花嫁である教会の隅々にまで溢れさせ、花婿を喜び歌う宴会をさせてくださるだろう。

イエスはこのことを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行い、ご自分の栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。(ヨハネ2:11)

そのぶどう酒はイエスさまの栄光を現し、弟子の信仰を導き、婚礼を豊かに祝福した。
主の満たしてくださった喜びで教会があふれますように。キリストの花嫁が、花婿を喜ぶ喜びの賛美であふれますように。

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