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篠山紀信さんと北海道

2024年01月06日 15時16分45秒 | 新聞などのニュースから
 写真界の第一線を走り続けた写真家の篠山紀信さんが1月4日に急死した。
 訃報は、朝日新聞と系列の日刊スポーツが先行した。
 朝日新聞は1面に本記(末尾に一部を引用)を、社会面に、大ベテランの大西編集委員の評伝を掲載し、他の媒体を圧倒した。

 本論に入る前に、このブログでは、「写真力 篠山紀信展」が札幌芸術の森美術館で開かれた2014年に、記事2本を書いているが、残念なことに
「篠山紀信 札幌」
「篠山紀信 北海道」
でネット検索しても、出てこないのである。
 自分で言うのもなんだけど、1本目( https://blog.goo.ne.jp/h-art_2005/e/7747283efa8e237d126517f0e54af658 )はオープニングセレモニーで写真家本人が語った内容をまとめ、2本目( https://blog.goo.ne.jp/h-art_2005/e/cd41d87cedd78c673b59a5192b445e31 )は写真展を紹介していて、わりと読みやすいと思うので、お読みいただければうれしい。

 篠山紀信さんのすごいのは、アーティスティックな作品を作りつつ、日本人なら誰でも目にしたことがあるような写真も撮っていることであり、幅広いジャンルで、想像を絶する物量の作品を生んできたことだろう。
 ピカソや北斎もそうだけど「天才は量もすごい」という典型だ(レオナルド・ダビンチとか例外も多いけどね)。

 下の朝日新聞の記事も決して短くないのだが、このほかにもただちに思いつくものとして、ドイツ・ケルン美術館のコレクションになった初期のヌード(顔や手がいろんな方向から飛び出ているように見える)、チャイドルブームを巻き起こした栗山千明や「少女たちのオキナワ」などの仕事、21世紀に入ってから10年以上、中森明夫とのタッグで続けられた「週刊SPA!」の「ニュースな女たち」、アトランタ五輪に特派されてスポーツ新聞の1面を連日飾ったアスリートの表情、高岡早紀と組んだ写真集、歌舞伎の舞台や力士たちの群像を大判カメラで撮った作品群、柳美里ら小説家たちを書斎で撮ったシリーズ、しろうとのヌードモデルを募集して何頁にもわたって掲載し大きな話題となった「アンアン」など、枚挙にいとまがない。
 ジョン・レノンとオノ・ヨーコのキスをとらえた「Double Fantasy」のアルバムジャケットは、この直後にジョンが兇弾に倒れて死去したこともあっておそらく全世界で最も多くの人の目にとまった篠山の写真になるだろう(冒頭画像にあるように、日本各地で計100万人が足を運んだ「写真力」展のメインビジュアルにもなっていた)。
 2011年の東日本大震災を受けて被災地でもシャッターを切っている。
 そして、これは「幸運」とか「偶然」ということばで片付けられないと感じるのは、ジョン・レノンの件もそうだし、「週刊朝日」で表紙を飾った当時熊本大生の宮崎美子(キヤノンの水着姿でのCMとどっちが先だったんだろう?)とか、被写体にとってエポックメイキングな一枚になっている例がとても多いことだ。時代の波というか、そういうものに波長をあわせるのが、むちゃくちゃ得意だったんだと思う。

 北海道ということでいえば、北海道新聞にもあったように1986年、第2回「写真の町東川賞」の国内作家賞を受賞している。
 また「写真力」展は、2014年の札幌に次いで16年には帯広に巡回しているし、彼の作品も当然入っている「私の1枚」-日本写真史を飾る101人 ~フジフイルム・フォトコレクションによる~ 101 Japanese Photographers は釧路に巡回している(2015~16年)。
 さらに、1974年の出来事をさまざまに切り取った「晴れた日」シリーズでは、有名人のポートレートに交じって苫小牧東部・勇払原野に点在する廃屋をとらえた写真群があり、いわば隠れた代表作ともなっている(これらの写真をバックにした篠山さんのポーズ写真をどこかで見た記憶がある)。これらは2014年に札幌・コンチネンタルギャラリーで開かれた「表出する写真、北海道」展でも展示された。

 筆者は直接お会いしたことはありませんが、とにかく、他の2倍も3倍も生きた方ではなかったかと思います。
 ご冥福を祈ります。
 

 青年誌「週刊プレイボーイ」にヌード写真を発表するほか、70年代初期からは月刊「明星」の表紙で、時代のスターを次々に活写。さらに、青年誌「GORO」での市井の人から芸能人までを撮った「激写」シリーズや、「週刊朝日」の表紙連載「女子大生」シリーズなどを、各種週刊誌や女性誌、美術誌に発表した。

 70年には、作家・三島由紀夫さんに依頼され、自決直前の姿を撮影。三島さんを介して出会った歌舞伎俳優・坂東玉三郎さんを写した72年の写真集「女形・玉三郎」で芸術選奨文部大臣新人賞。76年には国際美術展「ベネチア・ビエンナーレ」に参加し、建築家・磯崎新さんの構成で「家」シリーズを展示した。

 海外でも精力的に撮影した。磯崎さんとコンビを組み、古代エジプトから米ニューヨークの名建築を写した「建築行脚」シリーズ(80年)、シルクロードを走破した「篠山紀信 シルクロード」シリーズ(81年)などを刊行。80年代、複数のカメラを連結して同時撮影し、パノラマ的な風景を見せる手法「シノラマ」を編み出すと、都市から山の噴火まであらゆるテーマに取り組んだ。

 写真集を中心とする著書は300冊を超える。91年には、俳優の樋口可南子さんをモノクロで撮影した「water fruit」、トップアイドルだった宮沢りえさんを被写体にした「Santa Fe」とヌード写真集を立て続けに刊行。後者は写真集としては異例の165万部に達し、社会現象になった。

 2012~19年に全国巡回した個展「写真力」は計100万人以上が来場。21年には東京都写真美術館でも大規模個展「新・晴れた日 篠山紀信」を開いた。


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