ひとりの人がイエスのもとに来て言った。「先生。永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしたらよいのでしょうか。」
彼は「永遠のいのち」を良い行いで得ようとして質問した。行いには自信があったのだろう。イエスさまが並べられた律法はすでに全部守っていると答え、「隣人をあなた自身のように愛せよ。」も・・。
イエスは、彼に言われた。「もし、あなたが完全になりたいなら、帰って、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」
彼の隣人とは誰のことであったのか・・、ルカ10章には、見ず知らずの外国人を介抱した人が隣人だと書かれている。神の言われる隣人は向こう三軒両隣ではない。
神様レベルの「隣人を自身のように愛する」とは、すべてのものにおいて他人に権利を与えることである。だから彼の言葉の実現のために、イエスさまは「全財産を貧しい人に与えよ」と言われた。
去って行った金持ちの彼には、「永遠のいのち」の価値は世の財産よりも低かったのだ。
「それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます。」
と言われたイエスさまは人をよく知っていてくださる。神のレベルと人のレベルはあまりに違う。
イエスさまが、私たちの永遠のいのちのために支払われたのはご自身のいのちである。
イエス・キリストの十字架のあがないを受ける者は、その価値を知ることが必要である。
また、わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子、あるいは畑を捨てた者はすべて、その幾倍もを受け、また永遠のいのちを受け継ぎます。
財産のみならず、愛する家族でさえ捨てて入るところが、天の御国であり永遠のいのちである。
しかし恐れることはない。主は御真実である。私たちが主の前で捨てたものは主のものである。だから祝福し返してくださる。
その時、真に神の祝福にある家族を得ることになるのだ。それは永遠の家族である。
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